Ethics and Public Policy: A Philosophical Inquiry
先ほどさらっと一通り目を通した本で、これも面白かった。目から鱗、という記述もある。
倫理学で言われることも、そう簡単に社会政策に反映されるわけではない、そこらへんの苦労というか、現実との合理的な妥協というか、そんなところが読み取れて面白い。
脳みそからもれ出る前に、ちょこっとまた、メモッておくと、最初は、動物実験の問題
そもそも人間にやっていけないことを動物でやっていいいのか、という問題意識がある。
で、例えば、知性や感覚などで動物と人間を区別しようとしても、知性のある動物もいるし、痛みは動物でも感じる、逆に、事故などで、知性がない人間もいるし、感覚の麻痺した人間もいる。
人間と動物を別扱いする合理的理由はなく、別扱いするとすれば、それは、黒人を先入見で別扱いするのと同様な不当な差別である、というのが、まあ、動物愛護側の主張の要旨なわけですね。
で、そうしたことからして、例えば動物実験するにしても、痛みを減らす努力はしているわけですね。
で、麻酔を打って痛みはなくす、痛みはなくすけど、チューブやらなんやらをいっぱいつけて、内臓が透けて見える状態でさまざまな反応をみたりするような実験をして、その後も、痛みを感じさせないで、死に至らしめる。
なんかへんじゃない、と思うが理論的には、痛みがない分、進歩なわけである。
その議論のなかで、計画とか、家族や友達と過ごしたい希望とか、、あるいは、痛みや快感が重要なのであって、命そのものが大切なわけではないのではないか、とさらっと問題提起しているーーーー面白い。
現在では動物実験に関しては、3R (refinment reduction, replacement)という政策があり、動物になるべく危害を与えない、できれば、実験数は減らす、そして実験以外でできれば、実験しない、という方針があるのだそうである。
次はギャンブル
なぜいけないのか、というに、ギャンブル中毒になって当人もその家庭も崩壊しちゃう、というのがあるが、そういうひとがいるにはいるが、しかし、その割合はかなり少ないのだそうである。
で、日本だとパチンコというのがあるが、イギリスなんかだとスロットマシンというのがあるようで、両者とも中毒になることはありえるが、それは、小銭を稼いだり、もうちょっとでというニアミス感のじれったさ、そして、騒音と派手さで病みつきになるのだそうである。
気持ち的にはパチンコと似たようものなんでしょうね。子供の置き去りなど同じような問題も紹介されている。
いずれにせよ、奨励はしないまでも、許容的であってもいいのではないか、というのが著者の立場のようである。
で、次はドラッグ、麻薬だね。
これもよく指摘されることだが、ドラッグというのは言われるほど害はない、と。もちろん、過分に摂取すれば、害はあるが、それは薬でもなんでも同じ。むしろ、アルコールのほうが、本人にとって、社会にとっても、害が大きいそうな。
ドラッグは、害なないのだから、それをどうしようと、個人の勝手だ、というのが、まあ、リベラルとしては筋なわけである。
ただ、ドラッグを合法化した場合、ディーラーが他の犯罪に手を染めるようになることも考えられるし、どうなるか未知の部分も多い。
また、アルコールのような悪いものを許容しているから、ドラッグも許容せよ、ということにならない、と。すでに悪いものが流通してしまっているのだから、これ以上悪いものを少しでも流通させるのはよくない、ともいえる、と。
で、哲学では意見が不整合である、ことを示せば、相手をコーナーに追い詰めたことになるが、しかし、社会政策はそういうことはないのだ、と。
日曜日に踊らなくちゃいけない、いや、踊ってはいけない、と命令されて、両方の指示に従うことはできないが、しかし、エクスタシーはだめだ、アルコールはいい、というのは矛盾しているが、その法律に従えないわけではない、と。
で、次は安全性(safety)についてで、これも面白い。
原発の問題にも関連する。
問題意識としては、例えば、一兆円かけてある装置を取り付ければ、年間一人の人の命が事故から救えるとして、それを設置すべきか、それとも同じ一兆円かけて、他のところで、年間数十人の命を救ったほうがいいか、といったところである。例えば、前者に、電車の事故、後者に、医療とか、生活保護とか、なんでも当てはめて考えてみてほしい。
因みに、イギリスでは一人の値段は1.4million pounds アメリカでは6million dollars として計算されているそうである。
功利主義的にいえば、コストにみあった投資をすべし、ということになるが、義務論的にいうと、帰結は度外視してもやるべきことはやるべし、ということなる。
実際の安全対策では、コストを度外視した政策が採られているようではある。
今回の原発の除染なども、そもそもそれほどする必要があるのか、やってもコストに見合った効果があるのか、という疑問が出ている。私はどちらかというと、放射能汚染に関してヒステリー的反応ではないか、と思っている。
次は罪と罰 crime and punishment
犯罪は何が悪いのか、そしてなんのために罰するのか?
後者に関していうと、犯罪予防、リハビリ、応報、というのが普通の回答。
ところが、犯罪者は、犯罪行為の刑を計算して、犯罪を犯すということはまれだから、予防効果というのも少ない。ちょっとはあるにせよ、むしろ、犯罪者を罰することによって、犠牲者の貶められた地位を回復するというメッセージを発してもいるではないか、と。
次は健康(Health)
アメリカなんかで、国民皆保険制度が議論されているが、驚きだったのは、GDPのうち健康管理(Health care)に費やす割合はアメリカは世界一であり、一人当たりに費やす公的医療費も、イギリスなんかよりも多いそうである。
にも関わらず、寿命は日本イギリスなどより低い、と。
つまり、健康や寿命を左右しているのは医療よりも、貧富の差だったり、仕事や家族や住居環境だったりのほうが大きいようであるが、しかし、なにかあったときに保険がある、という安心感も健康に寄与するから、皆保険制度が無駄というわけでは全然ない。
で次はFree market(自由市場)
これも面白かった。
悪い品を出せば売れないし、高ければ、安い店にいく、などなど、自由市場ってのは、競争を通じて、品質を向上し、価格を適正にする働きがある。このことは日本ではもっと強調されていいと思うが、他方、今回、AIGなどで問題になったように、年金などは、常日頃消費を繰り返すわけでなく、消費が将来にわたるものというのは、市場に任せて適正化できるわけでもない。金融商品なんかも規制が必要である。
さらに、図書館や医療など、無料ないし安く提供することで選択肢は少ないにせよ貧乏人でも安心でかつ楽しみももつことができる。図書館行かないから、そのために税金を払うのは、無駄だという人がいるかもしれないが、しかし、それ以外に例えば、公園は利用したりして、不満のあるものもあるが、全体としては、まあええじゃない、と言えるような福祉政策もありえる。こうした、市場になじまないような分野もある、とする。
まあ、少し時間がたったら、また、さらっと読み直してみたい、と思う。
先ほどさらっと一通り目を通した本で、これも面白かった。目から鱗、という記述もある。
倫理学で言われることも、そう簡単に社会政策に反映されるわけではない、そこらへんの苦労というか、現実との合理的な妥協というか、そんなところが読み取れて面白い。
脳みそからもれ出る前に、ちょこっとまた、メモッておくと、最初は、動物実験の問題
そもそも人間にやっていけないことを動物でやっていいいのか、という問題意識がある。
で、例えば、知性や感覚などで動物と人間を区別しようとしても、知性のある動物もいるし、痛みは動物でも感じる、逆に、事故などで、知性がない人間もいるし、感覚の麻痺した人間もいる。
人間と動物を別扱いする合理的理由はなく、別扱いするとすれば、それは、黒人を先入見で別扱いするのと同様な不当な差別である、というのが、まあ、動物愛護側の主張の要旨なわけですね。
で、そうしたことからして、例えば動物実験するにしても、痛みを減らす努力はしているわけですね。
で、麻酔を打って痛みはなくす、痛みはなくすけど、チューブやらなんやらをいっぱいつけて、内臓が透けて見える状態でさまざまな反応をみたりするような実験をして、その後も、痛みを感じさせないで、死に至らしめる。
なんかへんじゃない、と思うが理論的には、痛みがない分、進歩なわけである。
その議論のなかで、計画とか、家族や友達と過ごしたい希望とか、、あるいは、痛みや快感が重要なのであって、命そのものが大切なわけではないのではないか、とさらっと問題提起しているーーーー面白い。
現在では動物実験に関しては、3R (refinment reduction, replacement)という政策があり、動物になるべく危害を与えない、できれば、実験数は減らす、そして実験以外でできれば、実験しない、という方針があるのだそうである。
次はギャンブル
なぜいけないのか、というに、ギャンブル中毒になって当人もその家庭も崩壊しちゃう、というのがあるが、そういうひとがいるにはいるが、しかし、その割合はかなり少ないのだそうである。
で、日本だとパチンコというのがあるが、イギリスなんかだとスロットマシンというのがあるようで、両者とも中毒になることはありえるが、それは、小銭を稼いだり、もうちょっとでというニアミス感のじれったさ、そして、騒音と派手さで病みつきになるのだそうである。
気持ち的にはパチンコと似たようものなんでしょうね。子供の置き去りなど同じような問題も紹介されている。
いずれにせよ、奨励はしないまでも、許容的であってもいいのではないか、というのが著者の立場のようである。
で、次はドラッグ、麻薬だね。
これもよく指摘されることだが、ドラッグというのは言われるほど害はない、と。もちろん、過分に摂取すれば、害はあるが、それは薬でもなんでも同じ。むしろ、アルコールのほうが、本人にとって、社会にとっても、害が大きいそうな。
ドラッグは、害なないのだから、それをどうしようと、個人の勝手だ、というのが、まあ、リベラルとしては筋なわけである。
ただ、ドラッグを合法化した場合、ディーラーが他の犯罪に手を染めるようになることも考えられるし、どうなるか未知の部分も多い。
また、アルコールのような悪いものを許容しているから、ドラッグも許容せよ、ということにならない、と。すでに悪いものが流通してしまっているのだから、これ以上悪いものを少しでも流通させるのはよくない、ともいえる、と。
で、哲学では意見が不整合である、ことを示せば、相手をコーナーに追い詰めたことになるが、しかし、社会政策はそういうことはないのだ、と。
日曜日に踊らなくちゃいけない、いや、踊ってはいけない、と命令されて、両方の指示に従うことはできないが、しかし、エクスタシーはだめだ、アルコールはいい、というのは矛盾しているが、その法律に従えないわけではない、と。
で、次は安全性(safety)についてで、これも面白い。
原発の問題にも関連する。
問題意識としては、例えば、一兆円かけてある装置を取り付ければ、年間一人の人の命が事故から救えるとして、それを設置すべきか、それとも同じ一兆円かけて、他のところで、年間数十人の命を救ったほうがいいか、といったところである。例えば、前者に、電車の事故、後者に、医療とか、生活保護とか、なんでも当てはめて考えてみてほしい。
因みに、イギリスでは一人の値段は1.4million pounds アメリカでは6million dollars として計算されているそうである。
功利主義的にいえば、コストにみあった投資をすべし、ということになるが、義務論的にいうと、帰結は度外視してもやるべきことはやるべし、ということなる。
実際の安全対策では、コストを度外視した政策が採られているようではある。
今回の原発の除染なども、そもそもそれほどする必要があるのか、やってもコストに見合った効果があるのか、という疑問が出ている。私はどちらかというと、放射能汚染に関してヒステリー的反応ではないか、と思っている。
次は罪と罰 crime and punishment
犯罪は何が悪いのか、そしてなんのために罰するのか?
後者に関していうと、犯罪予防、リハビリ、応報、というのが普通の回答。
ところが、犯罪者は、犯罪行為の刑を計算して、犯罪を犯すということはまれだから、予防効果というのも少ない。ちょっとはあるにせよ、むしろ、犯罪者を罰することによって、犠牲者の貶められた地位を回復するというメッセージを発してもいるではないか、と。
次は健康(Health)
アメリカなんかで、国民皆保険制度が議論されているが、驚きだったのは、GDPのうち健康管理(Health care)に費やす割合はアメリカは世界一であり、一人当たりに費やす公的医療費も、イギリスなんかよりも多いそうである。
にも関わらず、寿命は日本イギリスなどより低い、と。
つまり、健康や寿命を左右しているのは医療よりも、貧富の差だったり、仕事や家族や住居環境だったりのほうが大きいようであるが、しかし、なにかあったときに保険がある、という安心感も健康に寄与するから、皆保険制度が無駄というわけでは全然ない。
で次はFree market(自由市場)
これも面白かった。
悪い品を出せば売れないし、高ければ、安い店にいく、などなど、自由市場ってのは、競争を通じて、品質を向上し、価格を適正にする働きがある。このことは日本ではもっと強調されていいと思うが、他方、今回、AIGなどで問題になったように、年金などは、常日頃消費を繰り返すわけでなく、消費が将来にわたるものというのは、市場に任せて適正化できるわけでもない。金融商品なんかも規制が必要である。
さらに、図書館や医療など、無料ないし安く提供することで選択肢は少ないにせよ貧乏人でも安心でかつ楽しみももつことができる。図書館行かないから、そのために税金を払うのは、無駄だという人がいるかもしれないが、しかし、それ以外に例えば、公園は利用したりして、不満のあるものもあるが、全体としては、まあええじゃない、と言えるような福祉政策もありえる。こうした、市場になじまないような分野もある、とする。
まあ、少し時間がたったら、また、さらっと読み直してみたい、と思う。