ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

COP15  途上国支援に150億ドル拠出 馬鹿な!

2009年12月17日 | 時事問題
朝日新聞 2009年12月17日6時50分
COP15、日本は途上国支援に150億ドル拠出を表明
 ロイター通信によると、国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)で、日本政府は16日(日本時間17日)、温暖化対策に取り組む発展途上国に対し、10年から3カ年で総額約150億ドルを支援すると表明した。
 
途上国を地球温暖化防止機構に繋ぎとめておくための窮余の策かもしれないが、途上国は金を貰っても排出削減目標の拘束を受けぬと言っている。拠出金150億ドルとは1兆3000億円相当だ。補正予算で膨大な借金を重ね、事業仕分けで「短き物の端を切る」という不均衡な財政運営をやっているのに、意味のない拠出金はどこから出てくるのか。国会の審議と了解を得ているのか?

保育所不足が女性の就労を困難にしている

2009年12月17日 | 時事問題
朝日新聞 2009年12月17日7時34分
保育園入れられぬ母、6割仕事断念 ベネッセ首都圏調査
 保育園に入れない待機児童が急増している首都圏で、今年4月に子どもの預け先が見つからなかった母親の56%が、仕事や再就職を断念していたことが、ベネッセ次世代育成研究所(東京都)の調べで分かった。 待機児童数は全国で2万5384人。

女性を就労から締め出しているもの
 子育て支援は現金給付に片寄っているので、女性が労働市場とつながるためには保育サービスが決定的に重要である。小泉内閣で保育所の民間委託が進んで、経済基盤の弱い自治体の保育料が高くなった。ドイツでは「昼間保育拡充法」、「児童支援法」で1歳以上の児童保育所の数が75万箇所にすることがきめられた。金銭給付では「養育手当」、「両親手当」を支給している。育児期間中の所得保障はスウェーデンで現行所得の80%、ノルウェーで100%である。

文藝散歩  旧約聖書の世界

2009年12月17日 | 書評
イスラエル民族のカナン移住からローマ時代までの民族史 第8回

山我哲雄著 「聖書時代史 旧約篇」 岩波現代文庫 (4)

2、カナンの地へイスラエル民族の定住(前12世紀ー前11世紀前半)(「ヨシュア書」、「士師記」)

 前15世紀中頃、強大なエジプト第18王朝のトトメス三世がシリア・パレスチナ遠征を行い、カナンの地全体を支配下に置いた。前13世紀にエジプトで18王朝が成立しラメセス二世がシリアに侵略したヒッタイト帝国と闘い和議となった話は有名である。前12世紀にかけて海洋民族ペリシテ人などがエーゲ海から大挙して南下してきた。エジプト第20王朝のラメセス三世が彼らのエジプト侵入を食止めた。この時期に山岳地帯から平野部のカナンに進出してきた集団がイスラエル人の祖先である。時は鉄器時代でカナンの都市国家群との戦いは熾烈であった。この中で部族戦闘集団が形成された。「旧約聖書」の「ヨシュア書」、「士師記」に書かれたその部族指導者を「士師」という。「士師記」はハツォルを中心とした北部の都市国家連合軍を「デボラの戦い」で打ち破ったことを記す。この頃にイスラエルという部族連合の統一体が出来上がったのであろう。これを隣保同盟(アンフィクチオニー)という諸部族連合体と捉える歴史家もいる。
(続く)

歴史散歩 石母田 正著 「中世的世界の形成」 岩波文庫

2009年12月17日 | 書評
伊賀国の土地領有を巡る東大寺と武士団の交争 第15回

第4章 「黒田悪党」ー匪賊化した黒田武士団と東大寺の最期の抗争 (2)

 開発領主による土地の実質支配は同時に慣習の支配する世界である。古代律令法と中世慣習法である鎌倉幕の「貞永式目」を比較して考えよう。庄園領主の土地所有権は国衙の承認という国家機構の裏付けがなければ成立しなかった。国衙法はまさに慣習法である。公地公民制の崩壊を認めたうえで、土地支配権を国家機構が追認すると云うのは自己矛盾であるが、それにより現実的な課税をするのである。在庁官人は名主,土豪、領主であり、中央に対しては租税請負人で、在地に対しては法の管理人であった。在地国税庁と在地法務省を兼ねているような複雑な存在である。しかもそれは中央官僚が管理するのではなく在地私領主の共同管理である。慣習の世界から法の世界への転換は、法治主義の古代文化と在地領主農村文化の折衝の上に成り立つ中世的世界であった。古代の法は神判的な文化であったが、中世的慣習「道理」の争いとなる。神々の世界から人間の世界の規範を「道理」に求めた鎌倉幕府の武家法「貞永式目」は現実を重視する。貞永式目の八条に「時効の制」があって、20年の実質支配があれば理非を論じないで所有権を与えるという。遺命や証験を煩雑に議論するより、現実を見よというものだ。法律万能社会は明治維新後にドイツ法から移入されたが、一方イギリス法という慣習法もあった。いまのドイツ法の流れからすると中世の慣習法は法治社会ではないかもしれないが、それが中世的転換であった。
(続く)