ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

生活保護受給者にたかる「貧困ビジネス」

2009年12月29日 | 時事問題
朝日新聞 2009年12月29日3時3分
「貧困ビジネス」大手、脱税容疑2億円 国税告発へ
 千葉、埼玉など首都圏を中心に生活保護受給者らに宿泊施設を提供する「無料低額宿泊所」を運営する個人事業者ら3人が、2007年までの数年間で総額約5億円の所得を隠し、脱税したとして、名古屋国税局が所得税法違反容疑で検察当局に告発する方針を固めた。路上生活者らから生活保護費を吸い上げる「貧困ビジネス」が社会問題化するなかで、脱税の実態が明らかになるのは初めて。 経営者は入所者1人あたり毎月12万円前後支給される保護費から、家賃や食費約9万円を集めた。

生活保護支給金月12万円にたかるビジネスモデル 宿泊費プラス食費で月9万円は妥当なのか、暴利なのか?行政はパチンコ屋と同じ脱税で告発したが、山谷や釜崎のドヤ街でまたえげつない商売ですな。

読書ノート 兵藤祐己著 「琵琶法師ー異界を語る人びと」 岩波新書

2009年12月29日 | 書評
盲目の「琵琶法師」は異界の媒介者、宗教芸能者であった 第2回

楽器としての琵琶の形態をまとめると、
雅楽琵琶:四弦四柱 有名な正倉院の琵琶は雅楽琵琶の典型となった舶来の曲頸琵琶、インド起源は五弦の直頸琵琶、ペルシャ起源は曲頸琵琶、特徴は「サワリ」の機構がないこと、左手の押弦が、柱(フレット)の間で絃を押さえ張力を変化させて音程を変える奏法がないこと、また小指まで使用すること、などである。
盲僧琵琶:四弦五柱 胴に比べ棹が長いのが特徴、古形は六柱 盲僧琵琶は仏教儀式に用いられたもので、盲人の僧侶がこの琵琶の伴奏で経文を唱えていたとされる。その起源は奈良時代に求められ、早くから盲僧の組織が作られていた。蝉丸もその一人といわれる。大別して薩摩盲僧と筑前盲僧とがあった。
平家琵琶:四弦五柱 胴が長く頸は短い 平家琵琶は楽琵琶から派生したもので、楽器は楽琵琶とほぼ同じつくりだが、小型の物が好まれる。撥は逆にやや大きく、先端の開きが大きい。平家物語をかたるときの伴奏に用いる。平家琵琶を用いた平家物語の語り物音楽を「平曲」と呼ぶ。鎌倉時代のはじめ頃に生仏(しょうぶつ)という盲人音楽家がはじめたとされ、曲節には仏教音楽である声明(しょうみょう)の影響がみられる。
薩摩琵琶:四弦四柱 盲僧琵琶を改良して近世につくられた。これまでの盲僧琵琶を改造し、武士の倫理や戦記・合戦物を歌い上げる勇猛豪壮な演奏に向いた構造にしたものである。盲僧琵琶では柔らかな材を使うことが多かった胴を硬い桑製に戻し、撥で叩き付ける打楽器的奏法を可能にした。撥は大型化し、杓文字型から扇子型へと形態も変化した。これにより、楽器を立てて抱え、横に払う形で撥を扱うことができるようになった。
筑前琵琶:五弦五柱 盲僧琵琶を改良して明治期につくられた 古くは四弦が使われた。筑前琵琶の音楽は薩摩琵琶に比べ曲風がおだやかであり、楽器、撥ともやや小柄である。胴の表板は桐に変わり、音色は薩摩琵琶に比べ軟らかい。調絃も三味線に準ずるようになった。筑前琵琶の種類は四弦と、四絃より音域をより豊かにする為に初代 旭翁とその実子である橘旭宗 一世によって考案された五弦があり、五弦の方が全体にやや大きい。撥も五弦用のものの方がやや開きの幅が広く、いくらか薩摩のものに近い。柱はいずれも五柱(四絃五柱、五絃五柱)。
(続く)

読書ノート 岩井克人著 「21世紀の資本主義論」  ちくま学芸文庫

2009年12月29日 | 書評
グローバル市場経済の危機は貨幣経済資本主義の宿命 第6回

21世紀の資本主義論
市場経済と資本主義
 グローバル市場経済にしてゆく原動力は資本主義のアクティヴィティである。資本の活動で利潤を生み出し、さらに資本を増殖させる無限の活力である。18世紀後半の産業革命は重商主義から産業資本主義を生み、国民国家と国民市場を生んだ。資本主義は当初は農村という外部を利用し、19世紀後半より植民地主義という後進国を外部とした。20世紀中頃から後進国を外部とすることも出来なくなって、人類は初めて「純粋な市場経済」を経験した。自由主義社会と資本主義はそれは同意義である。危機に満ちたグローバル市場経済の中で生きざるを得ない宿命を自覚してゆくほかに処方箋などは無いというのが著者の結論である。なんと陰鬱な結論である事か。しかし「花見景気」の掛け声で奈落の底へ落ちるよりは自覚があるだけましか。
(続く)

文藝散歩 「旧約聖書の世界」

2009年12月29日 | 書評
ユダヤ民族のカナン移住からローマ時代までの民族史 第20回

2)「旧約聖書 創世記」 関根正雄訳 岩波文庫 第4回
(第2代 イサクの時代)

22:イサクの誕生とイシマエル
サラがイサクを生み、神はイサクをアブラハムの後継者と定めたので、召使ハガルとイシマエルはバランに去り、イシマエルはエジプトから妻迎えた。そこでイシマエル一族は栄えたという。
23:ベエルシェバ
アブラハムが堀った井戸をめぐってアビメレクと紛争になったが、二人は誓いを立ててベエルシェバで契約を結んだ、アビメレクはペリシテ人の地に戻った。
24:イサクの献供
アブラハムは神ヤハウエより信仰心を試された。モリアの地で燔祭を行い子イサクを生贄にささげよというものであった。まさに刀でイサクを葬ろうとした時、神はアブラハムの神を畏る気持ちに満足し、子孫末裔の繁栄を約束した。神も疑い深いですね。
25:サラの埋葬
アブラハムの妻サラが死んだ。そこで、マムレの前のエフロンの洞穴と畑をアブラハムはヘテから買い取って墓所とした。
26:イサクの嫁選び
アブラハムはイサクの嫁を親戚部族がすむアラム・ナハライムに求めた。同じような話が長々と続くが、つまりイサクはリベカを嫁にした。
27:ケトラの子ら
アブラハムはケトラを後妻にとったが、全財産はイサクに与え、ケトラが生んだ多くの子は東へ移した。
28:アブラハムの死と埋葬
アブラハムは死んでエフロンの墓所に葬られた。
29:イシマエルの系図
アブラハムが側女ハガルに産ませたイシマエルの子は12の君侯になった。イシマエルは死んでアブラハムの同族に加えられた。
30:イサクの子ら、イサクの話し
イサクの妻リベカは双子を産み、エサウ、ヤコブとなずけた。エサウは猟師に、ヤコブは牧者となった。イサクはエサウを愛したので、ヤコブはエサウから長男の権利を買った。妻リベカはヤコブを愛し、それがエサウとヤコブの後継者争いになり、他の部族ゲラル王アビメレクが介入してきた。イサクはアビメレクと相互不可侵の誓約を結んだ。
31:イサクその子を祝す
エサウとヤコブの後継者争いはイサクの死の床までもつれ込んだ。父イサクはエサウを後継者にするつもりが、ヤコブが上手く父を騙して後継者権を得た。そこでエサウとヤコブの戦争となった。イサクという人物は影が薄く、部族戦争となるなど問題が多い。
32:ヤコブとエサウ
ヤコブはイサクの後継者となって、母リベカの実家アラム家に嫁を探しに出かけた。一方エサウはイシマエルを頼って妻を娶った。部族内の閨閥抗争が顕著になってきて結局エサウが部族の正統権を獲得し、ヤコブはベエルシェバを捨てて母の実家のハランに逃げたというのが真相であろうか。
(続く)