ぼやかせていただいております。

アイス値上げ

2008年02月29日 20時11分24秒 | Weblog
ロッテもアイス値上げふざけるな!!!おれの大好物のアイスクリーム。
ハナマサでオーストラリアのでかいチョコアイスを買う。オクシのマットさんの国への義理もたつ。
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不法在留者

2008年02月29日 20時08分50秒 | Weblog
不法残留2万人減 法務省まとめ

2008年02月29日16時29分

 国内にいる「不法残留」の外国人数は1月1日現在で14万9785人にのぼり、前年に比べて12.3%、2万1054人減ったことが29日、法務省のまとめで明らかになった。現在の不法入国者2万4000人(推計値)とあわせると、不法滞在の外国人数は約17万4000人となる。

 政府は08年までの5年間で不法滞在者を25万人から12万5000人に半減させる目標を掲げているが、これまでの4年間で約7万6000人減っているという。法務省によると、不法残留者の減少数が2万人を上回るのは昨年に続き2年連続。

 一方、昨年1年間で不法入国しようとして上陸拒否された外国人は1万424人だった。このうちの128人は昨年11月に導入された入国時の指紋採取制度によるもの。法務省は「別の旅券で入国しようとする人など、これまでなら発見できなかったケースが多い」と効果を強調する魚拓

記録のため
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記事 Equality of Opportunity

2008年02月29日 19時52分44秒 | Weblog
Equality of Opportunity
 一部プリントしてさらった読んできた記事。メモ風に自分なりにおおざっぱにまとめてみる。

 医者や弁護士あるいは、大企業の取締役など社会に対して影響力もあり、また、給料も高い職業や、地位がある。身分制度はこうした地位につき、身分で定めていたが、現代ではそうした身分は廃しされた。もっともいかなる社会ならそうした言わば不平等な配分を正当化できるか?

1 リバタリアン(ノチックなど)
他人の財産権・生命権を侵害しないで、かつ誰にも開かれている→機会平等

According to the Lockean libertarian, a white male landowner who wishes to hire laborers to work his fields may refuse to hire people of any religion, ethnicity, sex, sexual orientation, or the like that he chooses to regard as a bar to employability. Or he can decide to hire blacks and women and Hindus only for low-skill jobs and whites and men and Christians exclusively for skilled and managerial jobs

 本説によれば、白人がある特定に宗教の人を排除したり、あるいは、黒人を肉体労働、白人を管理義務にそえて、上記条件をそなえている限り問題ない。
ただ、それを強制する法律は不当、というわけである。

2 形式的機会平等
誰にでも開かれていること、
能力によってまたそれのみによって評価される→機会平等

本説によれば、金持ちの子どもがその恵まれた環境によって能力を高めて、優秀な大学・企業に入ったとしても、貧乏人の子どもの機会の平等は侵害されていない。

3 実質的機会の平等

1)公正論から(ロールズなど)
貧富の差にかかわらず、野心と才能が同等ならば同等な成功率⇒機会平等

本説によれば、金持ちが子どもにいい塾に通わせるなら、貧乏人もそれができるようにする。また、教育熱心な親に生まれ子どもとそうでない子どもとでは不平等が生じるからこれも何らかの形で相殺される。

2)責任論から(ドーキンなど)
押しつけられた環境以外で自分が選択したことのみ責任が負えるから、責任の負えない環境が均一化されることが機会平等

本説では、家庭環境、遺伝子環境なども含めて自分では制御できないような環境が均一化・補償されてこそ社会正義が実現される、という。

*なお、2と3の中間に形式的平等と+アルファのいくつかのバリエーションの説がある。

統計的差別については、
what is objectionable is wrongful discrimination. Distinguishing wrongful from innocent discrimination is tricky (Alexander, 1992). Statistical discrimination is not per se wrong. A black man may take black skin to be roughly correlated with traits such as common experiences and outlook that he values in friends, and prefer blacks as friends on this basis. This is surely not morally wrong. Nor would it be wrong to desire on the same basis to be employed in a firm that employs mainly blacks. It might well be the case, however, that acting on such a desire in concert with others might have significant negative consequences for others. Heterosexuals flocking together in the workplace might tend sharply to limit employment opportunities available to nonheterosexuals. On grounds of equal opportunity, then, law and social custom might be framed to restrict or prohibit acting on the desire to club together with others whom one identifies as like oneself in certain salient ways, even though this sort of discrimination is not deemed per se wrong.

要するに統計的差別自体が倫理的に悪というわけではない。
要はそうした統計的差別を社会が、以上のような説・理念に従ってどう把握するかである。
例えば、リバタリアンであれば問題にしないだろうし、形式的機会平等論者にとっても、
As so far specified, formal equality of opportunity requires that applicants be assessed by appropriate criteria relevant to performance on the post and that the most qualified candidate be offered the post. But it would be excessively demanding to require that no expense be spared to discover, so far as is possible, which candidate is really most qualified. If the general idea of formal equality of opportunity in a market setting is that all agents must be treated equally as potential means of gain, then those means of selecting candidates should be required that maximize the hiring firm's prospects for gain. Seen this way, statistical discrimination would not violate formal equality of opportunity.

つまり、手間暇を考えて、厳密に能力によって判別するのを要求するのが、酷であり、統計的差別に基づく選別が会社の利益を最大化しているならば、採用候補者が、統計的差別に基づいて選別されていても、潜在的利益獲得の手段としては平等に取り扱われているわけだから、形式的平等の原則には反しないことになる。

 自由市場原理との関係で
If one refuses to hire Catholics or Jews or women even when they are most qualified, the product one offers for sale will be more costly to produce as a result,
....... On this basis one might speculate that competitive markets will tend to drive out such discrimination. However, if large numbers of people share a discriminatory social norm, one can see that the market will reward compliance with the norm and punish noncompliance, so there will in that case be no tendency for the market to squeeze out discriminatory behavior

 能力に基づかない選別をしていればコストがかかり競争社会ではやっていけないから自由市場では、能力以外による差別がなくなるという仮説も成立するが、消費者の側が例えばユダヤ人の作ったものを買わないといったひどく偏向した社会では、そうとも言えない。
 いずれにせよ、機会平等に関して上記のようにいかなる説を採るかで、この問題の対処の仕方も異なる。

 積極的差別是正策についても同様である。
Formal equality of opportunity might be regarded by some as a strict deontological requirement ("Don’t discriminate on the basis of race, sex, creed, or color!") which one should never violate even to seek to achieve some morally desirable goal--even the extent to which formal equality of opportunity is fulfilled over the long run in the society as a whole.

 仮に、形式的機会平等を絶対的価値として、いかなる状況でも絶対に、人種性別信条などによって差別してはいけない、 とするなら、積極的是正策も逆差別であり禁止されることになる。
要するに、そこらへんをまず、押さえておかなくてはならないと思う。
で、以前も積極的差別是正策については少し書いたけど、この論題については、日本の差別状況の現状なども考慮しながらももう少しあたためてみたい。
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多重国籍

2008年02月29日 08時00分04秒 | Weblog
有道さんのところで重国籍の話をしている。
多重国籍に関しては、
多重国籍の場合、複数の国家から国民としての義務の履行を要求されたり、いずれの国家の外交的保護を認めるかという点で紛糾を生じる場合があるウィキー

要するに、法的義務の衝突が起きやすい、ということですね。
重国籍を認めるべき、という議論は、

Japan needs to maintain and grow its population, not shrink it.

とされている。しかし、例えば、現在の在日外国人に国籍を与えれば確かに、名目上の人口は増えるが日本の国家、あるいは、現在の日本国国籍保持者にとってメリットがあるかとういと、かわらない。
And chances are that many of those people living abroad are either decent wage earners contributing tax back to Japan, retirees who take their health care costs with them, or simply good emissaries for Japanese culture…”

税金に関して言えば、
我が国の所得税法では、個人の納税義務者を「居住者」と「非居住者」に、法人を「内国法人」と「外国法人」とに分けた上で、「非居住者や外国法人」に対する課税の範囲を「国内源泉所得に限る。」こととされています。
 従って「非居住者や外国法人」に対する課税がどのようになるかを考えるときには、まず第一に「非居住者や外国法人」に該当するかどうか、次にその収入が「国内源泉所得」に該当するかどうかをはっきりと区分することが大切になります。
国税庁

だから、別になんということはない。また、健康管理コストに関しては、特に試算されたことがないが、例えば、いよいよ寝たきりになった場合、日本に帰ってくると場合も多かろう。日本文化の発信に関しては、国籍とは関係ない。
We think it’s a morally bankrupt question to force on those kids. It thrusts upon them the cold reality of the Japanese judicial concept of one allegiance, one home

たしかに、国籍選択を迫る場合、子どもの負担になることはあり得る。しかし、一つを選択したところで、文化的精神的な母国父国がなくなってしまうわけではない。
If the child’s parent is from a first world country, then the choice is more likely to be for the other country.

And so Japan loses one potential contributor to its future, and gains a less than happy second one.

これはおかしい。
貧乏な国の子どもは日本の国籍を選び、一等国の子どもは日本国籍を捨てる、というのが正しいかどうか? これは非常な偏見である。多くの北朝鮮籍、韓国籍の人々が日本国籍を選んでいないし、仮に彼らが日本国籍を選んだとして差別されるとは限らないし、不幸になるとも限らない。不幸になるなら、なぜ、もう一つの国をえらばないのか?また、他国選んだ在日外国人が日本に貢献しない、などということは、現在多数いる在日外国人に対する侮辱であろう。

因みに米国の場合、
米国の場合
結果として、以下のような場合だけが、米国籍を喪失したと判断されます。

pointer領事の面前で書面により、米国籍を正式に放棄した方。

pointer外国政府で政策にかかわる地位の職業に就いている方。

pointer反逆罪で有罪判決を受けた方。

pointer国籍喪失行為が米国籍を離脱する意志があったと判断せざるを得ないような行為を伴っている方。(このようなケースは非常に稀です。)在日米国大使館

となっている。

 なるほど、多重国籍に関しては国家の利益不利益、当事者の利益不利益に関して様々な議論がありえよう。本稿ではようするに、当事者にとって便利、という以外に国家の利益の面で特に説得的な議論はない。 しかし、国籍唯一の原則にたったからといって、人権を侵害したとはいえない。オクシデンタリズムのコメントにあったが、例えば、医療福祉をうけるためだけに、カナダ国籍を取る者がいるという。これは国家に対してかなり負担になる。
 いずれにせよ、賛否がありどちらか一方に決定的な理由付けがあるわけではない。
とすれば、それは、主権国家としての選択にゆだねてよいのであり、先進国云々がしているからという議論は、先進国以外を馬鹿にした傲慢な議論と言わざる得ない。
国家内部における基本的人権を侵害しない限りで、多文化共生が多くの価値観をなるべく認めるというものであるとすれば、同様に、国家間において、多用な価値判断が認められてしかるべきであり、欧米の先進国がやっているのにやっていないから後進的だという議論はあまりにも専制的、植民地的発想の残滓と言わざる得ない。
 


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本 How to Read Heidegger

2008年02月29日 05時47分17秒 | Weblog
How to Read Heideggerこのまえ紀伊国屋いってプラプラしていて買った本。ハイデガー関連は本当久しぶり。入門書の手前。20世紀一番影響力のあった思想家ってどんなひとってさらっと知りたい人にお勧め。わかりやすい。
 哲学者の用語ってのはその人独自なものが多いが、例えば、ハイデガーの「世界」とは科学の対象となる物理的な宇宙とか、伝統的な哲学の実在とは違って、人や物事を意味あるものとして整序する全体。
とすれば、例えば、俗な歌詞

Why does the sun go on shining?
Why does the sea rush to shore?
Don't they know it's the end of the world

なぜ太陽はまだ輝いているの
なぜ波は浜辺に打ち寄せるの
知らないのね これが世界の終わりだってことを

The End of the World (Skeeter Davis)
なんかも理解しやすい。彼氏がいなくなって世界の意味がなくちゃってわけね。

 芸術作品ってのは、物事を正しく表象するわけじゃなくて、新たなあり方の開示として真実を全体としてとして美しく輝かせるわけ。
で、そうしたあり方の一つとして、当時の国家社会主義のへの自分を犠牲にしていくこともいれちゃって、例のごとく、短い期間であるにせよ、ナチとの関係云々が取りざたされるわけ。

 いったん書いたのがポコっと消えちゃって、むかつきながら手短に書き直した。
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Gaijin Nose

2008年02月28日 21時27分24秒 | Weblog
Japan Probeで、ものまねでつけ鼻をつけるのは、外人のときだけじゃないとして、あげられている例 小泉&安倍総理の風刺コント(YouTube)
もっとも外国人の鼻高々が日本人にインパクトを与えたのは否めない。写真は当時描かれたシーボルトの絵である。この前パラッっとみた大江戸異人往来のなかにあった。


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シャーリー・マクレーンさんの娘

2008年02月28日 10時56分09秒 | Weblog

サチ・パーカー:オスカー女優の娘が日本映画初主演 映画「西の魔女が死んだ」(毎日)
似ているといえば、確かに似ているーーーシャーリー・マクレーン
その娘が日本の子役に「本当のおばあちゃんに思えて、自然にセリフがポロッと出てきました」と言われるのだからーーーー時間が幻だなんて、誰がいったのですか?
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中国、意外に冷静 対日反則サッカー

2008年02月28日 10時32分50秒 | Weblog
日本の評判さんの中国記事をみると、例の対日本サッカーの関する中国人の反応が思ったより冷静なのでちょっと驚いた。
 因みに、
岡田監督の言として、
実際、日本チームの岡田武史監督も、試合後怒りをあらわにした。「選手たちは冷静に試合を行ったが、やはり怪我人が出た。これは単に審判だけの問題ではない。これには非常に不満だ。」
を中国側が引用しているが、日本の朝日は
日本の岡田監督は「アウェーに行ったら普通のこと。中国ではいつもこう。立ち上がりの失点にも影響はしていなかったと思う」と話した
と書いている。
 朝日、冷静さを失ったのか?
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死に対する態度

2008年02月28日 04時48分43秒 | Weblog
依存症の独り言さんが、岡田資氏のサイトを引用している。映画「明日への遺言」で有名になったらしい。おれは見ていない。
 また、おれは、帝国陸軍について云々するほど知識がない。しかし、こうした死への態度はなにか厳粛な畏敬を感じる。
昔、森鴎外が、
西洋人は死を恐れないのは野蛮人の性質だと云つてゐる。自分は西洋人の謂(い)ふ野蛮人といふものかも知れないと思ふ。さう思ふと同時に、小さい時二親(ふたおや)が、侍(さむらひ)の家に生れたのだから、切腹といふことが出来なくてはならないと度々諭(さと)したことを思ひ出す。その時も肉体の痛みがあるだらうと思つて、其痛みを忍ばなくてはなるまいと思つたことを思ひ出す。そしていよいよ所謂(いはゆる)野蛮人かも知れないと思ふ。併しその西洋人の見解が尤もだと承服することは出来ない。妄想
書いていたのを読んだときいたく感動した覚えがある。
 かつての日本人、少なくとも少なからぬ日本人が抱いていた覚悟なのだろうか?
戦争とか野蛮とかではなくて、あるいは、三島のように死を演出するのでもない。
そうした、死に対するきっぱりとした態度におれは感動する。
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本 大江戸異人往来

2008年02月28日 03時43分34秒 | Weblog
大江戸異人往来これは愛蔵太さんのブログで紹介されていて興味を持った本。これもさっきちょろっと、というようり、ぱらっとめくってみた。
34
外国人の身体が日本の国家の権威を強化した

つまり、徳のあるところにはいろんな人が集まるという儒教の思想が背景になっている、というわけだけが、現代日本人のなかにもいるね、外国人といっしょにいて英語をしゃべっていると妙に得意そうなのが・・・てか、おれの偏見?

49
日本の当局者たちの態度はヨーロッパの人のそれより、遙かに寛大なものであってトゥーペリの記しているところでは日本人が嫌悪していたのは黒ん坊(ママ)それ自体ではなく、彼らの遇され方だったのである。日本人の自由感覚を褒めてこんなことを書いている。「日本の民はオランダ人の為す非人間的な奴隷交易を蛇蝎(だかつ)の如く憎み、これら哀れな者たちが残酷に扱われるのを憎んでいる。」「オランダの人、拂林狗を甚だ愛して、黒奴の命は此狗より軽んず。と言って憤慨しているのは森島中良である。

やっぱな。

90
何週間にもわたる女ひでりの船乗りたちが長崎に着くと、頭はもう性のことで一杯だ。幸いというか何というか、長崎には巨大な遊郭があって(当時の九州では最大の廓だった)オランダ人ちはおおいにひいきにした

といっても当時は性があけすけだったから、遊女の方もよい金儲けの手段にしていたらしい。
104
オランダ人たちが日本での性の扱いのおおらかさを大いに享楽したのは無論である。こうしたことにヨーロッパ人はずっと厳しかったし少なくとも偽善的であった。

まあ、いまでもかわらないじゃないか?

こうして性的交渉が続けば当然「ハーフ」もできる。
父親が帰った後遊女の娘として育つ子どももいれば、日本人の中にとけ込むものもいただろう(110)
113
前近代に日本を訪れた外国人の多くが日本に男同士の同性愛が瀰漫していることに目を見張っている。

まあ、西洋にも瀰漫していたんだろうが、日本では公認だったわけである。
むしろ、日本の場合、こうしたあけすけの性から、西洋文化の吸収による禁圧の方にセックスリボルーションがあったのかもしれない。
182
そもそも「虚言」が真実を圧するのが遊郭の世界であろう」

別に本書の主題に関係するわけではないが、キャバクラのおねえちゃんに恋してしまう若者がいたので、これは面白い名言だと思った。

まっ、ぱらっとだから・・・
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本 イスラーム哲学の原像

2008年02月28日 01時28分03秒 | Weblog
イスラーム哲学の原像 (岩波新書 黄版 119) (新書)
井筒 俊彦

 mozu様が以前井筒氏の著書を推薦していたから読んだ本。さっきちょっろっと読んできた。
 最近はご無沙汰しているが昔は、日本や中国の禅師や鈴木大拙、西田などの系統、あるいはケンウィルバーなんか好きで、感動しながら読んでいたせいか、非常にわかりやすい。講演の形式をとっている、せいもあろう。本書が指摘するように、イスラーム文化圏にアリストテレスの系譜があるならば、なんで今みたいになっちまったんだろう、と思う。本書は、スーフィーの神秘思想に焦点があてられている。

神の自己作用
125
私は隠れた宝物であった。突然私の中にそういう自分を知られたいという欲求が起こった。知られんが為に私は世界を創造した」

まあ、よくある話だ。では、なぜ、そうした欲求が起きたのか?本書では触れていないが、禅ならば、「百花春至為誰開」というところであろう。もう、そこに至ると理由はない、そもそも理由を問う必要もなく、理由もない、理性を超えた境地にあるのだから、問い自体が野暮なのである。

存在
 存在については諸説があるが、一般に、
1 存在は属性である。
2 存在は属性の属性である。
3 存在は命題の量である、
などなどがある。
で、面白いのは
149
スフワラルディは・・・花なら花の本質が我々の目の前に存在している。それをわれわれが花の意識として意識している。この「Xの意識」としての主体的様相をわれわれはXの存在と呼び、それを存在として概念化・・・

これは広松渉の広義の存在の意義に近い。
もっとも神秘思想家たちの存在はそうではなくて
すべての存在者の主語が存在なのである。この意味で上記3に近いが、面白い展開がある。すなわち、
154
存在が存在するのであって、他の何かが存在するのではない。含意するところは、他のなにものも本当の意味では存在しないということ、こうして存在界の一切が無に帰して、その無の闇のそこから形而上学的普遍者としての存在リアリティの光が煌々とと輝き出してくる

という具合に日常的分別された世界が幻と化すのである。
存在が絶対無、あるいは、混沌などと比喩される所以である。

 こうした言説は神秘思想ならではで、普通ならば、例えば、上記3で、存在が量であるならば、猫=量=存在=山、よって、矛盾、よって不合理、よって間違い、ということになる。ところが、神秘思想では、分別の世界がいったん暗闇の無分別の世界にたどり着くから、山が山でなくなり、川が川でなくなる。鈴木大拙が金剛経の禅でつとに強調していた点である。
ところが、先に述べたように神は「突然」自分が知りたくなり、この境地から多者の世界に舞い戻る。そこから多を眺めると、例えば、猫がいる、山がある、という事態は、存在が猫している、山している、ということになるわけである。

話がそれるが、そう言えば、幽玄としての余情が、

「「モノクロームの秋の夕暮の空の様子に触発されるそこはかとなき哀感、美しい女性がうらめしい心をじっとこらえている風情、霧の絶え間からほのかに見える秋の山の奥ゆかしさ」などのように「言葉には直接に表現されず、言外に香気のようにただよう情趣であり、そこはかとなき悲哀の感情が付きまとっている。」リンク

というように、闇の世界と明確に区切られた世界の中間の存在者、あるいは、その両者を担ったようなあり方に美を感じる日本人の感性もおれは面白いと思う。

話戻って、で、その絶対的一者と多の関係はよくあるように鏡と鏡に映る事物、(181)、あるいはインクと文字(195)に比定され、鏡だけを見てもだめ、映った事物だけを見てもだめ、賢者は両方みる、というわけだけあるが、やはり、おれが思うに、鏡に徹して、幼子のように世界を眺めてようやく正気にもどるのだろう。その意味でおれも正気を失っちまっている。

それはいいとして、存在と存在者の関係は歴史的な時間のなかで展開するのではなく、
存在顕現は確かに宇宙的エネルギーの展開であるにしても本来的・・・には、それは無時間的展開つまり、一挙全展開です

ここらへんは時間論のなかで難しいところだが(とりあえず、永遠の慰め参照)、いまのところの、おれは、現在過去未来の区別、前後同時などの区別を含んだ時間が、specious present"(みかけの現在)において運動を知覚するが如き観られる境位なのかな、と思いあぐねている。そうすると永遠の(大きな)今、ということも何となく合点がいくのである。もっとも神秘思想家によればそちらが本物で、区別のほうはそれが仮にあっても問題とならない、does not matter なのであるが。



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日本語はなせない在日外国出身者

2008年02月27日 19時20分38秒 | Weblog
大手銀行が、障害者や高齢者らに利用しやすい(バリアフリー)店舗作りを進めている。全国銀行協会は銀行取引を図式化した絵記号を作成し、聴覚障害者や外国人といった日本語での意思伝達に不安のある人にも、絵記号を指し示すことで従業員に要望を伝えられ、安心してサービスを利用できる。今月半ばから三井住友銀行が全店舗で掲示を始めたほか、みずほ銀行も追随、他行にも広がりそうだ。

 全銀協が作成したのは、口座開設や振り込み、両替、引き出しといったよく使われる銀行取引を、絵記号とともに日本語、英語で表記したデザイン。日本語で意思伝達が難しい利用者も、指し示すことで銀行員に希望の取引を伝えられる。産経魚拓


 何を示しているか、というと在日の外国人で日本語をしゃべれない人が多いのだろう、ということ。
 まあ、それが障害者と同列というのは、要するに、日本語ができないということが
日本社会で機能する上で不利に作用している、ということだろう。もっとも、日本語を話せる、話せないは、本人の努力次第で、そこいらが、他のハンディキャップをもった人々とは異なる。
 まあ、よほど、顧客で日本語がしゃべれない人が多くて大変だったんかもしれんね。 
 しかし、他国で当地の国を言葉をしゃべらないというのは、かなり傲慢だ。
なるほど、国際的な取引の場面で経済的な優劣や、取引の基準などから、英語を通用させる、というのはわかるが、町の銀行というなら、生活の場面での利用ということだろう。ならば、日本語を話すというのが当然ではないか?
 もっとも、だからといって、銀行のこの方針が悪いというわけではない。たしかに、「障害者」の手助けをすること自体はいいことだ。


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もっと働け、クズ

2008年02月27日 19時08分14秒 | Weblog

都の出先機関の東京ウィメンズプラザなどによると、18年度に同施設相談窓口に寄せられたDV相談件数は4956件。このうち、女性の被害相談件数が4828件と圧倒的に多いものの、男性の被害相談件数も23件あった。被害男性の相談内容は「『もっと働け、クズ』などと言葉による暴力を受けた」のほか、「殴られて肋骨(ろっこつ)を折った」「熱湯をかけられた」などの身体的暴力を訴えるケースもあったという。産経2008.2.27 18:23

可哀想に・・・・(>_<)
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日本の将来のシナリオ

2008年02月27日 18時24分53秒 | Weblog
1つのシナリオはニュー・ライトがかなり多くの議員を抱え、主導権をとり、オールド・ライトと連立を組む。守旧派は連立にいても、彼らは残飯で我慢するか絶滅になるかの選択なので、穏やかにならざるを得ない。主導権はあくまでもニュー・ライトだから、政策的に、これはターボチャージの小泉流の政権になる。経済活性化、積極外交によって、日本ブランド力が戻り、日本株も人気が沸く。


 もう1つのシナリオは大連立である。ニューもオールドもレフトもライトも主導権が取れない場合は、大連立になる。結果として、戦っているふりをする福田・小沢暗黙連立政権と変わらない。政策は逆戻りが続き、株価もじり安。


 最後のシナリオは、ニュー・ライトは集まらず、オールド・ライトとオールド・レフトが連立を組む。これは、村山・橋本政権の二の舞になる。国民が民主主義的な方法でこの選択をするなら、金融界がそれを認めざるを得ないが、結果として経済の活性化は当面、絶望的になる。株価は当然弱含むし、財政再建も期待できないので長期金利が上昇し、負債スパイラルになる可能性が出てくる(COLUMN-〔インサイト〕日本変革のカギ握る政策当局と企業リーダー=Mスタンレー フェルドマン氏)

via現役雑誌記者によるブログ日記!

おもしろい。ま、そんなところかな?

第2,第3のシナリオの方が可能性高かったりして。
ま、おれは滅びの美学っても好きだから、ええけど。
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在米日本大使館のていたらく。

2008年02月27日 14時39分38秒 | Weblog
有道氏の今日のブログABCの記事である。
当ブログでも何回か記事にした。

印象
 地政学のmasa.the.manの記事の通りだな。
で、在米日本大使館
The Japanese government would not comment on specific cases of child abduction and in an exclusive statement to ABCNEWS.com never used the word "abduction."

"We sympathize with the plight of parents and children who are faced with issues of this kind, which are increasing in number as international exchange between people expands," reads a statement from the Japanese Embassy in Washington, D.C.

The embassy said that the Hague Convention was inconsistent with Japanese law, but that joining the convention was still under review.

"Regarding the possibility of Japan's joining the Hague Convention, we must point out that [the] Japanese legal system related to child custody is quite different from the underlying concept of the Hague Convention. Japanese courts always take into consideration what the best interest of a child is with respect to each individual case, while the Convention provides the relevant judicial or administration authorities in principle [to] order the return of the child, unless the limited exceptions apply."

これじゃ、だめだ。
なるほど、個人のケースについて言及するのはプライバシーの問題があろうが、しかし、ちゃんと真実を調べたのか?
で、同情するって、あんた、日本の司法のあり方間違っているって暗にいっているんじゃないのかい?その一方で日本の家庭裁判所は子どもの福祉の最大限考慮しているって、ちょっとおかしくね?

この在米日本大使館は慰安婦決議を通過させた同じ大使なんか?
ーーー不要だな、という以上に、害悪だな。


コメント (3)
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