伝記文学の傑作 森鴎外晩年の淡々とした筆はこび 第2回
森鴎外著 「渋江抽斎」は「三十七年如一瞬 学医伝業薄才伸 栄枯窮達任天命 安楽換銭不患貧、これは渋江抽斎の述志の詩である。」ではじまる。森鴎外の晩年の作品として「渋江抽斎」、「井沢蘭軒」、「北条霞亭」の作品はいずれも江戸時代のあまり有名でもない学者の伝記である。内容も政治的事件は背景に隠れ、退屈といってもいいような日常的人生の事蹟である。本書「渋江抽斎」は大正5年(1916年)、日刊新聞に連載され年頭から始まって5月には完結したという。毎日1扁づつ連載されて119扁からなる。挿画は羽石光志氏による。聞き取りや資料調べは済んでいたとしても、気楽な読みきり物ではない新聞小説であるので、毎日の執筆はどうしたのであろうか。それにしても本書にはリズムがある。かなりの程度までは偶然の筆の勢いという物が支配しているし、気が乗ればバランスを欠いてでも広がってゆく楽しさが伺える。本書末尾の長唄師匠勝久(抽斎4女陸のこと)の話がそうである。最後になって急に盛り上がりを見せる、伝記というより小説の運びである。執筆当時は鴎外は50代半ばで、軍医としての長いお勤めもようやく終わりに近づき、いわば停年をまじかに控えた一種の開放感が働いていたのかもしれない。渋江抽斎の「述志の詩」はあるいは鴎外の気持ちに近いものがあるのではないか。抽斎を敬愛するあまり、鴎外はこの漢詩(七言絶句 韻:十一真)をわざわざ書道家・洋画家の中村不折氏(その書道美術館は鶯谷の正岡子規旧居前にある)に書いてもらって居間にかけていたという。
(つづく)
森鴎外著 「渋江抽斎」は「三十七年如一瞬 学医伝業薄才伸 栄枯窮達任天命 安楽換銭不患貧、これは渋江抽斎の述志の詩である。」ではじまる。森鴎外の晩年の作品として「渋江抽斎」、「井沢蘭軒」、「北条霞亭」の作品はいずれも江戸時代のあまり有名でもない学者の伝記である。内容も政治的事件は背景に隠れ、退屈といってもいいような日常的人生の事蹟である。本書「渋江抽斎」は大正5年(1916年)、日刊新聞に連載され年頭から始まって5月には完結したという。毎日1扁づつ連載されて119扁からなる。挿画は羽石光志氏による。聞き取りや資料調べは済んでいたとしても、気楽な読みきり物ではない新聞小説であるので、毎日の執筆はどうしたのであろうか。それにしても本書にはリズムがある。かなりの程度までは偶然の筆の勢いという物が支配しているし、気が乗ればバランスを欠いてでも広がってゆく楽しさが伺える。本書末尾の長唄師匠勝久(抽斎4女陸のこと)の話がそうである。最後になって急に盛り上がりを見せる、伝記というより小説の運びである。執筆当時は鴎外は50代半ばで、軍医としての長いお勤めもようやく終わりに近づき、いわば停年をまじかに控えた一種の開放感が働いていたのかもしれない。渋江抽斎の「述志の詩」はあるいは鴎外の気持ちに近いものがあるのではないか。抽斎を敬愛するあまり、鴎外はこの漢詩(七言絶句 韻:十一真)をわざわざ書道家・洋画家の中村不折氏(その書道美術館は鶯谷の正岡子規旧居前にある)に書いてもらって居間にかけていたという。
(つづく)