住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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今日の護摩供後の法話に補足して

2024年02月21日 19時45分24秒 | 仏教に関する様々なお話
今日の護摩供後の法話に補足して


今日も沢山の添え護摩の木を皆様書いて下さって大きな護摩を焚かせていただきありがとう御座います。毎月お大師様の日に、一ヶ月のいろいろ積もった、願い、思い、計らい、心の重荷を仏様にすべてをお預けして、放下する心の大掃除の場として、私も大切な行として修法させていただいています。

ところで皆様の中には、自分自身が病を抱えている方もあるし、ご家族が長く患っている人もあります。また長く患っていた家族をお見送りしたという方もあり、様々な思いを以てお参りいただいていると思います。

私たちのしがちなこと、習慣として何事も二つに分けるということをしがちです。良いこと悪いこと、楽しいこと苦しいこと、幸せなこと不幸なことと。ですから、病気になる、亡くなる、またはいろいろな場面で思ったようにならなかったりすると、それらは悪いこと、良くないこと、不幸なことと判断しがちです。

ですが、それらは本来自然現象です。色々な原因によって結果しただけのことに私たちは色々とそこに思いを重ねて気持ちが塞いだり、落ち込んだりしてしまいます。

どうしても一つのことに心が塞いで閉じこもってしまったようなときは身体を使って動いてみることです。外へ出たり、運動したり、出られないときは映画でも見たり本を読んだり。

すべてのことはあるべくしてあるのだから、そのことをどう受け取り、捉えて、そこからどうしていくかが大切でしょう。

これまでの様々な積み重ねによって今があるわけですが、この次にどう考え行動するかによって未来は違ってきます。悪いことが起こったと暗い気持ちになることなく、冷静に、ではどうあるべきかと考えて、自分の心を自ら幸せなものにする必要があります。

人のせいにしても何も解決しません。残念なことではあるけれども、あるべくしてあったのだと思いあきらめて、あるいは、自分の考え思いがすべて正しい、こうあるべきという考えも捨てて、自分の受け取り方を変えてみたら、自ら幸せな心を作り出していく工夫や智慧が湧いてくるのではないかと思います。

息子さんに先立たれたある方が、当初は相当なショックだったようですが、しばらくしてそれをきっかけに若い時の夢であった音楽の世界に再チャレンジして、作曲したり歌ったりして、同じように子供に先立たれた家族に向けた歌を作り、多くの人たちから励ましをいただいたと感謝された方がありました。

また昔歯医者さんの奥さんでご主人のスケジュールや会計まで任されてとてもハードに働いていたら、ステージフォーのがんが発覚して、色々と思案されて、すべて仕事を辞めてしまわれて、生活を一変して、瞑想やお経の勉強などをされて、食品も厳選して生活されていたら、いつの間にかがんが消えて、今も元気に以前とは比べ物にならないくらい精神的にとても豊かに暮らしている方もあります。

私たちはみんな前世までの沢山の業を持って生まれてきて、来世にその業を少しでも善いものにして受け渡していく役割があります。何があってもそれによって自分を変えて、それを一つの学びと捉えて、前向きにプラスのものに転回していってほしいと思うのです。

人生で起こることのすべてが自分が学び成長していく切っ掛けとしてあり、来世により良いものを受け渡すためにあるのだと思えれば、何があっても冷静に受け入れることができます。病気も、身近な人の死も、失敗も、挫折も。

そうした悪いことと思われがちなことの方が、かえって善いことよりも多くの学びを私たちにもたらしてくれるのかも知れません。・・・

月例護摩供は、毎月二十一日午前8時から9時頃まで、大師堂にて。お気軽におこし下さい。


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