ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

政局よりも 大震災対策が先 自民党内から声

2011年05月18日 | 時事問題
asahi.com 2011年5月17日23時53分
倒閣の動きに「急流で馬を乗り換えるな」 自民・小里氏
 1995年の阪神大震災で地震対策担当相を務めた自民党の小里貞利元衆院議員(80)が17日、党本部の講演に招かれ、「急流で馬を乗り換えるな」と、菅直人首相を退陣に追い込むことばかり優先せず、震災復興で政権に協力するようクギを刺す一幕があった。
 小里氏は「阪神大震災の時、野党は気軽に助言してくれた。自然災害こそ国力、国民力を問われる。災害復旧についても超党派で、あらゆるものを犠牲にして取り組むことが大事」などと訴えた。
 「急流で馬……」の言葉は、首相に批判的な西岡武夫参院議長が4月、「国の命運を担う馬は内閣。急流でもがいて流されているならば、馬を乗り換えないといけない」と述べたことがある。

自民党政治とは、政局の事である。誰が総理になって甘い汁が吸えるか以外は眼中にない。だから小沢が暗躍できるのである。

読書ノート 藤木久志著 「中世民衆の世界」 岩波新書

2011年05月18日 | 書評
百姓の生活、村のおきて、村のあらそい 第6回

2) 惣 堂ー自立する村   

 中世の「惣堂」、「村の堂」は「惣堂は 案内なくして 人休む」と誰かが歌ったように、何となく親しい共通の空間、共通の世界をイメージするシンボルであった。それは村の寄り合い場所であり、御堂、薬師堂、阿弥陀堂、大日如来堂などである場合が多く信仰の場所でもあり、かつ旅人が遠慮なく宿とすることが出来た。中世の村ではよそ者に宿を貸すことを戒める「所の大法」が広く行き渡っていたが、惣堂だけは例外でだれでも断りなしに休むことが出来た。浪人、敗残兵、犯罪人、出奔人、旅の僧らが隠れて宿としたようだ。惣堂はまたは草堂ともいわれ、村人が寄り合って建てた堂で、村持ちの堂は中世の日常の暮らしにとって大切な結集の場であったらしい。村争いの調停で「中分」という和解の方法がある。なんでも半分で了解することである。山の境界を二つの村で争った時も境界に堂を作って和解する、あるいは境界のしるしに堂を建てる(境堂)、さらには二つの村が堂を二分してl共有するなどということも行なわれた。惣堂は他国の流れ者の緊急避難所にもなっていた。惣堂の柱、板壁などには諸国から来た人の落書きで満ちていた。それを解読すると人の身分、往来やいきさつなどがわかって面白い。戦国時代も終わりの頃、1589年摂津国の二つの村が入会山の利用権を巡ってあらそい、秀吉の「山検地」の決定を無視したため喧嘩停止令によって、庄屋が牢に入れられた上、惣堂が焼き払われた。村の代表者の処罰と村の共有のシンボルである惣堂が焼かれたのであろう。惣堂は村の祭りやもめ事調停、一揆を超す拠点であった。かつ仏事を営む場所でもあった。御堂、住職や仏具まで村の皆のものであった。村の長老らは「評定衆」と呼ばれ、独自の升までもって村の年貢を請負い、村の掟に背いた人を処罰する権限を手に入れていた。これを「地下請け」とか「自検断」といった。そして長老にとって、村政の集まりのあと、会合の打ち上げの酒宴には、惣物、仏物による盛大な飲み食いが行なわれたこれを長老の余禄といった。
(つづく)

文藝散歩 藤井貞和著 「日本語と時間ー時の文法をたどる」 岩波新書

2011年05月18日 | 書評
古代の時間を表す助動詞6種「き、けり、ぬ、つ、たり、り」の運命 第6回

1) 時のありよう krsm四面体論

 我々は現在以外を記憶に刻印することは出来ない。現在を知覚できるかという問題については、カント、デカルトらは「認識する主体」を俎上に上げたが、知覚ははたして信じられるのだろうか。哲学的論議は省いて近代文法学説では、「山田文法」は助動詞を「複尾語」だといい語り手の弁を担い、主観の立脚点や言語的態度のために存在するという。現在から伸びてゆく時制の考え方は近代主義の所産で、「時枝文法」はこれを陳述といい時制を考えていない。知覚は言語を伴うかどうかについて哲学者大森荘蔵氏は、「客観的世界とは制作された言語的思考世界である」と言い切り「知覚は言語以前の刺戟ではない。それははじめから言語的制作である」とする。「山田文法」によって古代日本語の時の助動辞を整理すると、第1に「き」(連体形「し)は神話的過去や起源譚、歴史の叙述に使われる。第2に「けり」は過去から現在へ、あるいはより近い過去へという時間の経過を示すことが多い。近代の時制とは話し手の現在を起点として、過去もあれば未来もあるということだ。
日本語の動詞は、助動辞を下へ下へと付加して、はじめて積極的に時制が現れる。「あり」は語の構成要素で、まずはそのまま動詞である。語の構成要素として、なり(に+あり)、たり(と+あり)、たり(つ+あり)、けり(き+あり)、ざり(ず+あり)などを作り出す。「あり」には助動辞としてのあり方を認めることが出来る。助動辞「なり」、「たり」、「けり」、「り」の構成要素として、それらのなかに「あり」は埋もれている。文法上「あり」と「り」は「同質異像」といわれる。動詞に「あり」が下接して、現象上で「り」が生じた。「読み」+「あり」から「読めり」ができ、「来」+「あり」から「けり」ができ、「給ひ」+「あり」から「給へり」ができた。見かけ上「り」という助動辞の誕生である。「けり」は動詞「来」の連用形「き」と「あり」の結合とも、助動辞「き」と「あり」の結合とも見られる。本書では「けり」は助動辞「き」と「あり」の結合とみて関係性を考察する。そこで四面体(krsm)の頂点に現在の「あり」(r)、過去の「き」(k)、推量の「む」(m)、形容の「あし」(s)をおいて時制の変化をみる。「あり」から「き」への稜線に「けり」が生まれ、「き」から「む」の稜線に「けむ」が生まれ、「あり」から「あし」の稜線に「らし」が生まれ、「あり」から「む」の稜線に「らむ」が生まれたと整理する。時間、推量、形容の域が関連し、時の助動辞はたがいに関係しあっている。これが著者の「時の助動辞」文法論の骨格である。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「五月晴」

2011年05月18日 | 漢詩・自由詩
野行五月麦宣晴     野行五月 麦は晴れに宣し

雲雀喧喧不惜聲     雲雀は喧喧と 聲を惜しまず

胡蝶翩翩翻碧欄     胡蝶は翩翩と 碧欄に翻り
 
傷春片片落紅英     春を傷んで片片と 紅英落つ


●○●●●○◎
○●○○●●◎
●●○○○●●
○○●●●○◎
(韻:八庚 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)