住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
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しあわせですか

2005年04月21日 19時03分14秒 | 様々な出来事について
18日朝7時50分発東京行きに乗り、9時羽田着。京浜急行と地下鉄を乗り継ぎ、10時半には西早稲田の放生寺に到着しました。この度は平成の大改修にあたり、戦後間もなくに造られた庫裏が跡形もなく壊され、ただ広い空間だけが取り残されたように広がっていました。

午後2時頃より多くの参詣者の見守る中、僧侶方が本堂に入堂着座。ご開帳された本尊様に散華、対揚、讃と読経が進み、中央の護摩壇ではご住職が観音菩薩護摩法を修法。沢山のお申込された御祈願を祈念されました。読経の後、「南無大師遍照金剛」と唱和しながら本堂に布かれた四国八十八カ所のお砂踏みをし、参会者一同心満たされる法悦の中、今年も開帳法会を終えました。

片付けの後の慰労会で印象に残ったのは、私と一緒にかつて修行生活を送ったK師が、時流に乗り遅れパソコンも携帯も持っていないこと使えないことに焦りを感じると話だしたことでした。一同驚きを隠せませんでした。というのも、三重の山奥のお堂で、すがすがしく修行に励むK師を誰もが羨望していたからでもあります。

放生寺を後にして地下鉄に乗っていると、乗客の誰もが時流に乗り遅れまい、勝ち組に入りたい、幸せになりたいと叫んでいるように感じました。流行の服を着て、みんな同じ様な顔をして、必死に勉強して。

ですが、時流に乗り遅れまい、幸せになりたいと思うことは、今の自分はその理想の状態にはない、満たされていない、幸せでないことを認めていることになるのではないでしょうか。幸せになりたいと思う度に自分は不幸せだと自己暗示に掛けていることになるのかも知れません。

昔ある人の講演で、松下幸之助氏が創生期に会社を立派にするためには運のいい人を採用せねばと考え、それを人事課に指示したそうです。すると人事課ではどうやって運のいい人を発掘したらいいのか途方に暮れてしまった。そこで、幸之助氏に尋ねると、その人本人に聞きなはれ、と言われたと言います。

自分で運が良いと思う人は、何か悪いことがあっても次には良くなると思う。しかし運が悪いと思う人は、何か良いことがあっても隣はもっと良いと思ってしまう。運が良いと思っている人は自然と人が周りに集まり、物事が好転する。積極的に様々なことにチャレンジできる。自分の思い一つだということになります。

パーリ経典の中でも有名な吉祥経には、年齢と共になすべきことをしっかりと坦々とこなしていき、何ものにも束縛されない心の安らぎこそがこよなき幸せであるとある。
また報恩と題する経典には、恩を知り恵みに気づくことこそが、まことある人、善なる人の立場であるとある。

私たちのすべきことは、時流に乗り遅れまい、幸せになりたいと思うことではなく、前回述べたように、偶然ではなく、あらゆる事の原因と結果の積み重ねの必然として今ある恵みを知り、ただ坦々と生きることこそが大切なのではないか。つまりは自分は運が良いのだと思えることこそが大事なのではないか・・・。

19日夕刻、そんなことをあれこれ考えつつ、初夏を思わせる陽気の広島空港に降り立ちました。
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