ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

筑波子 月次絶句 「雨中看牡丹」

2011年05月03日 | 漢詩・自由詩
霧雨濛濛未忍回     霧雨濛濛 未だ回るを忍びず

千株国艶満庭栽     千株の国艶 満庭に栽ゆ

楼台酔客思花発     楼台の酔客 花の発すを思い

憂色騒人待欝開     憂色の騒人 欝の開くを待つ


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(韻:十灰 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

東日本大震災と医療問題: 谷口プロジェクト「福島原発作業員のための自家末梢血幹細胞採取保存」

2011年05月03日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC by 医療ガバナンス学会(2011年5月1日) 「谷口プロジェクトを支えよう」 松本慎一 ベイラー研究所 より

 谷口プロジェクト「福島原発作業員のための自家末梢血幹細胞採取保存」という提案がなされているが、これに対して日本学術会議は「利点は認めるが、現在従事している作業員に事前に実施することは不要かつ不適切と判断する」というステーツメントを出したそうだ。これに対して谷口プロジェクトを支持する舛添氏は菅首相に「人命軽視」と抗議したそうだ。何か自民党政府の時代に還ったかのような錯覚を覚える。結局は政府が誰であろうと、官僚の筋書きに従う政権担当者の見識のなさを曝露している。官僚=政府は白血病の発生リスクを前提とした作業安全対策を出せば作業者が集まらないので原発冷却と閉鎖作業が停滞すると心配していることが本音である。その政府の意向を権威で潤色するため曲学阿世の学者達の学術会議は「血液採取保存の利点を認めながらも、証拠エヴィデンスが十分でないことで不適切な行為」と判断している。ところが未曾有の治療にはエヴィデンスのある治療なんてそもそも存在しない。それでは治療の前進がない。エヴィデンスとはコントロール(治療をしないグループ)に対して効果ありとする実験のことをいうのだが、治療をしないグループに対して倫理上の問題がある。新規治療はエヴィデンスの前には常にコンセンサスで動くのであって、エヴィデンスを楯に治療を拒むのは自分の手を縛るものである。ステーツメントとしては、①強く勧める ②勧める ③勧めるだけの根拠がない ④行なわない事を勧める の4段階がある。今回の場合ステーツメントとしていえることは③勧めるだけの根拠がないまでであって、「不要・不適切」という積極的否定をいうには「害がある、または全く無効である」とのエヴィデンスが必要である。治療を選択するコンセンサスは作業員自身が決めることであって、日本学術会議という権威が発言することではない。それこそ発言することの政治性が疑われる。

読書ノート 白波瀬佐和子著 「生き方の不平等」 岩波新書

2011年05月03日 | 書評
生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なる 第4回 

1) 子供たちの不平等 (1)

 日本の母子家庭の問題は貧困にあるだけではなく、貧困に派生する様々な不条理にあり、特に母子家庭の子供達に満足なライフチャンスが与えられるのかということだ。つまり世代を超えた不平等の再生産に問題の深刻さがある。例えば児童手当は家計を支える稼ぎ主への生活援助が第一義となって、子供の福祉になっているとは思えなかった。国が子供一般を対象として、子供の生活を保障するという観点はみられなかった。OECDが調べた各国政府の家族関連社会支出の対GDP比は、日本と韓国の1%以下という低さは群を抜いていた(2010年)。国勢調査によると子供のいる家庭の貧困率はこの20年で10%から13%へ増加しつつある。若くして結婚し幼い子供を抱える家族の苦しい経済事情が伺える。貧困状態にある子供を持つ若年既婚者の就労分布を見ると、男性はフルタイム労働に従事しているが、女性の8割は無職である。若年既婚者の男性の学歴は義務教育のみが17%、高卒が2/3である。母子家庭に加え、幼い子どもを抱える若年夫婦はもうひとつのワーキングプア-であろう。税金などの再配分後の所得は決して有利に働かないで、かえって可処分所得で貧困率が高まっているという皮肉な現実がある。子供は生まれついた時から親は決まっているのであるので、裕福な親を選択できるわけは無い。そうすると貧困家庭に生まれた子供は社会のスタートライン(絹の産着と銀のスプーンをくわえた子供に較べて)から不利な状況に置かれている。このスタートラインの格差を少しでも小さくすることが社会制度の役割ではないだろうか。どのような親元に生まれようとも、「ひととなり」を保障してあげなければ不平等というものである。
(つづく)


読書ノート 小田部雄次著 「皇 族」 中公新書

2011年05月03日 | 書評
明治以降の皇族の歴史を知ろう 第12回

第2部 昭和前期時代 昭和天皇と戦争 軍人皇族と軍部の台頭 (1)

 1921年摂政宮裕仁親王(昭和天皇)は第1次世界大戦後の欧州視察に向かった。皇族としては陸軍大将閑院宮載仁親王が随行した。約半年でイギリスとフランスを訪問し、欧州皇族のあり方なども学んだといわれる。皇太子妃の内定者として久邇宮良子女王の色覚異常を巡って「宮中某重大事件」騒ぎとなった。良子の父である久邇宮邦彦王の性格に皇后節子(貞明皇后)が難色を示し、山県有朋や中村宮内相が内定取り消し運動をはじめ、久邇宮邦彦王が煽動した右翼などが絡んで恐喝事件もおこったが、結局内定どおりに久邇宮良子が皇后になった。1885年宮内大臣伊藤博文は宮内省官令を定めて正式に発足した。伊藤以降、宮内大臣は最上位の親任官で、土方久元や田中光顕など勲功華族が就き、政府と宮中をつなぐ統括者として重責を負った。内大臣は宮中にもけられ天皇を直接輔弼する重職で、公家や元老がその職に就いた。1920年以降宮内省職員は実務系官僚が占め、総職員数は3300人ほどとなった。皇族関係部署は、皇后宮職、東宮職、澄宮付、皇族付職、李王職、東宮武官、皇族付武官、李王付武官などである。皇族付職には13宮家に5名から10名の職員が就いている。宮内省は天皇1人のための組織であった。昭和初期の昭和天皇の側近には、侍従長河合弥八、牧野顕伸内大臣、一木喜徳郎宮内大臣、鈴木貫太郎侍従長らがいた。戦争中は1940年から1945年まで候爵木戸幸一内大臣が最重要側近となり、十一会を組織して近衛文麿公爵、松平康昌候爵、酒井忠正伯爵、有馬頼寧伯爵、原田熊雄男爵らと華族の昭和政治革新運動を始めた。木戸幸一内大臣は西園寺、牧野らの宮中勢力とは違う、軍部台頭を背景としたあらたな天皇制国家を目指した。木戸幸一らは皇族の政治化には懸念を示し監視を怠らなかった。
(つづく)

CD 今日の一枚 パガニーニ 「ヴァイオリン協奏曲」ほか

2011年05月03日 | 音楽
①パガニーニ 「ヴァイオリン協奏曲 第1番」 ②チャイコフスキー 「憂鬱なセレナード」作品26
ヴァイオリン:五嶋みどり
レオナード・ストラッキン指揮 ロンドン交響楽団
DDD 1987 PHILIPS
五嶋みどり16歳の録音で、2枚目のCDだそうだ。かっては天才少女といわれたが、今は聞かない。