さてと、ほんじゃちょっくら。
ガーディアン 中国ネタ
China's ability to feed its people questioned by UN expert
Shrinking arable land making it harder to maintain agricultural output, says Olivier De Schutter, as food prices surge in China
Jonathan Watts in Beijing
guardian.co.uk, Thursday 23 December 2010
耕作可能な土地が少なくなって国民を食わせていけなくなるのではないか?と。
これは日本の池上さんの番組でも、たしか、中国や中東が諸外国で農作地を買い占めている、というようなのをやっていた気がする。もっとも、日本の食糧自給率の低さも指摘していた。
というように、日本でも深刻な問題なわけだが、やはり、中国のやることが目につくようになってきたのだろう、ガーディアンも中国ネタで攻めている。
Chinese Passengers Beat Unruly Foreigner On Guangzhou Metro
230 comments by Fauna on Wednesday, December 22, 2010
via mozu
ということだが、これ、当然・・・と言ってよいと思うが、
1)電車の中で挑発する”白人”も悪い。
2)それに暴力で対抗した中国人も悪い。
コメントのなかで、中国人も電車のなかで酔っぱらってやっていることがあるのに外人がやるとニュースになるのかい?、というのがあるが、それはあるかもしれない。そして、それで諍いになることもあるだろう。
少数者というのはしかし、そういう存在なのである。目立ってしまう。イギリスでムスリムがこの”白人”のようなことをしたらデリメあたりが記事にするのではないか?
そのイギリス
Beware of the bearded white man
That young white man with the rucksack, is he a terrorist? I can't help wonder after news of the white British al-Qaida members
Joseph Harker
guardian.co.uk, Thursday 23 December 2010 10.21 GMT
”白人”イギリス人のアルカイーダがいた、ということで論者の筆致は活き活きとしている。言いたいことが一杯あったのだろう。
”白人”イギリス人のテロリストがいた、ということで、”白人”が疑いの目で見られるようになるか?
ところがどっこい、誰も話題にしておらん。”白人”が無実だとすれば、こうしたテロリストについて非難するのが当然ではないか?こうしたテロリストは自分たちの地域社会から駆除すると宣言すべきではないか?
The rules of the game have changed. We must stop white young men being radicalised. We must go into their communities and throw huge amounts of money at any effort to rein them in. We must put up CCTV cameras at all places where white people gather – the opera, public schools, Oxford and Cambridge universities.
政府は、”白人”の家々を取り締まり、監視すべきではないか?”白人”が過激化するのを阻止する努力をすべきではないか?
キャメロンなどの政治家たちは、”白人”の歴史、”白人”の言葉”白人”の戦争だけ教わって育ってきたーーー彼等の精神は歪んでおる。まして、彼等は核兵器を持っている。我々の街や村を核攻撃されるなんてまっぴらだ。このような危険な時代に”白人”の人権を擁護するなんて贅沢はしていられない。
ーーーー要するに、イスラム教徒テロリストと”白人”テロリストが発生したときの”白人”社会の2重基準を皮肉っているわけですね。イスラム教徒テロリストが出現して恐怖に陥っている”白人”の基準を”白人”テロリストが出現したときに適用すれば上記のようになるが、そうなっていないのはこれいかに?と。
これについては、日本人 vs 外国人 との対比で外国人から日本人に対して2重基準を使っているのではないか、と同様な非難をされることがあるわけですね。
いずれにせよ、ここでも
ということでしょう。
我々も注意しなくてはいけない。
コメント欄で出羽守という言葉が出てきた。ぼくは知らなかった。ググると、
『出羽守』とは?
とうことだそうである。
わりにおもしろいで体系的に整理してみたいとも思うのだが、ちょっといまは無理。でも、ちょこっと思いついたことだけふれておくと、
XとYでは習慣が異なるから、ただちに3)という結論になるには、論者にかなり傲慢な前提というか態度がある。
例えば、XとYは同じであるべきである。Yが進歩するとXになる、といった前提があるのだろう。
こうした議論はよく聞かれるのだがーーー(Xが日本で、Yが他国、ということもある)ーーー
というところですでに間違っていることも多い。
1)米国では外国人差別はない、なんていうのも嘘である。仮に外国人が差別として取り上げられなくても例えば、人種差別・移民差別としては多くとりあげられており、
場合も多い。
ということもある。
米国では左側運転であり、、日本では右側運転であるが、だからといって、日本がが右側運転しなくてはいけない理由はない。交通規則の趣旨は、円滑な交通活動ということだからである。
あるいは、米国では視線を感じないが、日本では感じることが多い。確かに違いはあるが、しかし、米国でも外見的に少数者には視線が向かう。事情は同じなわけである。
極端な例でいうと、ある地域ではある年齢以上の人は同意の上餓死させる習慣がある、とする。
残酷で道義的に誤った習慣のように思えるが、食糧事情が我々と異なり、それが著しく不足し、地域社会が存続していくには致し方ない条件があるのかもしれない。仮に、我々も同じような条件にさらされたら同じような選択をする可能性はある。常識的十戒であげたようにわりに道義的価値観の根本はグローバルなものが多い。
”黒人”がフライドチキンを食べているCMは”黒人”とフライドチキンを重ね合わせて固定観念化し、からかっていた習慣・歴史がある社会では不謹慎であるが、そうでない、社会ではなんともない風景。
また、議論としては、Relativism 非相対主義がたいていは妥当するが、しかし、moral relativityがあげるような複雑な問題もある、といったところで・・・・お茶をにごしておきたい。
ドイツ
RIGHT-WING EXTREMISM | 21.12.2010
German police raid homes of suspected neo-Nazis
ドイツで6才くらいから外人はユダヤ人はドイツにとって脅威だ、と教え込んでいた極右団体が取り締まりを受けた、と。この記事のリンク。
HISTORY | 29.10.2010
Opinion: Germany's Nazi history is clouded by myths
ドイツでは大衆はナチが何をしているか戦後ようやくわかった、などなどといった神話があるが、とんでもない話だ、と。
右翼の問題でも、歴史問題でもドイツでもーーーあるいは英米でもーーーあるわけですが、日本の場合だととかく特派員が注目しやすい。もう型にはまった眼鏡でみている。
米国と言えば、殺人、とかの連想しかなくて、その殺人の枠組みから米国社会の内部、あるいは外交をみると、そういった事例は一杯でてくるわけですね。で、そうした事例は特に嘘とはいえない。そこで「ああやっぱり」となる。で、そうした偏見が強化されて、また似たような事例を特派員が扱う、といった正のフィードバックというか、とにかく増強されていく。アメリカ人にとっては、ああ、また殺人ネタか、と飽きるでしょうし、おまいらなにいってんや・・・勝手にしろ・・・・といいたくもなると思います。そして、他の国の事例を出すと、「いまは米国の話をしているのであって、他国は関係ない、米国も反省すべきは反省しなさい」とやられる。
こうしたことを日本についてやられている。日本人はやはり、2重基準に嫌気がさしてきている。
一つの国においての少数者に対する偏見、あるいは、国際社会におけるある少数国家・国民に対する偏見というのはかくの如きものであって、我々も十分注意する必要があると思うのであります。
ガーディアン 中国ネタ
China's ability to feed its people questioned by UN expert
Shrinking arable land making it harder to maintain agricultural output, says Olivier De Schutter, as food prices surge in China
Jonathan Watts in Beijing
guardian.co.uk, Thursday 23 December 2010
耕作可能な土地が少なくなって国民を食わせていけなくなるのではないか?と。
これは日本の池上さんの番組でも、たしか、中国や中東が諸外国で農作地を買い占めている、というようなのをやっていた気がする。もっとも、日本の食糧自給率の低さも指摘していた。
というように、日本でも深刻な問題なわけだが、やはり、中国のやることが目につくようになってきたのだろう、ガーディアンも中国ネタで攻めている。
Chinese Passengers Beat Unruly Foreigner On Guangzhou Metro
230 comments by Fauna on Wednesday, December 22, 2010
via mozu
電車で暴れる外国人を中国人乗客がみんなでやっつけましたというニュース。
ということだが、これ、当然・・・と言ってよいと思うが、
1)電車の中で挑発する”白人”も悪い。
2)それに暴力で対抗した中国人も悪い。
コメントのなかで、中国人も電車のなかで酔っぱらってやっていることがあるのに外人がやるとニュースになるのかい?、というのがあるが、それはあるかもしれない。そして、それで諍いになることもあるだろう。
少数者というのはしかし、そういう存在なのである。目立ってしまう。イギリスでムスリムがこの”白人”のようなことをしたらデリメあたりが記事にするのではないか?
そのイギリス
Beware of the bearded white man
That young white man with the rucksack, is he a terrorist? I can't help wonder after news of the white British al-Qaida members
Joseph Harker
guardian.co.uk, Thursday 23 December 2010 10.21 GMT
”白人”イギリス人のアルカイーダがいた、ということで論者の筆致は活き活きとしている。言いたいことが一杯あったのだろう。
Since I heard the news last week I've been terrified. Could it be him? Could it be her? Every time I get on the train or bus. Every time I go into a shop. There they are. Looking so ordinary – but are they about to blow themselves up, taking all us innocent passersby with them?
Yes, since the news emerged that two white British al-Qaida members had been killed in a US drone attack, I can't help wondering if all white people are potential terrorists. I'm sure only a small minority are actively signed up to the jihadists; but what about the others? Are they sympathisers?
That young white man opposite me with the rucksack: what's in there? Please, don't make any sudden movements.
Some look blatantly sinister, especially those with beards. The others: well, you just don't know if they're simply trying to blend in.
”白人”イギリス人のテロリストがいた、ということで、”白人”が疑いの目で見られるようになるか?
And what's really got me since last Thursday is that no one wants to talk about it. As if white people are pretending it never happened. If they're really innocent, shouldn't they be declaring at every opportunity that they condemn the terrorists, and that they promise to root out the extremists from their community? All I hear is a deafening silence. I think we can draw our own conclusions.
ところがどっこい、誰も話題にしておらん。”白人”が無実だとすれば、こうしたテロリストについて非難するのが当然ではないか?こうしたテロリストは自分たちの地域社会から駆除すると宣言すべきではないか?
And what about their leaders? Have David Cameron or Nick Clegg rounded up all associates of these young men? I've heard of no armed raids on their homes. Yes, most high-profile "terror plot" raids – there were more in four cities on Monday – result in no charges, let alone convictions (in fact, only one in seven terrorism arrests last year led to terrorism charges); but surely they are an effective way of keeping the threat of terrorism high in the public consciousness.
The rules of the game have changed. We must stop white young men being radicalised. We must go into their communities and throw huge amounts of money at any effort to rein them in. We must put up CCTV cameras at all places where white people gather – the opera, public schools, Oxford and Cambridge universities.
政府は、”白人”の家々を取り締まり、監視すべきではないか?”白人”が過激化するのを阻止する努力をすべきではないか?
It's clear: the multicultural experiment has failed. When you realise that Cameron and Clegg were raised in these segregated schools, where they were taught endlessly about white history, white languages and white wars, it's hardly surprising their young minds were so distorted.
And what makes this all so much more terrifying, is that their state has nuclear weapons. I hear all those liberal voices saying "you can't treat a whole population with suspicion because of the actions of a tiny bunch of extremists". Well, can we really take the risk of them nuking one of our major cities? Protecting white people's civil liberties at a time like this is a luxury we can no longer afford.
キャメロンなどの政治家たちは、”白人”の歴史、”白人”の言葉”白人”の戦争だけ教わって育ってきたーーー彼等の精神は歪んでおる。まして、彼等は核兵器を持っている。我々の街や村を核攻撃されるなんてまっぴらだ。このような危険な時代に”白人”の人権を擁護するなんて贅沢はしていられない。
ーーーー要するに、イスラム教徒テロリストと”白人”テロリストが発生したときの”白人”社会の2重基準を皮肉っているわけですね。イスラム教徒テロリストが出現して恐怖に陥っている”白人”の基準を”白人”テロリストが出現したときに適用すれば上記のようになるが、そうなっていないのはこれいかに?と。
これについては、日本人 vs 外国人 との対比で外国人から日本人に対して2重基準を使っているのではないか、と同様な非難をされることがあるわけですね。
いずれにせよ、ここでも
少数者は未知であり、
一部が全体を代表するかのように思われがちで、かつ、
一部が極端な行動をとって不安をかき立てると、全体に嫌疑がかかり、全体が脅威の対象になりやすい、
ということでしょう。
我々も注意しなくてはいけない。
コメント欄で出羽守という言葉が出てきた。ぼくは知らなかった。ググると、
『出羽守』とは?
産経抄
10日ほど前の小欄で,「出羽守」という言葉を使ったところ,どういう意味かと,読者の皆さんから問い合わせがあった。アメリカでは,などと主に欧米諸国を引き合いに出して,日本批判を展開する人のことをいう
とうことだそうである。
わりにおもしろいで体系的に整理してみたいとも思うのだが、ちょっといまは無理。でも、ちょこっと思いついたことだけふれておくと、
(1)X(例えば米国)ではPである。
(2)Y(例えば日本)ではQである。(P≠Q)
(3)Yはおかしい・YもPであるべきである。
XとYでは習慣が異なるから、ただちに3)という結論になるには、論者にかなり傲慢な前提というか態度がある。
例えば、XとYは同じであるべきである。Yが進歩するとXになる、といった前提があるのだろう。
こうした議論はよく聞かれるのだがーーー(Xが日本で、Yが他国、ということもある)ーーー
あ)本当にPか?
というところですでに間違っていることも多い。
1)米国では外国人差別はない、なんていうのも嘘である。仮に外国人が差別として取り上げられなくても例えば、人種差別・移民差別としては多くとりあげられており、
い)外見とは違ってXにも、Qと類似の事例がある。
場合も多い。
う)Pである、Qである趣旨・事情は同じではないか?
ということもある。
米国では左側運転であり、、日本では右側運転であるが、だからといって、日本がが右側運転しなくてはいけない理由はない。交通規則の趣旨は、円滑な交通活動ということだからである。
あるいは、米国では視線を感じないが、日本では感じることが多い。確かに違いはあるが、しかし、米国でも外見的に少数者には視線が向かう。事情は同じなわけである。
え)事情・条件が異なるが、目的は同じではないか?
極端な例でいうと、ある地域ではある年齢以上の人は同意の上餓死させる習慣がある、とする。
残酷で道義的に誤った習慣のように思えるが、食糧事情が我々と異なり、それが著しく不足し、地域社会が存続していくには致し方ない条件があるのかもしれない。仮に、我々も同じような条件にさらされたら同じような選択をする可能性はある。常識的十戒であげたようにわりに道義的価値観の根本はグローバルなものが多い。
お)記号の意味、効果、付随するメッセージが違う。
”黒人”がフライドチキンを食べているCMは”黒人”とフライドチキンを重ね合わせて固定観念化し、からかっていた習慣・歴史がある社会では不謹慎であるが、そうでない、社会ではなんともない風景。
また、議論としては、Relativism 非相対主義がたいていは妥当するが、しかし、moral relativityがあげるような複雑な問題もある、といったところで・・・・お茶をにごしておきたい。
ドイツ
RIGHT-WING EXTREMISM | 21.12.2010
German police raid homes of suspected neo-Nazis
Just like Hitler Youth's camps
The HDJ organization ran camps in the style of the Hitler Youth
The HDJ was banned by the then German interior minister, Wolfgang Schaeuble in March of 2009, because the group had run camps based on the model of the Hitler Youth, teaching children as young as six that foreigners and Jews were a threat to the nation. According to police, after the HDJ was banned, former members continued their work in the guise of the Young National Democrats.
ドイツで6才くらいから外人はユダヤ人はドイツにとって脅威だ、と教え込んでいた極右団体が取り締まりを受けた、と。この記事のリンク。
HISTORY | 29.10.2010
Opinion: Germany's Nazi history is clouded by myths
After 1945, German society was always looking for the "good," for the "other Germany" - the "other Germany" that had remained innocent, that had perhaps not been openly resistant, but did not allow itself to be sucked into Nazi ideology; which had remained resistant, which had rejected the Nazi madness, and of which one might even be proud. Because it wanted a fresh start, the young Germany did not think it could live with the weight of such a large feeling of guilt.
Myths and collective guilt
And in this way the yarn was spun: first came the myth that many Germans had only found out about the Holocaust in 1945 from the Allies. The myth was born that only a small group around Hitler had known what had happened in concentration camps like Auschwitz and Dachau. The Germans were a nation led astray. This position was also of course a reaction to the similarly blanket collective guilt theory purported by the Allies after the war.
Then came the myth of the armed forces: that the soldiers had played almost no part in Hitler's atrocities - and besides that everything had been carried out under orders.
Both theories were exposed by historians as false only decades later, from the 1970s, through studies, books and exhibitions. Large parts of the population knew not only why Jewish friends and neighbors had suddenly disappeared, but they had also assisted with this disappearance. Soldiers took part in shooting Jews - voluntarily and not under orders. But again it took years and decades, well into the 1990s, until this knowledge resulted in a public debate and led to a real demystification.
Where the myth certainly still existed was in the Foreign Office, one of the last places where the fairy tale of the "other Germany" could live on. The solidarity of the diplomats worked so well and perhaps the respect for the future German President Richard von Weizsaecker was too great. Weizsaecker's father Ernst was a top diplomat, who supported the Nazi ideology in the Foreign Office. But Germany's longing for this "other Germany", which existed much less than most Germans had thought, was also too great
ドイツでは大衆はナチが何をしているか戦後ようやくわかった、などなどといった神話があるが、とんでもない話だ、と。
右翼の問題でも、歴史問題でもドイツでもーーーあるいは英米でもーーーあるわけですが、日本の場合だととかく特派員が注目しやすい。もう型にはまった眼鏡でみている。
米国と言えば、殺人、とかの連想しかなくて、その殺人の枠組みから米国社会の内部、あるいは外交をみると、そういった事例は一杯でてくるわけですね。で、そうした事例は特に嘘とはいえない。そこで「ああやっぱり」となる。で、そうした偏見が強化されて、また似たような事例を特派員が扱う、といった正のフィードバックというか、とにかく増強されていく。アメリカ人にとっては、ああ、また殺人ネタか、と飽きるでしょうし、おまいらなにいってんや・・・勝手にしろ・・・・といいたくもなると思います。そして、他の国の事例を出すと、「いまは米国の話をしているのであって、他国は関係ない、米国も反省すべきは反省しなさい」とやられる。
こうしたことを日本についてやられている。日本人はやはり、2重基準に嫌気がさしてきている。
一つの国においての少数者に対する偏見、あるいは、国際社会におけるある少数国家・国民に対する偏見というのはかくの如きものであって、我々も十分注意する必要があると思うのであります。