住職のひとりごと

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R.ゴンブリッチ博士著「ブッダが考えたこと」を読んで

2018年11月11日 21時20分54秒 | 仏教書探訪
リチャード・ゴンブリッチ博士著 浅野孝雄訳『ブッダが考えたこと プロセスとしての自己と世界』(サンガ刊)2018年5月1日発行

ゴンブリッチ博士は、英国オックスフォード大学仏教学センターの創始者であり会長、英国仏教学協会会長、2004年に引退するまで28年間にわたりオックスフォード大学サンスクリット講座の主任教授。
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かなり昔のこと、20年も前のことにはなるが、某T大の会議室に呼ばれて、インド人仏教学者の話を聞いたことがある。この人はヒンドゥ教徒で、アメリカにまで行き講演されて日本経由で帰る途中だとのことだったが。お話を聞いていて、大変失礼ながら、はたしてこの方はなぜ仏教を研究しているのだろうか、ブッダにも仏教にもまったくリスペクトなく、ご自身の研究がつまらないことをしていると思われないのだろうかと気の毒にも思われたことを思い出す。インドには未だに仏教はヒンドゥー教の分派であり、ブッダは9番目の神として祀られていることもあるのであるから、そのことを裏付けるためにバラモン教とは異なる教えであるとか、神聖なる教えであるというような認識を改めさせるために必死になって研究をしているのだろうかとも思われたからである。

じつは、序言において仏教徒ではないと宣言するゴンブリッチ博士の、この500頁もの大著を読み始めて、最初にこの昔のことが思い出されたのである。しかし途中で投げ出す気にはならず、より引き込まれて最後まで三日ほどで読み込んでしまったのには、この先生の並々ならぬ仏教に対する、ないし仏教文献、まさに厳密に探索していく言語学者としての、ひた向きな思い入れがひしひしを感じられたからであろうか。

しかし、先生自らこの本を読んで仏教徒は驚愕するだろうとあるように、112頁には、「カルマの理論を初めて倫理化した事への称賛は、仏教ではなくジャイナ教に与えられるべきとも言えよう」とあり、ジャイナ教と仏教とは同時代に発生した教えであると言いながら、カルマについての理論などブッダはジャイナ教からその理論を拝借したとでもいうようなニュアンスで書かれている。勿論その理論をより精密にカルマは善悪ともに来世に影響するものとして体系化したのはブッダではあるがと書かれてはいるのではあるが。

ブッダが悟られる前に苦行をされたことも、ジャイナ教の行法を試みたというな書き方になっており、当時苦行はジャイナ教徒だけがしていた行ではないことは、勿論先生はご存知のはずであるのに、このような表現をされているのは、余りに仏教びいきと取られないが為の予防線なのかもしれないが。

また、126頁には、ブッダはバラモン教に対してと同様にジャイナ教についても多くの反対を唱えたが、ブッダが「ジャイナ教の教義を大いに変革し、発展させてはいるが、再生のサイクル、カルマ、および非暴力についての彼の考えは、きわめて多くをジャイナ教に負っているのである」とあるのは、ジャイナ教の文献まで確かめられないが、重複する内容はすべてジャイナ教から学んだとするのもいかがなものかと思える。

265頁には、『大縁経』中に、アーナンダに対してブッダが十二縁起は理解するのが極端に難しいと語る部分について、ブッダの教えが深遠で理解するのが難しいと言い放つ例が他にないからと、これは経典編纂者が自らの理解に確信がなかったからであると書かれているが、これもいかがなものか。また、270頁には、十二縁起についての解説で、この場合の「名色」の「名」は、既に十二縁起の別項目として「識」は登場しているからと「受・想・行」のみを意味するとあるが、これもいかがなものか。さらに、296頁には、パパンチャという言葉について、概念化したときの不正確さを免れないので問題であるというような解釈となっているが、心の習性として何でも見たもの聞いたものを概念として捉え執着の対象としていくことが問題なのではないか。

322頁には、『三明ヴァッチャ経』には、ブッダは眠っているときも目覚めているときもいかなる時も完全なる知と洞察を得ているのかとの質問に、ブッダは、私が有するのは三明(宿命通・天眼通・漏尽通)であると答えられているという。この応答はブッダが全知者でなかったと自ら告白したようなものであると捉えられていて、それは伝統的な仏教徒の一般認識からは受け入れられないことであろうとあるが、私はそれでよいのではないかと思える。ブッダは誠に謙虚なお方であり、この世の真実のありよう生き方を探求されたのであるから、三明に通じておられたらすべてを知ると言えるのであり、そのように厳密に自らの評価をされたに過ぎないのであろう。

また、338頁には、「ブッダが精神修養として処方したものは、当初の段階では、今日の教育ある人なら当然持ち合わせているような、道徳的・知的理解の基礎的訓練であったのに違いない。」とあるが、その前ページにはブッダの教えられた瞑想・止観についての解説もあるのに、この記述、表現はいただけない。

このように何箇所も疑問に感ずる部分があるのだが、376頁にはアメリカの仏教学者のコメントが引用されているが、それによれば厳密な文献主義に徹する立場からは、ブッダが紀元前五世紀の人でその説法の記録は口授伝承にてのちに書き記されたなどということはまったく信ずることもできない、せいぜい紀元後四世紀以降に誰かがブッダという偉人をつくりあげた、その書き物に過ぎないということになっているようだ。インドの宗教の伝統文化の特異性などは一瞥すらもしないという姿勢のようであるが、それにたいして、ゴンブリッチ博士は、207頁に「ひと纏まりの言葉がテクストの地位を担うには、誰かがそうした確固たる実体を作り上げようと決め、暗記したうえで今度は他の者たちが暗記できるように伝えるという形を取るしかなかったであろうと」述べている。

そして、377頁に、仏教は、「人類思想史の全体を通じて少なくとも存続期間においては、最大の運動であるに違いない」と仏教の教えとしての広がりを正当に評価している。また、378頁には、ブッダの「カルマ理論とは祭祀の代わりに倫理を置くものであり、ここでブッダはバラモンに対して、いわば敢然と立ち向かっている。」と書いて、某国の仏教学者がこぞって右に倣えとなった、輪廻やカルマなどはみなバラモン教からの借り物でブッダは輪廻を否定したのだとする近代以降の認識とは、まったく異にする見識、つまりそれが世界の仏教徒のまっとうな認識なのではあるが、ごく当たり前の認識を文献学を厳格に研究された上でお持ちであるということなのである。

201頁には、パーリ聖典が最古の資料でありその経と律に比肩するものはないとして、「我々が、仏教がいかに始まり、いかに発展してきたのかということに、真剣な関心を抱いているにもかかわらず、それらに最大の注意を振り向けないとしたら、まったく愚かしいことだ」と書かれている。我が国においても、明治時代に欧州に留学してまで近代仏教学を学び原始仏教という名でブッダの教えを真摯に学んだ時期があった。にもかかわらず、戦前戦中の動乱の末、戦後は小さく伝統仏教宗派内の教学に埋没し、大乗経典のそれも各宗派関係の経典研究のみに没頭し、宗門大学さえもまったくブッダの正論、つまり仏教とは本来いかなる教えであるかといったことに関心がなくなったわが国の現状を嘆いているかのようである。

また379頁に、「ブッダのカルマ理論は祭祀を倫理に置き換えたばかりでなく、意思を倫理的な価値判断の究極の基準とした。これは文明史における偉大な一歩であった。なぜならこのことは、あらゆる人間が倫理的水準において、普遍的に平等であることを意味したからである」「さらにブッダは、我々は自らの運命の支配者であり、各々が結果に責任を負うことを主張するという、きわめて大胆な一歩を踏み出した」と書かれており、神の意志でも、支配者の指図でもなく、宇宙の摂理でもなく、仏のはからいでさえもない、個々人の存立の基盤、基本的な人権なるものに気づかせるものであり、すべては因果応報、自業自得であることによって自らの教えを体系化したということが、その時代にそれをなし得たことが、人類の文明史上においてさえ、いかに革新的なものであったかということを文献学の上から証明しようとされている。

また博士の大乗仏教に対する認識は、この大事なところ、つまりカルマ(博士によれば、それは道徳にまつわる意欲であり、生を経めぐらせる原動力、生を貫く持続性と一貫性の原理をもたらすと説明される)は各々個人において異なるのであって、自らのカルマを引き継ぐべき本人が涅槃に達していなければ再生を続けるはずであるのに、それを曖昧にした。ブッダを極端に賛美し、ブッダと将来のブッダたる菩薩を多様化することで、一群の神格化された人物を創り出し、本来実践すべき教えを垂れる存在であったブッダを単に祈りと崇拝の対象にしてしまったと考えられ、最初期の仏教と著しく異なるものとなったと結論している。

いずれにせよ、ゴンブリッチ博士は、文献学の見地からパーリ聖典を渉猟されて、その精緻な読み解き、一部紹介したような欧米の仏教学者たちからの厳しい批判的な眼差しにさらされ、自らの認識、感触ををそのまま思うように書けない中で、このような文章になっていることを加味して改めて読み直してみると、序言の冒頭に、「本書は、ブッダがあらゆる時代を通じて最も輝かしく、かつ独創的な思想家の一人であることを論証するものである」とあるその言葉どおり、溢れんばかりのブッダへの熱い思い、礼讃を感じ取ることができるのである。

それは、はじめに述べた、インド人仏教学者とは大違いであったことに安堵するが、最終章の最後に、「西洋世界でのパーリ語研究はほぼ死に絶えてしまった」と述懐している博士の立場を考えるとき、学問の世界も功利主義の潮流に圧倒され、お金にならない研究をする人のなくなる時代に長年情熱を傾けてこられた博士に感謝の念すら憶え、今後日本にも博士のような勇気ある研究者が一人でも多く現れることを期待したい。豊富な内容をもつ本書の一端をとらえ気が付いたことのみを書いてみたが、本書を書評するというほどの内容ではないと考えている。さらにこれから何度も本書を読み返しつつまた時折気づいたことを書いてみたいと思う。それだけ魅力あふれる本書に出会えたことに感謝したい。


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