ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

医療問題  朝日新聞ガンワクチン報道事件の検証-1

2011年02月13日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC by 医療ガバナンス学会(2011年2月10日) 「朝日新聞ガンワクチン報道事件 第4の権力の暴走(1)」 小松秀樹 虎ノ門病院泌尿器科部長 より
初めに
 この事件についてはこのコーナーで何度も何人かの識者が発言している。今回の小松秀樹氏はメディアの報道の権利と義務について、さらに新たな見解を述べたもので傾聴するに値すると思われた。長くなる(前半と後半に二分して)が、丹念に氏の論旨を追って行こう。なお小松氏は「医療崩壊・立ち去り型サボタージュとは何か」、「医療の限界」、「慈恵医大青戸病院事件」などの著書として広く知られ、医療ガバナンス学会の論者である。2010年10月15日の朝日新聞のガンワクチン報道記事、翌日16日の朝日新聞社説「東大医科研 研究者の良心が問われる」に対して、12月8日東大医科研中村祐輔教授は、朝日新聞と出河雅彦編集委員、野呂雅之論説委員を名誉毀損を理由に損害賠償を求めて提訴した。朝日新聞は記事に対して抗議を表明していた団体のうち4団体に対して、「記事捏造」と非難したことが名誉毀損に当たるという申し入れを行なった。報道事件は当事者間の権利義務についての個別具体的な紛争である。それを朝日新聞は議論を日本の臨床試験のあり方という社会システムの問題にすり替えようとしている。従って事件の核心は医科研と中村教授の名誉を貶めたかどうか、オンコセラピー社の信用を傷つけたかどうかについて議論をする。
(つづく)

文藝散歩 森鴎外著 「渋江抽斎」 中公文庫

2011年02月13日 | 書評
伝記文学の傑作 森鴎外晩年の淡々とした筆はこび 第3回

 鴎外が「渋江抽斎」を書くきっかけになったのは、鴎外の古書漁り趣味にあり、「武鑑」という江戸時代の武家人名録で「弘前医官渋江氏蔵書記」という朱印のある本に度々出逢ったことであった。鴎外とおなじ職業である医官である事に興味を持ち始めたのであろう。鴎外は「武鑑は徳川氏を窮むるに欠くべからざる史料である」といい、「渋江抽斎」を書く5年前から「武鑑」を蒐集し始めたようだ。簡単な事蹟の記述から物語を構成してゆく「知的アドヴェンチャー」は、探索のプロセスがそのまま伝記の展開となり、書き手の心と筆のハズミとなるのである。この対象探索プロセスを伝記制作のうちに取り込み、殆どその中枢にすえるという鴎外的手法は、その後、日本文学の伝統的手法となった趣がある。松本清張氏の小説はその典型であろうか。アマチュア的謎解きのぞくぞくする興奮が伝わってくるのである。渋江抽斎は安政5年(1858年)54歳でコレラであっけなくこの世を去るのであるが、その前に抽斎に心境を語らしめている。「おれは公儀に召されることになりそうだ。そうすると津軽家には隠居せざるを得ない。父は74歳まで生きたので、おれには20年ほどの月日がある。これからがおれの世の中だ。おれは著述をする。まず老子の註からはじめ、それから自分の為事にかかるのだ」といわしめている。これはおそらく鴎外の心境に近い。定年退職を控えて準備をしている自分の心弾む心境を吐露しているようだ。その科白にもかかわらず抽斎はあっけなく死んだ。
(つづく)

読書ノート 宇野重規著 「'私'時代のデモクラシー」 岩波新書

2011年02月13日 | 書評
個人主義の時代に、私たちの問題を話し合うデモクラシー 第9回 

2)新しい個人主義 (2)

 「自分自身である」権利とは、他人とは違う自分の個性を、他人との優劣をつけないで承認されることであろう。外的な基準によって評価されることを拒否する視点から、現代の個人主義を論じたフランスの哲学者リポヴェツキーは「空虚の時代ー現代個人主義論考」において、近代個人主義の新たな段階を「パーソナリティ・個性化」として捉えている。近代初期において個人の自律を重視すればするほど、「規律的」、「普遍主義」、「強制的」、「巨大化」、「中央集権的」、「原理的イデオロギー」がもとめられた。第2の個人主義革命ではこれらの普遍的価値が破壊され、「パーソナリティ・個性化」が強く意識された。人々は健康、エコ、カウンセリングを指向する文化となり、この時代の個人主義をリポヴェツキーは「ポスト・モダンのナルシズム」と呼ぶ。この「自分自身に忠実であれ」という理想の道徳的価値を擁護したのがカナダの政治哲学者テイラーである。「ほんものという倫理ー近代とその不安」において、テイラーは「自分自身に忠実であれ」という理想を大事にする。これはジャン・ジャック・ルソーの「真の道徳性とは各個人が自分の内にある自然の声をとりもどすこにある」という考えを継承したからだ。人は自分と他人の違いのうち、何が自分にとって本当に大事なのかを問い続ける「問いの地平」があってはじめて人間らしさの追及が社会の問い直しにまで展開するのである。このような状況をドイツの社会学者ベックは「政治の再創造ー再帰的近代化理論に向けて」において、集団に固有な意味供給源の崩壊を「確信の指標の解体」とか「世界の脱魔術化」と呼んだ。それが近代の民主主義革命であった。では魔法を解かれた次の時代の個人主義はさ迷うだけの浮遊物なのだろうか。自己と他者に対する新しい確実性をいかに共同で構築できるのか、このことがデモクラシーの課題となる。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「暁起大雪」

2011年02月13日 | 漢詩・自由詩
筑西二月峭寒加     筑西二月 峭寒加わり

四界銀綿竹影斜     四界銀綿 竹影斜めなり

数点梅花為雪圧     数点梅花 雪に圧せられ
 
早晨紫岳被雲遮     早晨紫岳 雲に遮らる


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(韻:六麻 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)