あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

誰が生きているのか。自分が生きているのではないのか。(自我その517)

2021-07-06 14:51:25 | 思想
コロナウィルスのせいで、オリンピック開催が危ぶまれている。開催への批判も多い。しかし、オリンピックが始まれば、日本人は、日本チームと日本人選手を応援するだろう。なぜ、日本人は日本チームと日本人選手を応援するのだろうか。それは、日本という国を愛しているからである。それを愛国心と言う。それでは、なぜ、日本人に愛国心があるのか。それは、自らが、日本という構造体に所属していて、日本人という自我を持っているからである。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、ポジションが与えられ、それを自らのあり方として行動する、役割を担った現実の自らの姿である。つまり、愛国心とは自我愛なのである。国を愛しているように見えて、実は、国民という自らの自我を愛しているのである。だから、オリンピックで、日本チームや日本人選手を応援している時も、実は、自分自身を応援しているのである。そのために、真剣なのである。日本チームや日本人選手が勝てば、日本という国が世界で上位に認められると思い、自分のことのように喜び、日本チームや日本人選手が負ければ、日本という国が世界で下位に思われると思い、自分のことのように悲しむのである。オリンピックでの選手の活躍は、その選手の存在主張であるとともに、国際社会における、国という構造体の存在主張であり、国民という自我の存在主張なのである。だから、オリンピックは、自我の発揚の場なのである。だから、オリンピックで求めるのは、一に、自国チーム、自国選手の勝利なのである。しかし、日本人に限らず、国民ならば、誰しも、自らの国を愛している。その国の国民という自我を持っているからである。現代においては、自分が所属している国に対する愛情、すなわち、愛国心が世界を動かしているのである。それは、世界が分けられ、どこかの国という構造体に所属し、国民という自我を持たなければ、自己確認できないから、世界中の人々には、皆、愛国心があるのである。愛国心があるからこそ、自国の評価が気になるのである。愛国心があるからこそ、オリンピックが楽しめるのである。しかし、愛国心があるからこそ、戦争を引き起こし、敵国の人間という理由だけで殺すことができるのである。愛国心と言えども、単に、自我の欲望に過ぎないからである。だから、国という構造体、国民という自我が存在する限り、人類には、殺戮などの残虐な行為が無くなることはないのである。しかし、人間は、誰しも、生まれてくる国を選べないのである。自分の意志に関わりなく、気が付いた時には、その国に存在しているのである。日本という国に生まれたから、日本人は、日本という構造体に所属して、日本人という自我を持ち、日本に愛国心を抱くのである。韓国という国に生まれたから、韓国人は、韓国という構造体に所属して、韓国人という自我を持ち、韓国に愛国心を持つのである。中国という国に生まれたから、中国人は、中国という構造体に所属して、中国人という自我を持ち、中国に愛国心を抱くのである。アメリカという国に生まれたから、アメリカ人は、アメリカという構造体に所属して、アメリカ人という自我を持ち、アメリカに愛国心を抱くのである。国籍を移しても、同じである。日本人が韓国に国籍を移せば、韓国という構造体に所属して、韓国人という自我を持ち、韓国に愛国心を持つのである。そして、オリンピックが始まれば、日本人は、日本チームや日本人選手を応援し、韓国人は、韓国チームや韓国人選手を応援し、中国人は、中国チームや中国人選手を応援し、アメリカ人は、アメリカチームやアメリカ人選手を応援するのである。また、戦争が始まれば、日本人は、愛国心から、敵国の人間という理由だけで人を殺すことができ、韓国人は、愛国心から、敵国の人間という理由だけで人を殺すことができ、中国人は、愛国心から、敵国の人間という理由だけで人を殺すことができ、アメリカ人は、愛国心から、敵国の人間という理由だけで人を殺すことができるのである。だから、現代においては、国民という自我を持っている者が、自分が所属している国に対する愛情、すなわち、愛国心に動かされ、世界を動かしているのである。だから、現代においては、誰も生きていず、国民という自我が生きているのである。