「ぼけ」と「つっこみ」の実践について改めて、ネット上のお笑いビデオなどで勉強しているが、半ばわかってきたから、すこし飽きてきた。気分転換に「間」について調べてみた。演芸などで言われる
「間とは、
ということ。
ネットで調べてみるとそうした「間」ということはすごい高尚なことのことのように言う人もいる。演芸で、実際の技術としてはたいそうなことなのだろうが、概念的にはそれほどのことでもないらしい。要するに、
間の機能は
ということである。
例をネットから拾うと、
①注意をあつめる
そういえば、昔森重久弥だったか、会場がざわついているとき、マイクの前にたって何もしゃべらないーーー「ん?」と思い、人々が注意を集める、そしてしゃべり始めた、なんてのを読んだことがある。
②前件の効果・余韻
これは、会話などで説明をしたときに相手の「了解」を待ったり、小言のあとの反省を待つ”間”としても重要である。あるいは、言いかけて、暗示する、ときにも使われる。 被害者の親などが会見で途中息をつまらせるときなど、言葉よりもずっと悲しみが伝わる。最後のは次の機能に連続している。
③緊張増加
聴衆の方は、例えば、歌舞伎ではなく京劇だが、
のような反応をする。あるいは、宝塚の論評で、
④弛緩・終了
マンガ『エマ』を論評して
技術者の方から、これをどう使っているかというと、
トントンというテンポの良さとして、例えば、圓生などすばらしい。このトントンというリズムが外れると、間が抜ける。すなわち
間抜け
まぬけの「間(ま)」は、時間的な間隔の「間」である。
芝居や舞踏、漫才などで「間」は、音や動作の休止の時間的長短のことを言い、拍子やテンポの意味にも用いられる。
「間が抜ける」ことは、「拍子抜けする」「調子が崩れる」ことで、テンポが合わないことを意味した。
転じて、行動に抜かりがある意味となり、さらに愚鈍な人を罵る言葉になった。
もっとも、お笑いの技術としてつかわれるようで、
アンガールズなんかは天然だろう。
先の落語のおっしょさんもいっていたが、呼吸と深く関係する。
イメージとしては呼吸で、吸って①、吸いきって吐く間隙②③、吐ききって吸う間隙④。そして、吸いきった瞬間、吐き切った瞬間は抵抗不可であり、吸いきって吐く頭、吐ききって吸う頭などは刺激を強く感じる。吸いきれば、吐く、吐ききれば、吸う、ショックすれば息を飲む・つめる、否定して逆らえばすれば緊張する、肯定して順じればゆるむ、己の呼吸より速ければ緊張する、遅ければ弛緩する、吸い切らす技術、吐き切らす技術、そのための、同調やショックする技術などなど・・・
武道などでは、剣をあげた瞬間に攻撃されたり、あるいは、拳がのびきった瞬間をとらえて相手をとらえ、今度は間断なく誘導する。
禅の沢庵和尚などは優れた剣の動きを「よえもん」「おっ」というような間髪を入れぬ動きに喩えたが、これは間をいれないことによって、かえって、②の余情や連想がわかない無心の動きを指すのだろう。
心理学などでは、相手のリズムと同調して、ラポールを得、また、瞬間催眠誘導などは、ハッと息を飲んだ瞬間を使ってトランス状態に誘う。
もっとも、ここらへんは、「間」というより、「間合い」ないし「機」の問題になってくるのかもしれない。
参考
更新
「間とは、
6 邦楽・舞踊・演劇などで、拍と拍、動作と動作、せりふとせりふなどのあいだの時間的間隔。転じて、リズムやテンポの意に用いる。
ということ。
ネットで調べてみるとそうした「間」ということはすごい高尚なことのことのように言う人もいる。演芸で、実際の技術としてはたいそうなことなのだろうが、概念的にはそれほどのことでもないらしい。要するに、
間の機能は
注意を集めたり①あるいは、前件の言動の効果・余韻を引き継ぎついだり、②さらにそれを緊張させたり③、あるいは、終了させて、後件に転換する④
ということである。
例をネットから拾うと、
①注意をあつめる
「おはよう」を言う際にも、一瞬間をあけると、相手は「ん?何だろう?」と気になります。リンク
そういえば、昔森重久弥だったか、会場がざわついているとき、マイクの前にたって何もしゃべらないーーー「ん?」と思い、人々が注意を集める、そしてしゃべり始めた、なんてのを読んだことがある。
②前件の効果・余韻
会場の聴衆は、ブーニンのピアノ演奏の最中にいく度も創出されたルフトパウゼ(=「間」)において、直前に演奏された楽音がかもし出すイメージの余韻に浸りつつ、さらに自分なりの音楽的イメージを膨らませていく。リンク
これは、会話などで説明をしたときに相手の「了解」を待ったり、小言のあとの反省を待つ”間”としても重要である。あるいは、言いかけて、暗示する、ときにも使われる。 被害者の親などが会見で途中息をつまらせるときなど、言葉よりもずっと悲しみが伝わる。最後のは次の機能に連続している。
③緊張増加
見得歌舞伎の演技・演出の一。俳優が、感情の高揚した場面で、一瞬動きを停止して、にらむようにして一定のポーズをとること。
聴衆の方は、例えば、歌舞伎ではなく京劇だが、
昔京劇の舞台写真を撮る生活を送っていました。見栄を切る瞬間の「気迫」つまり「気」に圧倒されつつシャッターを切る瞬間はエクスタシーそのものでしたリンクリンク
のような反応をする。あるいは、宝塚の論評で、
ラブシーンでも、歌い踊って「ラブシーンですよ~」という雰囲気、そしてちゅー…(ここに「間」)。「さあ、どうだー」と舞台が投げかけることで、客席は「ああ、そうかー」と感じる。これが「間」なのかもしれないです。リンク
④弛緩・終了
マンガ『エマ』を論評して
・・・母親を侮辱しかねないセリフを口にしたことを、謝ります。それは、ウィリアムもまた母が弱いとは思っていないことの、証でもあると思います。
そして、次の頁で3人に静寂が訪れます。この静寂の作り出す間が、あの大ゴマの煽り画面が生み出した緊張感を、ほぐして行くのです。緊張したままで、次の場面へ行くのではなく、日常的な夜の場面に行くところでひとときの「間」を置く。・・・・、実に見事な緩急を作り出しています。 リンク
技術者の方から、これをどう使っているかというと、
例えば「時そば」の一説。「そばってのは細くなくっちゃいけないね~、おめえんとこは……太いね」
文字で書いてもなかなか伝わらないですけど、この「……」で息を吸うわけです。その息を吸う時に、お客さんにも一緒に息を吸ってもらうわけです。そして「太いね」で落とす。その瞬間に吸っていた息を吐きながらお客さんは笑うわけです。「笑い」とは息を吐く行為ですから。
この「……」が長過ぎたら、お客さんとの呼吸が合わなくなる。吸った息も吐いてしまう。吐いた後に落ちを言ってもお客さんは笑いません。笑えません。
短くても同じこと。笑わせるための息の吸いを十分させないまま落ちを言ってしまったらこれまたタイミング外すわけです。
・・・・・
「そばってのは細くなくっちゃいけないね、おめえんとこは……太いね」の語りにも、リズムが必要ですね。「振り」は、とととっとテンポよく登って行くように語り、「……」でブレス、「落ち」で一気に下げる。「リズム」と「間」ですリンク
トントンというテンポの良さとして、例えば、圓生などすばらしい。このトントンというリズムが外れると、間が抜ける。すなわち
間抜け
まぬけの「間(ま)」は、時間的な間隔の「間」である。
芝居や舞踏、漫才などで「間」は、音や動作の休止の時間的長短のことを言い、拍子やテンポの意味にも用いられる。
「間が抜ける」ことは、「拍子抜けする」「調子が崩れる」ことで、テンポが合わないことを意味した。
転じて、行動に抜かりがある意味となり、さらに愚鈍な人を罵る言葉になった。
もっとも、お笑いの技術としてつかわれるようで、
桃太郎さんは、なんと言ってもあの間合いが最高でした。普通の人の間とは微妙にズレているのが不快を誘うのではなく笑いを誘って、常識というのが何なのかという本質的な問いを投げかけられたように思われましたリンク
アンガールズなんかは天然だろう。
先の落語のおっしょさんもいっていたが、呼吸と深く関係する。
イメージとしては呼吸で、吸って①、吸いきって吐く間隙②③、吐ききって吸う間隙④。そして、吸いきった瞬間、吐き切った瞬間は抵抗不可であり、吸いきって吐く頭、吐ききって吸う頭などは刺激を強く感じる。吸いきれば、吐く、吐ききれば、吸う、ショックすれば息を飲む・つめる、否定して逆らえばすれば緊張する、肯定して順じればゆるむ、己の呼吸より速ければ緊張する、遅ければ弛緩する、吸い切らす技術、吐き切らす技術、そのための、同調やショックする技術などなど・・・
武道などでは、剣をあげた瞬間に攻撃されたり、あるいは、拳がのびきった瞬間をとらえて相手をとらえ、今度は間断なく誘導する。
禅の沢庵和尚などは優れた剣の動きを「よえもん」「おっ」というような間髪を入れぬ動きに喩えたが、これは間をいれないことによって、かえって、②の余情や連想がわかない無心の動きを指すのだろう。
心理学などでは、相手のリズムと同調して、ラポールを得、また、瞬間催眠誘導などは、ハッと息を飲んだ瞬間を使ってトランス状態に誘う。
もっとも、ここらへんは、「間」というより、「間合い」ないし「機」の問題になってくるのかもしれない。
参考
● 間とは何か
話のなかで沈黙を保つ時間を、間といいます。
ただ黙るという沈黙ではなく、話の効果をあげるために、意識してことばを休むことなのです。
間には
・ 話をよくわかってもらうための間
・ 話の内容にあわせて気持を高めるための間
・ 聞き手と同調するための間
● 間の型
・ 話の構造を示す間
・ 了解を待つ間
・ 省略して暗示する間
・ 反省を求める間
・ 強調の間
・ 期待させる間
・ 余韻を残す間 に別けることが出来ますリンク
更新
http://www.nhk.or.jp/deeppeople/log/case110912/index.html
その日の客をどのようにつかむのか…落語家が存分にその個性を発揮するのが、高座に上がってまず話す「まくら」と呼ばれる語りの部分だ。三枝は出番前に必ず観客の様子を確認し、男女の比率や年齢層によってまくらの中身を変え、演目につなげる。「まずは身近な事実があり、それを誇張、飛躍させて話を作っていく」と、笑いを生むオリジナルまくらの作り方を披露した。ちょっと不幸な話をするとお客さんが喜んでくれると語るのは昇太。「お客さんにとって芸人は不幸なぐらいがちょうどいい」という持論の元、失敗談や独身である自分自身の話をネタに笑いをとることが多い。一方、古典落語には決まりのまくらとセットで伝承されているものがある。談春はまくらの段階で客に演目がわかってしまうのを避けるため、自分なりの情報を付け加えるという。落語家にとって「まくら」は落語本編に入るための滑走路のようなものだという昇太の言葉に一同納得。最初に客席を温めることができれば、その後に続く“噺の世界”に気持ち良く飛び立てるのだ。
「指揮者みたいに、お客さんの呼吸を誘導することがある」 春風亭昇太
落語は「間」が命。どこにどれだけ間をとるのかによって、噺の味わいや笑いの量が変わる。三枝は「大爆笑をとる間は一つしかない。遅くても早くてもダメだ」と断言。しかしあらゆる状況によってベストな「間」は変わるものであり、弟子に指導する難しさを明かした。昇太は「お客さんの呼吸を誘導することがあると告白。演者が息を吸うと観客も息を吸う…その間の後におもしろいセリフを言うと、吐く力で爆笑を起こせるのだ。一方談春は、師匠・立川談志に入門した当時、「一言一句真似してこい」と言われたエピソードを披露。「師匠のブレス(息継ぎ)を真似したら、テンポが似てきたと語り、“前座”と“真打”で異なる間の取り方を実演してみせた。昇太は「高座百遍」(同じ落語を百回演じて初めて自分のものにできる)について語り、「なるべくお客さんの前で喋ることで“間の反射神経”を養うしかない
と締めくくった。
自分なりの落語をどう生み出すのか…さらにトークは白熱する。平成の爆笑王・昇太の落語作りは斬新だ。紙に登場人物と大事にしたいキーワードを書き込んで図式化する。場面転換は3つ、「追い詰められる人間の面白さ を描く。この図式だけを頭に入れて高座に上がることもあったというエピソードに、三枝と談春は驚きの声を上げた。一方、三枝は緻密な台本を準備。ギャグ・サゲ(落ち)・ストーリー展開はもちろん、落語にはひねりとメッセージが必要だという。創作落語“初恋”は、「美しい日本語を伝えていってほしい」という三枝の思いが込められている。談春は「登場人物を等身大にする」ことを意識して古典落語をアレンジ。「45の“芝浜”と、50の“芝浜”と、60の“芝浜”は変わっていなければダメだ。」との思いを打ち明けた。今を生きる落語家たちによって、新しい落語が生み出され、古典落語が現代人に寄り添う噺に生まれ変わる…落語は常に進化しているのだ。最後に「落語家に向く人は“ちょっといい加減な人”」と述べた昇太。「ウケなかったら全部自分の責任になる。本当にまじめな人は追い詰められる」たった一人で大勢の観客を笑わせる…落語家という職業の過酷な一面も明らかにされた。
http://ameblo.jp/hearvesayaka/entry-11016303063.html
と語ってて、ピアノと当てはまることが多くて、感心しながら観ました。
「一歩早くても遅くても、だめ。」
「間をとって引きつけておいて、ボケる」
のだそうで、
ピアノでも間のびしないけど、息のつまらない間というのは、難しい。
ボケはしないけど、いかに休符やちょっとした間で聴いてる人を集中させるかで、次が変わる。