Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

さきほど

2012年03月29日 22時56分24秒 | Weblog
Ethics and Public Policy: A Philosophical Inquiry


先ほどさらっと一通り目を通した本で、これも面白かった。目から鱗、という記述もある。
倫理学で言われることも、そう簡単に社会政策に反映されるわけではない、そこらへんの苦労というか、現実との合理的な妥協というか、そんなところが読み取れて面白い。

脳みそからもれ出る前に、ちょこっとまた、メモッておくと、最初は、動物実験の問題

そもそも人間にやっていけないことを動物でやっていいいのか、という問題意識がある。
で、例えば、知性や感覚などで動物と人間を区別しようとしても、知性のある動物もいるし、痛みは動物でも感じる、逆に、事故などで、知性がない人間もいるし、感覚の麻痺した人間もいる。
人間と動物を別扱いする合理的理由はなく、別扱いするとすれば、それは、黒人を先入見で別扱いするのと同様な不当な差別である、というのが、まあ、動物愛護側の主張の要旨なわけですね。

で、そうしたことからして、例えば動物実験するにしても、痛みを減らす努力はしているわけですね。
で、麻酔を打って痛みはなくす、痛みはなくすけど、チューブやらなんやらをいっぱいつけて、内臓が透けて見える状態でさまざまな反応をみたりするような実験をして、その後も、痛みを感じさせないで、死に至らしめる。

なんかへんじゃない、と思うが理論的には、痛みがない分、進歩なわけである。

その議論のなかで、計画とか、家族や友達と過ごしたい希望とか、、あるいは、痛みや快感が重要なのであって、命そのものが大切なわけではないのではないか、とさらっと問題提起しているーーーー面白い。

現在では動物実験に関しては、3R (refinment reduction, replacement)という政策があり、動物になるべく危害を与えない、できれば、実験数は減らす、そして実験以外でできれば、実験しない、という方針があるのだそうである。

次はギャンブル

なぜいけないのか、というに、ギャンブル中毒になって当人もその家庭も崩壊しちゃう、というのがあるが、そういうひとがいるにはいるが、しかし、その割合はかなり少ないのだそうである。

で、日本だとパチンコというのがあるが、イギリスなんかだとスロットマシンというのがあるようで、両者とも中毒になることはありえるが、それは、小銭を稼いだり、もうちょっとでというニアミス感のじれったさ、そして、騒音と派手さで病みつきになるのだそうである。

気持ち的にはパチンコと似たようものなんでしょうね。子供の置き去りなど同じような問題も紹介されている。

いずれにせよ、奨励はしないまでも、許容的であってもいいのではないか、というのが著者の立場のようである。


で、次はドラッグ、麻薬だね。

これもよく指摘されることだが、ドラッグというのは言われるほど害はない、と。もちろん、過分に摂取すれば、害はあるが、それは薬でもなんでも同じ。むしろ、アルコールのほうが、本人にとって、社会にとっても、害が大きいそうな。
ドラッグは、害なないのだから、それをどうしようと、個人の勝手だ、というのが、まあ、リベラルとしては筋なわけである。

ただ、ドラッグを合法化した場合、ディーラーが他の犯罪に手を染めるようになることも考えられるし、どうなるか未知の部分も多い。

また、アルコールのような悪いものを許容しているから、ドラッグも許容せよ、ということにならない、と。すでに悪いものが流通してしまっているのだから、これ以上悪いものを少しでも流通させるのはよくない、ともいえる、と。

で、哲学では意見が不整合である、ことを示せば、相手をコーナーに追い詰めたことになるが、しかし、社会政策はそういうことはないのだ、と。

日曜日に踊らなくちゃいけない、いや、踊ってはいけない、と命令されて、両方の指示に従うことはできないが、しかし、エクスタシーはだめだ、アルコールはいい、というのは矛盾しているが、その法律に従えないわけではない、と。

で、次は安全性(safety)についてで、これも面白い。

原発の問題にも関連する。

問題意識としては、例えば、一兆円かけてある装置を取り付ければ、年間一人の人の命が事故から救えるとして、それを設置すべきか、それとも同じ一兆円かけて、他のところで、年間数十人の命を救ったほうがいいか、といったところである。例えば、前者に、電車の事故、後者に、医療とか、生活保護とか、なんでも当てはめて考えてみてほしい。
因みに、イギリスでは一人の値段は1.4million pounds アメリカでは6million dollars として計算されているそうである。


功利主義的にいえば、コストにみあった投資をすべし、ということになるが、義務論的にいうと、帰結は度外視してもやるべきことはやるべし、ということなる。

実際の安全対策では、コストを度外視した政策が採られているようではある。

今回の原発の除染なども、そもそもそれほどする必要があるのか、やってもコストに見合った効果があるのか、という疑問が出ている。私はどちらかというと、放射能汚染に関してヒステリー的反応ではないか、と思っている。

次は罪と罰 crime and punishment

犯罪は何が悪いのか、そしてなんのために罰するのか?

後者に関していうと、犯罪予防、リハビリ、応報、というのが普通の回答。
ところが、犯罪者は、犯罪行為の刑を計算して、犯罪を犯すということはまれだから、予防効果というのも少ない。ちょっとはあるにせよ、むしろ、犯罪者を罰することによって、犠牲者の貶められた地位を回復するというメッセージを発してもいるではないか、と。

次は健康(Health)

アメリカなんかで、国民皆保険制度が議論されているが、驚きだったのは、GDPのうち健康管理(Health care)に費やす割合はアメリカは世界一であり、一人当たりに費やす公的医療費も、イギリスなんかよりも多いそうである。
にも関わらず、寿命は日本イギリスなどより低い、と。
つまり、健康や寿命を左右しているのは医療よりも、貧富の差だったり、仕事や家族や住居環境だったりのほうが大きいようであるが、しかし、なにかあったときに保険がある、という安心感も健康に寄与するから、皆保険制度が無駄というわけでは全然ない。

で次はFree market(自由市場)

これも面白かった。

悪い品を出せば売れないし、高ければ、安い店にいく、などなど、自由市場ってのは、競争を通じて、品質を向上し、価格を適正にする働きがある。このことは日本ではもっと強調されていいと思うが、他方、今回、AIGなどで問題になったように、年金などは、常日頃消費を繰り返すわけでなく、消費が将来にわたるものというのは、市場に任せて適正化できるわけでもない。金融商品なんかも規制が必要である。
さらに、図書館や医療など、無料ないし安く提供することで選択肢は少ないにせよ貧乏人でも安心でかつ楽しみももつことができる。図書館行かないから、そのために税金を払うのは、無駄だという人がいるかもしれないが、しかし、それ以外に例えば、公園は利用したりして、不満のあるものもあるが、全体としては、まあええじゃない、と言えるような福祉政策もありえる。こうした、市場になじまないような分野もある、とする。

まあ、少し時間がたったら、また、さらっと読み直してみたい、と思う。

ひさしぶりに、

2012年03月28日 22時00分04秒 | Weblog
最近読んだやつでちょっとおもしろかったやつのメモ。

さらさらっと適当に、


A Brief History of Justice

正義論というより、正義という概念の歴史なわけですけど、正義論にも一石を投じている、といったところか。

古代で正義がどのように観念されていたか、というと、


196 if a man has put out they eye of free man they shall put out his eye

198: If he puts out the eye of a serf or breaks the bone of a serf, he shall pay one mina of silver



If a freeman has stolen an ox or swine or a [g]oat, if [it is the property] of a god [or] if of a palace, he shall pay 30-fold; if [it is the property] of a serf, he shall replace [it] 10-fold if the thief has nothing with which to pay he shall be put to death。


自由人が他の自由人の目をくりぬいたら、犯人は目をくりぬかれるが、奴隷の目ならば、金払っておしまい。神社のもの盗んでも、自由人と奴隷では弁償する額が違う。

というわけで、


身分が同じもの同士では、相応のお返し、報復、
身分の異なるもの同士では、不相応のお返し、報復


というわけ。

で、プラトンになると、魂が調和して分をわきまえることが正しいことであり、それを社会に当てはめて、各人が分をわきまえた調和した社会が正義となり、アリストテレスにとっては、応分のお返し(reciprocity in accordance with proportion) が正義ということになる。

 後に功利主義者たちが登場して、社会を是正する手段としての正義の観念が生まれ、応報というより犯罪抑止のための刑罰が唱導され始め、また、私的所有を保護して、より、功利的で、最大限の幸福がある社会が正義が実現された社会だ、というような主張がでてくる。

 で、社会の配分の正義を判断する基準としては、それ以外に、

1)功績・貢献度に応じて、
2)能力・必要に応じて

などがあるわけだが、ロールズなんかは、

3)機会の平等を保障して、底辺の人々がよくなる範囲での格差という原理

が貫徹されるのが社会の正義と説いたわけですね。

で、著者は、reciprocity というのが、正義の観念の核心にあるんじゃないか、と。

 功績もない、社会に貢献もしていないボンボンが報われるというのもおかした社会であるが、必要に応じて、といっても、例えば、健康なのに、怠け者がいて、社会になんの貢献もしていないやつの、そうした行動、不作為を無視して、必要だからといって、たんまり何かをやる、というのも、不公平に感じるわけだ。

ところで、社会正義なんかで、金持ちや資本家が法律を犯さないで儲けたなら、それはそれでいいやないけ、というのに対して、そうした社会的な富は、社会的分業があって初めて獲得できるものであり、その金持ちや資本家はその社会の仕組みの恩恵を不当に得ているというのが格差に対する重要な批判のひとつであるわけだが、



page 229 210
If the social product is the consequece of a complex division of labor......and if the principal question of social justice is how the social product should be divided among menbers of the society that produces it----then it seems to follow that only those who contribute to that product, or at least who are members of the society that produces it, should given consideratioion as pontential beneficiaires of a scheme of social justice. Those who are essantially outsiders and not particiapant in the division of labor haveno claim on this product......In The law of Peoples , John Rawls make it clear that in his view, principles of social justice of the kind he envisagedin his theory apply only to relations among persons who consitutea " people" , defined by a collective identity based on cultural or historical affinity.


 裏を返すと、そういった労働の分業をしていない、他の社会、他の文化の赤の他人、外国人には、正義の原理は通用させる必要がない、というのが一つの説としてはありえるし、ロールズなんかもそうである、と。

 で、
Global Ethics: An Introduction

これが、その意味でグローバルの世界での倫理学についての本で、これも、わりに面白かった。

 地球上の人々が、市場、国際法、人権など共有し(commonality)、また、相互に関係しあう(interconnect)グローバルな世界で、正しいこと、間違ったこととは何か(倫理)について、1)その基礎(メタ倫理)、2)具体的な主張(規範倫理)、3)その理論・規範の具体的な問題へのあてはめ(応用倫理)について、国際支援・開発の倫理、国際的な分配の正義、そして、開戦、戦中、終戦後の正義などを題材にしながら、いくつかの典型的な規範理論を前提に、議論を紹介している。

 合理主義的倫理として、行為や政策の帰結を重視し、最大多数最大の幸福を唱導する功利主義(utilitarian)、帰結よりも動機を重視し、各人の人格を尊重し、誰もが従う普遍的規範に従って行為すべしとする、カント的義務論主義(deontology)、正義の正当性は社会契約の合意にありとするホッブスからロールズなどにいたる社会契約論者(contractualist)、そして、影響をうえるすべての人が公平に参加できる議論にて決すべしとする、ハバーマスに代表される(discourse ethics)対話主義倫理。

 合理主義倫理に代わるものとして、歴史的地域的特化された共同体で各自が担っている役割に付随する徳を磨くことを重視するマッケンタイヤなどの徳論倫理、倫理的判断を抽象的・一般的な規則としてではなく、具体的な場面での、親子などを典型とした気遣う関係から見なおそうとせんとするフェミの人情論的倫理ともいうべきEthics of Care、そして、真理にせよ、善にせよ、ある主張の根拠・を神、実在などから解き明かし、そのの究極の存在が是非(真偽・善悪)の基準となるとする原理主義を否定し、対立する倫理観があるとき、相手を説き伏せる決定打などない、というポモ倫理などを紹介している。

あと、ちょこっとおもしろいのをすこし引用すると、


page149

It is better to suffer than to inflict. .....Anscombe,.. argues that to outlaw war as such isto commit the same crime of indicrimination as that of utilitarians who permit the torure of the innocent few, to maximize the utility of the many . For Anscombe, was is a necessary means to punish the guilty and protect the innocent; to refuse to fight is to collude with the aggressor state in violating its victims.


これなんか、とくに日本の平和主義者に読んでもらいたい。アンスコムというのは、はやくから、トルーマンの広島長崎の原爆投下を非難していた女性哲学者だね。

「人を苦しめるより自分が苦しんだほうがいい」といった主張にたいして、それは幸福を最大限得るために、一部の人を拷問にかけてもいい、というのと同じである、と。
無辜の民を救い、害悪をもたらすものを罰するには戦争が必要な場合もあり、戦わないことは、侵略者と共謀しているのと同然である、と。

無防備平和主義は無辜の民が犠牲になるのを是とする人たちなわけで、彼らは平気で他人を見殺しにできる人々でもある、というのは認識しておいたほうがいい。

まあ、それはいいとして、最後の章が、異文化、あるいは、異なる倫理観が衝突した場合についてに費やされているのだが、合理主義的倫理学説では、こっちが正しい、だから、あっちの行動、慣習を是正すべきだ、という話になるわけだが、それはいかがなものか、というのが、フェミや徳論、あるいはポモの論者たちで、
かりに正しいものであっても、


page 189

politcal arrangements , if they are to take root, must be justifiable in terms that are available within the exisiting ethical vocabularies of those to be reformed.


それが根付くにはその社会に流通している言葉を使って正当性を説いていかなくてはいけない。



page 213

the first thing for the moral theoris to do is not to establies what is right but to examine the resources availble within his own moral tradition for forging common ground with others.


その社会や伝統にある何かを使って自分たちの共通性を見つけていく作業をしなくちゃいかんのだ、と。

日本独自論で悦にいっている場合ではないのである。


でないと、


page 189

What is, in all honesty, proposed as a process of liberation may be experienced as a process of a subjection.


例えば、その社会を解放していく過程が、その住民にとって、服従していく過程になってしまう。





page 215
If we go back to the mechanisms for responding to ethical dissensus in rationalist theory, they are all essentially one, in that the morally aurhoritative position is in control because of its monopoly on truth but also because truth legitimates power and force. When opposing moral positions are construed as either 'wrong'(in error) or 'wrong'(immoral) the people who hold them are construed as oppressed, in need of enlightenment, stupid or bad, Either way a hierachy is set up before any interaction takes place ind it shape the nature of interaction .


合理主義者は真理を独占しているかのごとく錯覚して、他文化の住民を、事実認識に関しても、倫理的にも間違ったやつらと、上から目線でみる、嫌なやつらである、と・・・・

というようには書いていないがそんなようなもん。


相手の文化の言葉を使って、というのは重要な指摘で、言語覇権国でない国の人々はだれでもやっていることである。

母国語で肉付けされている自分の体験を英語に置き換えるという作業をし、自分たちとは異なる彼らの価値観・原則で彼らを説得していく、というのは、非英語圏、特に、非西洋圏の人々にとっては当たり前の作業であるが、英語圏の人々にとっては、英語圏での概念の地図、価値観と違ったり、それが欠如していたりすると、それは、遅れた野蛮な社会か、認知的にも倫理的にも間違った社会になってしまう場合が多いのである。

もっとも、そうした誤謬を自覚しているのも西洋圏の知識人も上記のようにいるわけであるが、しかし、圧倒的に少数ではなかろうか?


因みに、ローティの論文


Richard RortyHuman Rights, Rationality, and Sentimentality


これも面白かった。

科学理論でも例えば、アリストテレスの科学論とニュートンの科学論の雌雄を決するのはデータではなく、科学以外のものなんだ、という説があるわけだが、それと同じように、異なる倫理観を持つ相手を説得するのは、自分が唱導している倫理的”原理”や”真理”ではなく、被害を受けている人の悲しみ、苦しみを表現した物語であり、それによって共感・同感できるような感受性を育てることが重要なんだ、といった感じである。


















祝 300万回再生 'Pendulum,' Japanese Animation, Is A Viral Tearjerker

2012年03月20日 19時24分30秒 | Weblog
鉄拳 振り子

見る価値あり。

鉄拳 振り子 ワイプなし

更新



'Pendulum,' Japanese Animation, Is A Viral Tearjerker (VIDEO)
Posted: 03/21/2012 5:48 pm Updated: 03/21/2012 5:49 pm





Japanese comedian Takefumi Kurashina, better known as Tekken (after the video game), recently released an emotional stop-motion animation, "Pendulum." In the four days it's been on YouTube, it's reached nearly 1.5 million hits.

Mostly known for his tribal face paint and crazy antics, this video may come as a surprise. The line-drawn story tells a typical tale of young lovers: nice girl falls for bad boy. "Pendulum" ticks through the couple's life by using a clever grandfather clock dial to signify the passage of time. What transpires is the kicker, though I won't spoil that part for you.

Watch below for Tekken's animation:

外人は日本からでていけ!? 有道ブログ

2012年03月20日 01時41分47秒 | Weblog
Discussion: Reader Eric C writes in with an argument for “giving up on Japan”. What do you think?

Posted by debito on March 18th, 2012
http://www.debito.org/?p=10041


魚拓

これはさすがにひどい。


Level3 March 19, 2012 at 10:57 am
I’ll call this the Godwin-Poe Unified Theorem, submitted for your consideration.
If an extremist rant against a group can be made to sound like an alternate-reality Mein Kampf if you substitute the words “Jew” and “Israel” for the target people and country and small adjustments to stereotypical culture-specific traits, then the writer is maybe being just a bit racist.
Thank you on behalf of all loyal citizens of the Reich who have lived in Israel or are living in Israel. You are doing brilliant work. I agree with almost everything you say and do and I am in awe of your energy, perseverance and spirit.
However, the more I read your site and columns and learn about your story, the more I find myself wondering why you keep trying. I lived in Israel for years and I did what you did, but on a lesser scale: I fought Zionism as hard as I could. I like to think I gave as good as I got, if not better. I caused a fair bit of hell at my local beer hall, at synagogues, with the banks and with various random Jews. That’s not to say I went around with a chip on my shoulder: I had a lot of Jewish friends, spoke their language well and really tried to fit in. But, finally, I decided to leave Israel and I don’t regret it. Not for a second. Every day I’m out of there, I give thanks that I had the balls and foresight to leave.
My question to you is why do you keep trying? I don’t want to be negative, but I think even you have to admit that Israel and the Jews are not really going to change. Not in any meaningful way. They are xenophobic to the core, perhaps even genetically so. The society is feudal, with only the flimsiest veneer of legality. There is no real law – power and connections are all that matter. Israel reached a highpoint of openness and internationalization in the early 90s, and it’s been rapidly closing and going backwards since then. As the country stagnates and gets poorer, it’s going to become less and less welcoming to foreigners. I mean, the mayors of the three main cities in Israel are all Zionists and, most likely, racists.
Frankly, I don’t even think it’s worth trying to change the Jews. They’re not worth it. Let them go their own miserable way to stagnation and backwardness. Let the world pass them by. A Jew is like a stubborn old geezer in your neighborhood who does something offensive (letting his dog bark all night, for instance). You know that arguing with a Jew is a waste of time. The only sensible thing to do is move away. Fuck the Jews, to be direct about it.
You’ve fought the good fight, Debito, and a lot of loyal citizens of the Reich owe you a huge debt of gratitude. But, for your own peace of mind, why not let someone else take up the burden? Or, better yet, wouldn’t it be best for all Germans to simply pack up and leave and let the Jews do whatever it is they want to do? Let them talk about their “Holocaust” morning, noon and night. Let them lobotomize their kids in the name of educating them. Let them claim that their actions in Palestine were one vast charitable mission to spread peace and love throughout the world. Let them sink slowly into the swamp of their own bloody minded ignorance.
It’s not our job to “fix” Jewish society. It’s not our job to educate the Jews about how the world really works. It’s not our job to try to bring them into the modern world.
Sorry, this is a bit of a downer of a post, but anyone who knows the Jews as well as you know it must surely realize that the defining characteristic of a modern Jew is the inability to change. The Jew is so stubborn that if you ask them to change, they’ll consciously avoid changing just to spite you. I mean, why do you think they keep killing totally innocent Palestinians when it requires vast government support to keep doing it? They do it precisely because the world tells them to stop.
I say, leave the Jews to it and live your own life.”
Would debito let this kind of thing on his site? Would anyone?
debito, you got punked. Or at least, I hope that’s what happened. If not…yikes.


日本・日本人をイスラエル・ユダヤ人に置き換えれば人種差別性の具合がよく比較できるだろう、と。
もっともである。

こうした投稿に対して沈黙・黙認・支持している投稿者の感覚がよくわからない。


いずれにせよ、こわれてきている。もう一息である。

思えば長い道のりであった。

Japan Times もいい加減にしてほしいものだ。

在日欧米出身者の住民におかれては、建設的な人権活動に励んでいただきたい。

できる協力はしましょう。



*ついでに、個人的には
http://tepido.org/a-twice-emigrant-speaks-on-immigration/668/comment-page-4#comment-12574
以降の会話も楽しんでいる。



ひさびさに、

2012年03月01日 19時44分39秒 | Weblog
久しぶりにTepidoで大量コメント


 私に対するコメントの@Mark in Yayoi March 10, 2012 at 8:48 pm に端を発している。


 どうも、私は人をむかつかせる天才らしい。

 私の議論の仕方がまずかったのかもしれないが、英語圏では、主張プラス論拠の議論を、あるいは、異見を感情抜きで、雑言抜きで、人格誹謗抜きで、楽しんでいるとか、誤解している人がいれば、参考にしていただきたい。

 日本語でも英語でも、論題に特化した主張と理由の応酬はできるし、日本語でも英語でも、感情や罵詈むき出しの言い合いすることもある。どっちがどっちというのは偏見であろう。

ヤフオクからの手紙

2012年03月01日 11時07分20秒 | Weblog
事の発端は、ヤフオクの出品者の国籍差別的な取引条件にある。

トラブル続出のため外国人とは一切取引はしません。
オークション終了後に取引相手が外国人とわかりましたら、落札者都合で削除いたします。







こうした条件にたいして、Japan Times のコラムニストのブログで不満がでた。


Jeff Smith on Yahoo Japan auctioneer denying foreign bidders, and what he did about it

Posted by debito on February 17th, 2012


もっとも、例のごとく御大およびそのメンバーは行動しない。

そこで、私が、出品者およびヤフオクに苦情を書いた。






質問2 (あなたからの質問です)2月 18日 10時 54分
自己紹介・商品の詳細での外国人差別・人種差別的な記述を、憲法14条や判例の趣旨に違反しないよう、「日本語のみの応対、意思疎通できない方はお断り」、あるいは、日本人でも外国人でも、「取引実績が30以上ある方のみ」などの、平等主義にそった記述に是正していただけませんか。それでおっしゃるようなトラブルは回避できるでしょうし、差別主義者であるというレッテル、また、、差別主義に起因する裁判沙汰なども予防できるのではないでしょうか? いくつかのブログでとりあげられていたので、心配になり投稿させていただきました。


ヤフオク八井田氏からの返答







変更がないので、また、書いたら、出品者からブラックリスト化されて質問できないようなってしまった。それに対するヤフオク高石氏からの対応。





要するに、出品者が勝手にブラックリストにいれているので、ヤフオクのしったことじゃない、と。

で、この前後にも数通やりとりがあるのだが、要するに、ガイドラインに照合してチェックするが、しかし、その基準、その他、詳細、結果は一切教えられない、というのである。

最後のメール



2012.02.25.12.22)
尾造さま

ご回答いただけなくて残念です。
埒があきませんので、昨日法務局人権相談所 http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken21.html
に相談したところ、

当該文章は、人種差別的ではあり、yahoo auction の対応も、具体的な回答がなく、当該差別的文章の変更がなければ、Aucton 側の容認と推認されるであろう、、とのことでした。

人種差別的文章を摘発する側がブラックリスト化され、人種差別表現・取引を擁護するヤフオクの異様なシステムについても不満を述べておきました。

上記 外国人のための人権相談所にてご確認ください。

昨日の段階では、文章に変更はなかったのですが、今日確認しましたら、例えば、

また、トラ ブル続出のため、外国人の方とのお取引は「良い」以上の評価が20以上あり、なおかつ「悪い」という評価が全体の5%以下の方のみとさせてい ただきます。
上記に当て はまらないかたが落札した場合、オークション終了後に落札者都合で削除いたします。

http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m93459160#desc


と変更されておりました。

しかし、本質的に差別的文章であることはかわりはありません。

1)外国人を民・朝鮮人、、などに置き換えたり、あるいは、海外で、「日本人とはトラブルが続出なので・・・」などの文章があったことを想像 すると、その不当な差別性は明らかである。

2)外国人であっても、善良で、日本語堪能の方も多くおられる以上、十把一絡げにした表現・取引は不合理であり、なおかつ、外国人を憤慨させるも のでもあり、憲法14条その他各種法律の反差別条項・判例の趣旨に反する

3)平等主義にそって、日本人と条件を同じにし、例えば、日本人でも外国人でも、

「良い」以上の評価が20以上あり、なおかつ「悪い」という評価が全体の5%以下 

とする、あるいは、日本人でも外国人でも

取引は日本語のみで、日本語で意思疎通できない場合には取引不可

など出品者のトラブル回避の方策はいくらでもある。

にもかかわらず、出品者が、この表現・取引を続け、外国人一般を不当差別し、Yahoo Auction がそれを容認・擁護しているとすれば、出品者および、Yahoo Auction は人種差別主義者である、と結論せざるえない、と思います。

このような事態が持続していることについて、日本人として失望し、また、恥ずかしい、と感じました。

「ガイドラインに違反すると思われるオークション報告フォーム
http://auctions.yahoo.co.jp/html/check.html」

についてですが、メールのやり取りでも次の日には返答をいただいておりますし、後日やりとりが記録に残りますのでメールはそれなりの価値がありま す。こちらでのやりとりもお許しください。

ヤフーオークションにおかれましては、なにとぞ善処していただくようにお願いいたします。

また、人種差別についてあいまいな態度をとったり、あるいは、かえって、擁護するのではなく、秘密主義を廃し、ガイドライン、その他、この手のや りとりでも、人種差別的表現・取引は断じて許容しない旨、明言して人種差別のない日本社会になるための貢献をしていただきたい、と 思います。

なお、海外のカスタマーサービスの事例、応答、本件類似の人種差別的事例・事件判例なども研究されるのも大切だと思います。

今後も日本人・外国人の友人、上記法務省相談所と協力し、また、その他の協力者も増やし、本件に関して注目していきたい、と思っています。



(2012.02.25.12.58)
追伸
念のため、

◇ガイドラインに違反すると思われるオークション報告フォーム
http://auctions.yahoo.co.jp/html/check.html

にも報告させていただきました。

なお、ガイドラインに。、http://auctions.yahoo.co.jp/html/guidelines.html
「当 社の削除権

当社は、オークションへの出品の拒絶、編集、移動、削除を独自に判断する権利を保有します。また、 当社は、Yahoo!オークションガイドラインを含む利用規約に定める事項または利用規約の趣旨に違反する行為が行われたと判断した場合、あ るいは他の利用者など第三者の権利を侵害したもしくは侵害するおそれがあると判断した場合には、お客様に通知することなく、直ちに該当する オークションを削除する権利を保有するものとします。」

とあることに気づきました。、貴社には、オークションの編集権もある、とあります。


とすれば、人種差別を非難する声が出品者からブラックリスト化され、ヤフーオークションへの抗議後、一週間も当該記述が放置されたままである とすると、一般人は、ヤフーオークションが人種差別を容認・擁護するのだ、と考えるであろう、こともお伝えしておきます。

早急な善処と具体的な回答をして、疑念を払拭していただけることを希望します。


つまり、


1)ヤフオクのシステムでは、不当な人種・国籍差別的な取引・表現について本人に苦情がいえない。

(対抗言論ができない→人種差別的表現の温床になりうる。)

2)ヤフオクは編集権・削除権があるにもかかわらず当該、差別的取引・表現を編集・削除していない。


ということを問題にした。

回答は、



例のごとくであるが、


3月1日現在でも、


という記述が残ったままである。

 差別表現・取引を認知しながら、編集権を行使しないで、放置し、その差別的取引・表現についての批判を封殺する運営方式をとっているのだから、


3)ヤフオクは不当な人種・国籍差別的な取引・表現を擁護している


と結論せざるえない。

被害にあった外国人が司法の場にうってでる、というのも考えられるが、しかし、その前にもできることはある。


不満に思ったなら、より多くの人がヤフオクに苦情のメールを出せばいいのである。

どうか、こうした事態に不満をもったなら、日本人でも外国人でもぜひとも苦情のメールを出してほしい。




ガイドラインに違反すると思われるオークション報告フォーム

http://auctions.yahoo.co.jp/html/check.html

ご意見・ご要望

http://form.ms.yahoo.co.jp/bin/auction_info/feedback

カスタマーサービス

auction-help

@

mail.yahoo.co.jp 



ヤフオクからの反応があったら教えてほしい。


なお、有道ブログでは相変わらず日本人特殊論、日本・日本人の他者視が盛んである。よほど、自国に関して無知なのだろう。 自国・自文化を理想化し、他国・他文化を悪魔視する、というのも一種の人種差別であろう。


続き