ぼやかせていただいております。

2008年03月31日 06時26分49秒 | Weblog
「ぼけ」と「つっこみ」の実践について改めて、ネット上のお笑いビデオなどで勉強しているが、半ばわかってきたから、すこし飽きてきた。気分転換に「間」について調べてみた。演芸などで言われる

とは、
6 邦楽・舞踊・演劇などで、拍と拍、動作と動作、せりふとせりふなどのあいだの時間的間隔。転じて、リズムやテンポの意に用いる。

ということ。
 ネットで調べてみるとそうした「間」ということはすごい高尚なことのことのように言う人もいる。演芸で、実際の技術としてはたいそうなことなのだろうが、概念的にはそれほどのことでもないらしい。要するに、

間の機能は
注意を集めたり①あるいは、前件の言動の効果・余韻を引き継ぎついだり、②さらにそれを緊張させたり③、あるいは、終了させて、後件に転換する④

ということである。


例をネットから拾うと、
①注意をあつめる
「おはよう」を言う際にも、一瞬間をあけると、相手は「ん?何だろう?」と気になります。リンク

そういえば、昔森重久弥だったか、会場がざわついているとき、マイクの前にたって何もしゃべらないーーー「ん?」と思い、人々が注意を集める、そしてしゃべり始めた、なんてのを読んだことがある。

②前件の効果・余韻
会場の聴衆は、ブーニンのピアノ演奏の最中にいく度も創出されたルフトパウゼ(=「間」)において、直前に演奏された楽音がかもし出すイメージの余韻に浸りつつ、さらに自分なりの音楽的イメージを膨らませていく。リンク

これは、会話などで説明をしたときに相手の「了解」を待ったり、小言のあとの反省を待つ”間”としても重要である。あるいは、言いかけて、暗示する、ときにも使われる。 被害者の親などが会見で途中息をつまらせるときなど、言葉よりもずっと悲しみが伝わる。最後のは次の機能に連続している。


③緊張増加
見得歌舞伎の演技・演出の一。俳優が、感情の高揚した場面で、一瞬動きを停止して、にらむようにして一定のポーズをとること。

聴衆の方は、例えば、歌舞伎ではなく京劇だが、
昔京劇の舞台写真を撮る生活を送っていました。見栄を切る瞬間の「気迫」つまり「気」に圧倒されつつシャッターを切る瞬間はエクスタシーそのものでしたリンクリンク

のような反応をする。あるいは、宝塚の論評で、
ラブシーンでも、歌い踊って「ラブシーンですよ~」という雰囲気、そしてちゅー…(ここに「間」)。「さあ、どうだー」と舞台が投げかけることで、客席は「ああ、そうかー」と感じる。これが「間」なのかもしれないです。リンク


④弛緩・終了
マンガ『エマ』を論評して
・・・母親を侮辱しかねないセリフを口にしたことを、謝ります。それは、ウィリアムもまた母が弱いとは思っていないことの、証でもあると思います。
 そして、次の頁で3人に静寂が訪れます。この静寂の作り出す間が、あの大ゴマの煽り画面が生み出した緊張感を、ほぐして行くのです。緊張したままで、次の場面へ行くのではなく、日常的な夜の場面に行くところでひとときの「間」を置く。・・・・、実に見事な緩急を作り出しています。 リンク


技術者の方から、これをどう使っているかというと、
例えば「時そば」の一説。「そばってのは細くなくっちゃいけないね~、おめえんとこは……太いね」
 文字で書いてもなかなか伝わらないですけど、この「……」で息を吸うわけです。その息を吸う時に、お客さんにも一緒に息を吸ってもらうわけです。そして「太いね」で落とす。その瞬間に吸っていた息を吐きながらお客さんは笑うわけです。「笑い」とは息を吐く行為ですから。
 この「……」が長過ぎたら、お客さんとの呼吸が合わなくなる。吸った息も吐いてしまう。吐いた後に落ちを言ってもお客さんは笑いません。笑えません。
 短くても同じこと。笑わせるための息の吸いを十分させないまま落ちを言ってしまったらこれまたタイミング外すわけです。
・・・・・
「そばってのは細くなくっちゃいけないね、おめえんとこは……太いね」の語りにも、リズムが必要ですね。「振り」は、とととっとテンポよく登って行くように語り、「……」でブレス、「落ち」で一気に下げる。「リズム」と「間」ですリンク

トントンというテンポの良さとして、例えば、圓生などすばらしい。このトントンというリズムが外れると、間が抜ける。すなわち
間抜け
まぬけの「間(ま)」は、時間的な間隔の「間」である。
芝居や舞踏、漫才などで「間」は、音や動作の休止の時間的長短のことを言い、拍子やテンポの意味にも用いられる。
「間が抜ける」ことは、「拍子抜けする」「調子が崩れる」ことで、テンポが合わないことを意味した。
転じて、行動に抜かりがある意味となり、さらに愚鈍な人を罵る言葉になった。
もっとも、お笑いの技術としてつかわれるようで、
桃太郎さんは、なんと言ってもあの間合いが最高でした。普通の人の間とは微妙にズレているのが不快を誘うのではなく笑いを誘って、常識というのが何なのかという本質的な問いを投げかけられたように思われましたリンク

アンガールズなんかは天然だろう。

 先の落語のおっしょさんもいっていたが、呼吸と深く関係する。
 イメージとしては呼吸で、吸って①、吸いきって吐く間隙②③、吐ききって吸う間隙④。そして、吸いきった瞬間、吐き切った瞬間は抵抗不可であり、吸いきって吐く頭、吐ききって吸う頭などは刺激を強く感じる。吸いきれば、吐く、吐ききれば、吸う、ショックすれば息を飲む・つめる、否定して逆らえばすれば緊張する、肯定して順じればゆるむ、己の呼吸より速ければ緊張する、遅ければ弛緩する、吸い切らす技術、吐き切らす技術、そのための、同調やショックする技術などなど・・・

 武道などでは、剣をあげた瞬間に攻撃されたり、あるいは、拳がのびきった瞬間をとらえて相手をとらえ、今度は間断なく誘導する。
 禅の沢庵和尚などは優れた剣の動きを「よえもん」「おっ」というような間髪を入れぬ動きに喩えたが、これは間をいれないことによって、かえって、②の余情や連想がわかない無心の動きを指すのだろう。
 心理学などでは、相手のリズムと同調して、ラポールを得、また、瞬間催眠誘導などは、ハッと息を飲んだ瞬間を使ってトランス状態に誘う。
 もっとも、ここらへんは、「間」というより、「間合い」ないし「機」の問題になってくるのかもしれない。

 

参考
●  間とは何か
話のなかで沈黙を保つ時間を、間といいます。
ただ黙るという沈黙ではなく、話の効果をあげるために、意識してことばを休むことなのです。
間には
・ 話をよくわかってもらうための間
・ 話の内容にあわせて気持を高めるための間
・ 聞き手と同調するための間
●  間の型
・ 話の構造を示す間
・ 了解を待つ間
・ 省略して暗示する間
・ 反省を求める間
・ 強調の間
・ 期待させる間
・ 余韻を残す間 に別けることが出来ますリンク


更新


http://www.nhk.or.jp/deeppeople/log/case110912/index.html
その日の客をどのようにつかむのか…落語家が存分にその個性を発揮するのが、高座に上がってまず話す「まくら」と呼ばれる語りの部分だ。三枝は出番前に必ず観客の様子を確認し、男女の比率や年齢層によってまくらの中身を変え、演目につなげる。「まずは身近な事実があり、それを誇張、飛躍させて話を作っていく」と、笑いを生むオリジナルまくらの作り方を披露した。ちょっと不幸な話をするとお客さんが喜んでくれると語るのは昇太。「お客さんにとって芸人は不幸なぐらいがちょうどいい」という持論の元、失敗談や独身である自分自身の話をネタに笑いをとることが多い。一方、古典落語には決まりのまくらとセットで伝承されているものがある。談春はまくらの段階で客に演目がわかってしまうのを避けるため、自分なりの情報を付け加えるという。落語家にとって「まくら」は落語本編に入るための滑走路のようなものだという昇太の言葉に一同納得。最初に客席を温めることができれば、その後に続く“噺の世界”に気持ち良く飛び立てるのだ。
「指揮者みたいに、お客さんの呼吸を誘導することがある」 春風亭昇太
落語は「間」が命。どこにどれだけ間をとるのかによって、噺の味わいや笑いの量が変わる。三枝は「大爆笑をとる間は一つしかない。遅くても早くてもダメだ」と断言。しかしあらゆる状況によってベストな「間」は変わるものであり、弟子に指導する難しさを明かした。昇太は「お客さんの呼吸を誘導することがあると告白。演者が息を吸うと観客も息を吸う…その間の後におもしろいセリフを言うと、吐く力で爆笑を起こせるのだ。一方談春は、師匠・立川談志に入門した当時、「一言一句真似してこい」と言われたエピソードを披露。「師匠のブレス(息継ぎ)を真似したら、テンポが似てきたと語り、“前座”と“真打”で異なる間の取り方を実演してみせた。昇太は「高座百遍」(同じ落語を百回演じて初めて自分のものにできる)について語り、「なるべくお客さんの前で喋ることで“間の反射神経”を養うしかない
と締めくくった。

自分なりの落語をどう生み出すのか…さらにトークは白熱する。平成の爆笑王・昇太の落語作りは斬新だ。紙に登場人物と大事にしたいキーワードを書き込んで図式化する。場面転換は3つ、「追い詰められる人間の面白さ を描く。この図式だけを頭に入れて高座に上がることもあったというエピソードに、三枝と談春は驚きの声を上げた。一方、三枝は緻密な台本を準備。ギャグ・サゲ(落ち)・ストーリー展開はもちろん、落語にはひねりとメッセージが必要だという。創作落語“初恋”は、「美しい日本語を伝えていってほしい」という三枝の思いが込められている。談春は「登場人物を等身大にする」ことを意識して古典落語をアレンジ。「45の“芝浜”と、50の“芝浜”と、60の“芝浜”は変わっていなければダメだ。」との思いを打ち明けた。今を生きる落語家たちによって、新しい落語が生み出され、古典落語が現代人に寄り添う噺に生まれ変わる…落語は常に進化しているのだ。最後に「落語家に向く人は“ちょっといい加減な人”」と述べた昇太。「ウケなかったら全部自分の責任になる。本当にまじめな人は追い詰められる」たった一人で大勢の観客を笑わせる…落語家という職業の過酷な一面も明らかにされた。

http://ameblo.jp/hearvesayaka/entry-11016303063.html
と語ってて、ピアノと当てはまることが多くて、感心しながら観ました。




「一歩早くても遅くても、だめ。」


間をとって引きつけておいて、ボケる


のだそうで、
ピアノでも間のびしないけど、息のつまらない間というのは、難しい。
ボケはしないけど、いかに休符やちょっとした間で聴いてる人を集中させるかで、次が変わる。

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笑いの認知構造 中間報告

2008年03月30日 05時25分17秒 | Weblog
 エド・はるみ
「笑い」に関する本を数冊読んでみると、やはり、笑いは奥深いのお。この間も、人を笑わす方法―や、桂枝雀のらくご案内などを読んでみたが、まだまだ、わからんことが多い。が、一応つらつらと考えたことの中間報告。因みに、研究中にみつけた、えど・はるみっておもしろいね。

 で、笑いには、まず、満足系と攪乱系がある。前者は生理的にそもそも快なもの、あるいは、「やっぱり」といった期待を充足するもの、後者はむしろ期待から外れるものである。で、認知構造という意味では後者が問題になる。公式的には

 あ、記号 (→い、期待・正規価値)
   ↓
  う、逸脱

となる。つまり、基本的には、ある記号(/能記)から期待されるものからの逸脱したことを認識したとき人は笑う。
 ここで、期待とは、

「そうあるはず」あるいは、「あるべき・すべき(/あるべきではない)」など自然あるいは、価値的な当為、あるいは、また、「あらねばならない(/あってはならない)」こと、掟、規範、価値、エチケット、タブーなどであり、

また、そこからの逸脱とはいってもその逸脱は

1)意外性・・・「なわけない」「筈がない」
または・かつ
2)受容性・・・「絶対あってはならない」というわけではない、「あってもよい」あるいは、「あってほしい」といった受容性があるものでなければならない。
または・かつ
3)関連性 

 ウケない理由というのはいろいろあるが、一つには記号から当然予想される意味を共有していない場合である。外国のジョークなど言葉がわからないということもあるが、そもそもその連想や価値観を共有していないため笑えない事が多い。子どもなどは下ネタの素地となる意味がわからないことが多いので笑わない。笑ったとしても大人とは違う理由であることが多い。同じ理由ならませているのである。(因みに下ネタは、日常ではタブーの話が、満足系のネタであることとも相まって、かつ、裏に抑圧された願望があるから、ウケやすい)。
 また、例えば、「犯人もそこまでばかじゃないでしょう」といって他の人は笑っているのにひとりだけひきつっていれば、その人は犯人である可能性がある。自分のことであり、自分のことをコケにされており、それが受け入れられないから、なかなか笑えないのである。逆に、ある男が残酷にいたぶられているシーンで他の人が嫌悪の表情をしているのに、一人だけニヤついていれば、その人が意外にもいたぶられており、そう願っていたのでニヤついていたのかもしれない。あるいは、予想通りの満足系の笑いかもしれない。
 笑いはしばしばタブーを侵犯するものだから人を怒らす可能性もある。
ナチスドイツ下で、うそか本当か自分の犬を「ヒットラー」と名付けて「お手」「お座り」をさせていた人がいたという話があるが、ある人々にはその裏にある欲求と相まってウケたが、当局からは、大目玉をくらうこと間違いなしだろう。当局にはその逸脱が受け入れられないのである。
 また、例えば、
(税理士事務所面接官)「1+1はなんですか?」
1人目 「それは2に決まっています」
2人目「バカにするつもりですか!」と怒って帰る。
3人目「いくらにしたいんですか?」とニヤッ。
3番目でオチるが、しかし、これが、例えば、「天国です」といったとしても、「はあ?」というだけでウケはしないだろう。記号・期待=主題との関連性がないのである。


 笑いを生み出す側の役割として、

ネタフリ
ボケ
ノル
ツッコミ

の4種類に分類したい。もっともこれには異論がいろいろあるようだが・・
で、フリはおおざっぱに設定、ボケは逸脱、ノルは逸脱を肯定、ツッコミは逸脱=可笑の指摘、否定。

さらに笑いを醸し出す背景として、リズム、間、などがあるが、これは芸一般について言えることで、「間」についてはまた独立に考究したい。(更新参照)
 
これだけの、道具さえあれば、かなり笑いを分析できるように思う。
例えば、
フル・ボケル

(小学生が遠足の準備をしていて)

「ええと、お弁当に、水筒に・・・・・ドストエフスキーの文庫本」

1段 お弁当
2段 水筒に
・・ 間
3段 ドストエフスキーの文庫本
1段2段とフリで同様なものがくると期待させる、間でその注意を集める、そして、その期待を外して3段で落とす=ボケル。
記号にすると
 あ=お弁当、水筒 (→い=お菓子など・・・)
             ↓
            う=ドストエフスキーの文庫本

ノル
課長 (おどけて)「今日ラブホどうだね」
秘書 「課長、ステップというものがございます」

おどけて、というのは一種のボケだが、それを察知するさせるものは、その言葉に通常伴う顔の表情や態度。
あ=「今日ラブホどうだね」(→い=字義通りの意味・まじめな態度・緊張した表情)
              ↓
             う=にやけた顔
(もっとも誤解される可能性もあるし、セクハラで訴えられる可能性もある)
で、ここで、間をあけると、せっかくの課長のおとぼけがシラケル。
そこで、「ノル」というより、乗ってあげるーーーふざけ半分をふざけ半分で返すのである。


ツッコミ

(電話)「えっ、おじいちゃん車にひかれた!!???・・・・あっそう、でも心配ない、うん、よかった。」(ガチャン)
(友人に)「よかったああ・・・・死んだって」
友人「ひどいやっちゃなあ」

あ、よかった(→い、助かった)
         ↓
        う、死んだ。
         ↑
        え、ひどいやっちゃなあ。
   
逸脱を暗に指摘し、その逸脱の否定を前提として、「ひどいやっちゃなあ」と非難しているのである。

 エドはるみ氏のギャグは複合的におもしろい。
まじめそうな顔・きれいな服装・丁寧でお高いことば使い

不真面目な行動・すっとんきょうな声・踊り、相手が大人なのにもかかわらず子ども扱いした言葉内容・
それに「おっぱい」という下ネタ
最後に、浜田ーーちなみにおいらはダウンタウンのネタはあまり可笑しくないのだがーーーしっかりつっこみでどツイている。
 違うバーションでは、グーというネタをやっているが、これはウケたギャクを繰り返す「天丼」という技法らしい。催眠誘導などで、催眠に誘導すると同時にある合図を連合させて次回からはその小さな合図だけで催眠状態を誘導することがあるが、それに似たものだろう。


 以前の記事で、全財産を焼失して大笑いする場合や、処刑台を前にして笑う例があった。生理的に可笑しくなったか、あるいは、狂ったか、とも思える。が、例えば、他人のことなら、そうしたこともありえる。つまり、
ある特定の人の自分に対する嫌がらせ(→永遠に続く→自分の不幸)
                  ↓
   全財産の焼失・その人の死→自分の不幸の消失・地位の逆転など

とすれば、それが自分に向けられていることも考えられる。つまり、例えば、

自分の存在や人生を憎んでいるなら、
生(→苦しみの持続)
  ↓
  処刑台→死→苦しみの消失

あるいは、無≒死が正規で生はそこからの偶然の逸脱だと処刑台にのぼる途中で不図思ったなら、

処刑台(→無)
    ↓
   人生

いろいろ空想すると面白い。

ともかく、ボケとツッコミが笑いの基本である、と思う。「ツッコミという文化はアジア特有のコメディスタイルと見ることが出来る」ということだが、つっこみというのはたんに「あほやなあ」「いい加減にしなさい」といった逸脱の指摘のみならず、見逃されがちな矛盾、可笑しさを見いだす、また、ものごととを創造的に解釈するという点で非常にクリエーティブな作業だということがわかった。(そんなことあたりまえかな?)そこで、もう少し例をあげておきたい、と思ったが、お時間がよろしいようで、今回はここまで。






















 
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表現の自由 反イスラムビデオ

2008年03月30日 01時52分46秒 | Weblog
Occidentalismさんから。
オランダの議員が反イスラムビデオをネットで公開したが、国連のバン氏がヘイトスピーチで、かつ、暴力を誘因するとして非難。
どんなビデオかとビデオをおいてあるサイトをみると、脅迫されて削除とある。でも、一度インターネットに出て、しかも、話題になれば消える筈がない。
簡単にみつかった
内容はというと、イスラム過激派がおかした虐殺、あるいは、排外主義などが、教典コーランに基づくものあり、それをイスラム信者全般がそう思っている、かのように編集。

 不当な一般化や解釈が問題であるのは誰でもわかる。人によって、イスラム信者全般に対して恐怖感をもったり、紛争地域によっては憎しみをもつこともありえる。

 が、イスラム信者に対する暴力を煽っているとはいえない。
 もちろん、優れた作品ではないし、むしろ、恐怖感や憎しみを植え付ける効果がある、あるいは狙っている点では下劣ではある。ただ、放映される地域における宗教対立の激しさにもよるだろうが、暴動を煽るものではない以上検閲の対象にするのは可笑しい。また、脅迫という反応も不適切である。適切な反応は理性的な反論と、ポジティブなイスラムのイメージの流布であろう。

 皮肉なのは、韓国人国連事務総長 潘基文氏が、非難しているところだ。韓国では、似たように、虚実織り交ぜながら、日本人に対して「恐怖感や憎しみ」を煽るビデオで満ちあふれている、というのに。


 


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沖縄集団自決 軍の関与

2008年03月28日 23時46分01秒 | Weblog
「沖縄ノート訴訟」判決、元隊長側の請求を棄却

2008年03月28日(魚拓)


しかし、原告らが命令を出したかについては、命令の伝達経路などがはっきりしないため、「命令したと認定するには躊躇(ちゅうちょ)を覚える」とした。

 そのうえで、「記述は原告らの社会的評価を低下させるが、集団自決に関する学説の状況、文献の存在などを踏まえると、真実と信じる相当の理由があった」と結論づけた。読売

原告側
名誉棄損表現は、梅沢さん、赤松さんが直接集団自決命令を出したかということにかかわっているが、その点については認定できないとしているのに、それとは全く別の事実である軍の関与をもって隊長命令があったという内容の表現を相当だとしたことには論理の飛躍がある。

 軍が集団自決に関与したという事実と無慈悲な部隊が生き残るために、潔く住民は自決せよということで手榴(しゆりゆう)弾などを渡したという命令とはまったく別個の事実だ。別個の事実で隊長の自決命令という人格攻撃や非難を正当化するというのは、論理の飛躍であって到底容認できない。
産経

大江氏側
大江氏「今回、私は2つのことを問題としたい。一つは、私どもは裁判が始まってから、集団自決という言葉を使ったが、沖縄の人が常にいっていたのは『自決ではない』ということ。自決とは例えば、軍人がある責任をとって自ら死ぬこと。沖縄の人が追いつめられて自殺したのは、集団自決とはあたらない。今後使われないことが望ましいと思う。産経

英文
Defamation suit against Kenzaburo Oe over WW2 Okinawa suicides rejected
.....
In handing down the ruling, Presiding Judge Toshimasa Fukami declined to rule on whether commanders had actually ordered civilians to commit suicide, but said that judging from the conditions at the time, "the former Imperial Japanese Army was deeply involved in the mass suicides," and rejected the suit.

The former commanders filed the lawsuit in August 2005 over statements in Oe's "Okinawa Notes," and "Taiheiyo Senso" (Pacific War) by the late Saburo Ienaga, both published by Iwanami. The focus of the case had been on whether the commanders gave the orders, and whether the writings constituted defamation.

Fukami accepted that the military had been deeply involved in the suicides, noting that hand grenades had been handed out for people to commit suicide, and that there were no mass suicides on islands where the Imperial Japanese Army was not stationed. The judge said that on Zamami Island and Tokashiki Island, the military was a top-down organization headed by commanders, and said the involvement of the commanders could be sufficiently inferred and accepted. However, the court said it could not make a judgment on whether orders had been handed down directly.

Commenting on the accuracy of the information in the publications, the court said there were grounds for it based on academic theories and the way textbooks were screened up until fiscal 2005.

According to figures held by the Okinawa Prefectural Peace Memorial Museum, 171 people on Zamami Island and 329 people on Tokashiki Island committed suicide towards the end of World War II.mainichi

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本 思想としての近代経済学

2008年03月28日 18時58分27秒 | Weblog
思想としての近代経済学

経済学の本で入門書の類を読んでいるのだが、どうもあくびがでて集中しない。
本書は、わりかし面白かったが、いまいち、ピンとこないところも多い。

240
資本蓄積が進行し経済発展がなしとげられるにつれ、投資機会の多くは実現済みのものとなり、少ししか投資機会が残されていなくなる。その結果経済が急速に進行する例外的な時代を覗いては、一般に投資需要は、余剰生産物(実物貯蓄)よりはるかに小さくなく。「供給(貯蓄)はそれ自身に対する需要(投資)をつくるという意味の
セイ法則は満たされなくなる」

234
・・・「見えざる手」の信仰が誤りである証明・・・のポイントは、耐久財には二つの至上があるのに、二つの価格のうち一つは、利子率を通じて他の価格に縛られているから、需要を調節するべく自由に変動しえる価格は一つしかないという点にある」

この点について、p42以下で
自動車の価格=P
レンタカーの収入=p
耐久財の消耗率0.1
純収入=pー0.1P
純収入率=pー0.1P/P

銀行の利子率iとすると
レンタル業と銀行が共存するには
i=(p-0.1P)/P
であることが知られる。
∴p=(i+0.1P)
いまPで自動車の市場の受給が一致していると仮定し、公式にしたがってレンタル料を系差運したとする。他方、レンタル至上には受給が対峙しているが、それらを均衡させる料金は必ずしも公式で計算された料金と等しいとは限らない・・・

という具合に説明される。
233
・・・反セイ法則の経済のもとでは価格調整と数量調整が行われる。まず、証券市場と消費財市場、資本用役市場では、価格調整が行われて受給が一致する。こうして利子率と資本用役価格が決定されると、・・・資本財の価格が定まる。投資機会が少なくっている資本財市場では供給側に数量調整が行われることにより、・・・・生産縮小の結果、労働市場では供給過剰が生じる

236
・・・・資本財私情と労働市場以外では、ケインズは価格調節機構が完全に作動することを認めている。したがってゴールドラッシュやイノベーション等が起こって投資ブームが生じれば、かれは投資の国家管理を中止し、経済の自由化すべきだと考える。このように投資が旺盛な場合には、セイ法則が復活し、古典的な経済理論は完全に正しいのである」

 で、著者はこうした資本主義の矛盾が露呈する社会では、「資本家」
241
以外の人たちの福祉、厚生を増進することによって、彼らに対する反感を慰撫して、間接的に彼らを防衛する

ことが資本主義を長持ちさせる道だとしている。

なおもっとちゃんとした要約がこちらにあった。
 
 経済って難しいね。
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本 もっと笑うためのユーモア学入門

2008年03月28日 17時26分14秒 | Weblog
もっと笑うためのユーモア学入門

メモ

21
ベルグソン
本来しなやかな生ある運動がぎくしゃく
フロイト
抑圧された無意識の願望の代償的満足

43
笑いには共振性がある。

49
感覚レベルの笑い
(1)満足系
例 山頂で絶景をながめる、愛撫、
(2)一時的攪乱系(安定→不安定)
例 いないいなばあ、たかいたかい、ブランコ、回転

52
感情レベルの笑い
(1)満足系
例 人にほめられたとき、旧友にであったとき
(2)攪乱系
例 災害で全財産失う、処刑前の囚人

53
知性レベルの笑い
(1)満足系 やっぱりそうか
例 推理小説、幾何の難問を解いたとき
(2)どういうこと? ユーモア系
例 空飛ぶ豚、読書する猫
(3)なるほど系
例「あ」の字とかけて心臓ととくーーそのこころはーーどちらも胃の上にある。

テクニック
141~
1)事物の秩序とのずれ
例 やせたライオン

2)行為の秩序とのずれ
例 後ろ向きに走るランナー

3)身体的・性格的規範とのずれ 欠陥
4)言葉と論理とのずれ
例 靴下ーつくした スバゲティーシタバキー(こども外人など)
  彼はつまり野球選手であり、したがって、スポーツマンであるから運動競技者なのだ。(論理がすすまない)
  この右手がやったのです。めっ!(詭弁)

5)誇張・パロデディ・比喩

6)見立て・図地反転
例 ライオン=巨大な猫 子猫=小さなライオン
  読める枕(本質ー偶然)
  勉強もする学生
  小学生をひきずるランドセル

7)両義性
例 作品が砂糖の手づかみーーツメが甘い

8)反実仮想
例 あいつはゾンビだったりして



  


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中国宣伝部 さすがだ!!

2008年03月28日 15時01分40秒 | Weblog

 【北京=矢板明夫】チベット騒乱をきっかけに、北京市民が自主的に立ち上げたとされるウェブサイト「アンチCNN」。西側メディアの“誤報”を微に入り細をうがち、中には写真までつけて詳しく説明している。西側の報道姿勢を激しく批判する論調は中国政府の最近の主張と、まったく同じだ。ところが、このサイト、23歳の中国青年が、自腹を切って短期間で作ったものという。このため、北京駐在の外国人記者の間からは、「それにしては立派にできすぎている」と、“半官製サイト”ではないかと、疑問視する声があがっている。

 厳しい情報統制が行われる中国では、外国人向けのアパートや高級ホテルなどを除き、一般家庭ではCNNなどの海外テレビは受信できない。まして、チベット騒乱の起きた後しばらくは、新聞社の支局などでも受信障害が起き、見ることができなかった。当時、北京の外国人記者はみな自社のホームページすら開けないなど、情報収集に四苦八苦していた。しかし、サイトではCNNだけでなく、英BBC、独RTLなどの各国の“誤報”が、写真付きで紹介され、事実誤認の記事なども含め、計数十点が丁寧に並べられている。

 「彼はどのようにしてこれだけの情報を集められたのか」。こうした疑問から27日の外務省会見でも質問が出された。秦剛報道官は「サイトは市民の自発によるもの」と強調、政府が協力しているのではとの「疑惑」を否定してみせた。

 これが本当なら、よほどIT技術にたけたハッカーかも!?産経(魚拓)

で、当該ブログは↓

News Checker
で、その中にあったダライラマを誹謗するブログが↓
The Secret Truth
about
The Dalai Lama

魚拓
ナチのこといっているのに日本軍による虐殺としてつかっていた写真をつかっているところがミソ。


まあ、すぐに英語で反論を提示するのはさすがだ。嘘をつけとはいわない。嘘をいえばかえって不利だ。しかし、日本の外務省もこれほどの敏速に反応したらどうか?
それも、政府ではなく、一般市民がやった、ということにするのがこれまたミソである。日本の政治家のようにのこのこでていくと不要な政治問題になりやすい。

ところで、オウムの浅原との写真をつかっているところをみるとーーーただし、関係があったこと自体は本当ーーー日本にも中国の工作員がいるな。
コメント (2)
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チベットのユダ

2008年03月28日 14時28分20秒 | Weblog
2人とも暴動で指導的役割を担っておらず、「寛大な処分」で済ませてもらうため取材に応じたことを示唆。外国メディアに対する模範的な回答が減刑の材料になるようだ。

 自動車運転手のダンダ容疑者(22)は14日、ラサ市内の商店から物を奪って路上に放り出した。「漢民族との関係はいい。何か目的があったわけではない。寛大な処分にしてもらえれば、もう絶対にしない」と語った。

 中国政府は、暴動はチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世側が画策、扇動したとしているが、ダンダ容疑者は「その時は分からなかったが、後でいろいろな話を聞くとその通りかなと思った」と話した。

 2人とも拘置施設の一室で格子越しに質問する記者に対してほとんどチベット語で応じ、当局側の通訳が記者側に答える形を取った。毎日

 ダライラマが中国へ密航して、街で説法して、銃弾に倒れて死ねば、神話となる。チベットも独立できるんじゃないかな?
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チベット 中国やりかたが汚い

2008年03月28日 06時04分26秒 | Weblog
やらせという報告はそれ以前にネットなどで流れていたが、今回は主要な報道網による報道で、限りなく信憑性がつよい。
また、無理な条件というより、はじめからダライラマが後ろから糸を引いていると強弁し、それを前提とする条件の付け方というのは、狡猾なやり口だ。靖国参拝に対して歪んだ解釈を押しつけて、それを前提に、国内大衆や国際メディアを扇動しながら、日本を非難するというやり口と同様だ。
 中国を悪魔視するつもりはない。隣の大国とはうまくやって行かなくてはならない。だからこそ、言うべきは言うのが筋なのだ。
 日本の政治家も、詭弁に沈黙するか、感情的に反発するような知性しかないなら、海外からも国内からも蔑まれるだけだろう。
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真性のマゾ

2008年03月28日 03時04分01秒 | Weblog
Jones Irwin
The Cruelty Beyond Cruelty:
Deleuze and the Concept of Masochism

ドゥルーズのマゾ論に関する論文

サドとマゾッホ
マゾッホの作品 毛皮を着たビーナスについては、あらすじを参照
ドゥルーズにせよ、マゾッホにせよ原作を読んでいないからよおわからんのだが、それについての論文の内容は面白い。

ギリシャ社会では、英雄的強さが強調されたのであって、悪とか残酷さは特に強調されなかった。ところが、キリスト教になってと残酷さが強調されることになった。悪と残酷さがひどく非難されるようになった。特に、人間はそもそも悪であり、残酷であり、いまでもそうである、それが人間の不可避な条件となった。イエスの介入によってのみ救済される、という図式になった。
そこでは、悪と残酷さ苦しみとが人間の条件として受け入れられるばかりか、むしろ痛みを楽しむようにさえなった。
ニーチェはそれを奴隷の道徳として、病的な動物であると非難し嫌悪したが、マゾッホはそれを彼の世界の完成として、歓迎した、というのである。
なかなか、マゾヒズムの世界は奥深いらしい。
ドゥルーズは他所で
Deleuze instead argues that the tendency toward masochism is based on desire brought on from the delay of gratification.
マゾヒズムへの傾向はじらされることに基づいている。wiki
と言っているようだが、これはどういことか?
 人間は理性を身につけたことによって時間意識に目覚めて、将来のために動物的な即興的な現在の欲求を否定し労働するようになったが、それがマゾヒスト的な喜びなのだと、というのだろうか?、貯蓄する喜びみたいな守銭奴的傾向のことか?
とにかく、ドゥールズの著作を読んでないからわからん。読んでみようかな。

 なおサドマゾについては単純に支配ー服従の関係ではとらえきれないものがあるらしい。>
 マゾは単に被虐されたいのではなく、自分の描くシナリオの中での被虐しか受け入れない、偶然道で暴漢にあっても快楽はない、と言われる。リンク1 非常にわがままな存在である、ということである。リンク2 巧みにパートーナーをコントロールする。
そして、そのシナリオの中で自己を主に奉仕することで自己を放棄し(たと錯覚しーーーコントロールしているのはマゾの方だから別に放棄しているわけではないーーー)、特に秩序・規範から逸脱する悪・恥、そしてその成果としての罰の領域に自らを陥らせながらーーーというより、陥らせることによってーーー、分別・理性・秩序・抑圧を衰弱させ、よってもって活き活きとした原始的空間に陶酔し、浮遊しながら真っ白になっていく。
痛いっ、と大声で叫んだと同時に、同じくらいの強烈な快感が襲ってきて、一瞬意識が遠のいた。それが今度は恐怖感につながり、また大声を上げてしまう。痛みが蘇る。快感が押し寄せる。意識が朦朧とする。その繰り返しは永遠に続くように思えた。 (E)


死へのパロディ、ともいうべきか?

なかなか微妙な世界であるらしい。




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論文 Are There Any Natural Rights?

2008年03月28日 01時26分12秒 | Weblog
Are There Any Natural Rights?
H. L. A. Hart
The Philosophical Review, Vol. 64, No. 2 (Apr., 1955),
ちょっと古い。本棚整理したら出てきた論文集
ハートの議論の運びというは苦手だ。で、自分なりにまとめてみると・・・


1 自然権があるとすれば、それは、選択能力がある人に平等に与えられた自由に対する権利である。

2 権利は他人の行為を制限・規制し、あるいは、義務を解除する選択能力を含意する。

3 特定の取引関係組織の構成員資格によって特定の人の自由を制限・規制・干渉する権利が生じるが、それは、取引・関係・構成員資格に関係なく制限・規制・干渉されない自由が存在することをを前提とする。

4 3のような特定の権利が現に存在する。

5(取引・関係・構成員資格と独立に)自由に対する平等な権利が存在する。

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2について

1)当事者以外にも利益を受ける人がいるがかといってその人たちに権利があるとはかぎらない。

2)利益説が正しいとすれば、権利という言葉は余分

3)義務から生じる利益については権利がなくとも享受できる。
と言って批判する。
Hart’s Choice Theoryも参照のこと。
また、Choice vs Interest Theories of Rightsの整理の仕方は面白い。

3について
該当箇所
unless it is recognized that interference with another's freedom requirea moral justification the notion of a righ could havenoplacein morals; for to asert a right is to assert that there is such justification(88)


4について
例として、約束、組合など

5について
権利の概念を用いない社会があり、また、そうした道徳があることも認める。
So those who lived by sush systems could not of course be committed to the recognition ofthe equal rightof all to be free(79)


実は以前に記事にしたホーフェルドについて、たしか、なんか載っていたよなああ、なんて調べていた。
確かに載っていた。少しだけど・・・・
定訳がないので、自分なりにまとめると・・・

XはYに対してCの権利がある。

XはYに対してCを実現させる請求権がある。
YはXに対してCを実現する義務がある。

XはYに対してCを実現する自由・特権がある。
⇔XはYに対してCを実現する・しない・義務はない。

XはYに対して法律関係Rを設定・変更・解除する権能がある。
YはXに対して法律関係Rを設定・変更・解除する責任がある。

XはYに対して法律関係Rを設定・変更・解除されない免責特権がある。
⇔XはYに対して法律関係Rを設定・変更・解除する責任はない。
YはXに対して法律関係Rを設定・変更・解除する権能がない。

で、ネットで、kentlaw.eduにも多少ノート形式で説明があった。

権利義務に関する現実の用法に一致しているかどうか、というより、論理的関係の抽出・分析ということらしい。

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在日帰化要件緩和批判に対する保守からの反論

2008年03月26日 10時12分27秒 | Weblog
在日朝鮮人・韓国人に対する帰化要件を届け出制同然にするという事に対して、帰化してからの反日活動に対する懸念がある。それにたいする保守からの反論
桜井氏 確かに帰化したからと言って、日本に忠誠心を持ち、日本を愛する人ばかりではないだろう。しかし、日本人の中も、日本を愛している人ばかりではないと思う。それはしょうがないことだ。(日本人となって内部から日本を壊すなど)そんなことを怖れてはいけない。どうぞどうぞおやりください、私たちは論破してみせますよ、いつでも来いという気持ちを持たなければいけない。日本で生まれた日本人で、立派なメディアに務めている人が、反日の論説を実際に書いているということはいくらでもある。そういう人は日本人でも石を投げればあたるぐらいいる。

 鄭氏  今の在日コリアンは、与党系よりも野党系が多いというか、そういう傾向にあると思う。ただ、日本国籍を与えられた場合、どういう日本人として生きていくか。いろんな可能性があると思うが、今ここにいる日本人より高い比率で「はりきり型」の日本人が出てくると思う。少数は、日本批判を使命とするような人もいると思うが。

 西岡氏 在日の人たちの反日傾向が強いというのは、反日日本人に同化しているのではないか。日本社会が抱えてしまっている問題の反映として、そうなっているのではないか。在日の人たちを帰化させていけば、国内に反日勢力ができるという議論があるが、今でも、特別永住者は日本に住み続けている。特別永住者のままでも反日活動はできる。

阿比留瑠比さんブログ
諸外国では「在日」が差別社会・日本のイメージをつくっているといい、そうではないということを発信するには、今までのなし崩し的な帰化手続きの運用改善・条件緩和ではなく、きちんと「こうだ」というメッセージを一度発すべきだというのです

という点も重要な指摘だと思う。
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鳩山氏の情

2008年03月26日 09時08分06秒 | Weblog
Japan Probeで、不法滞在中のクルド人とフィリピン人家族の退去について国との話し合いがつき、めでたく、滞留許可がおりた。あまり知性を感じない鳩山(弟)氏であったが、情け深いのかもしれない。
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道州制ーーメモ

2008年03月26日 09時00分06秒 | Weblog
Mozuさんのところで、道州制についての記事を記されておられる。
これについて、Observing Japanさんが当面は悲観的という記事を書いている。
これらについてあまり国民の間では議論にのぼっていない。以下、推進派の人々の見解。
地方経済繁栄論/麻生太郎
大前研一
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アメリカ、北朝鮮中国

2008年03月24日 13時44分43秒 | Weblog
北・シリア核協力、米当局が「確信」…米紙報道
読売原文は以下。
U.S. officials have begun to confirm publicly that they have hard intelligence about North Korean proliferation. Mike McConnell, the director of national intelligence, said in Feb. 7 testimony to the House intelligence committee: "While Pyongyang denies a program for uranium enrichment and also denies its proliferation activities, we know North Korea continues to engage in both." In a telephone interview last week, a senior intelligence official confirmed the Syria nuclear connection, saying: "Our suspicions are justified and valid. A lot of due diligence was done on this. People are confident."

で、北朝鮮との関係は中国との関係を強化するのに役立つと米国はみていることに注意。
A full peace agreement with North Korea remains a worthy prize. It would stabilize a dangerous region and cement the cooperation between China and the United States that made the six-party talks possible. But, as with so many of its foreign policy goals, the Bush administration is nearly out of time. It doesn't make sense to break off the talks when they are so close to success, but then, it doesn't make sense to continue with a charade, either
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