おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

迷子の警察音楽隊

2024-07-20 08:10:32 | 映画
「迷子の警察音楽隊」 2007年    イスラエル / フランス


監督 エラン・コリリン     
出演 サッソン・ガーベイ ロニ・エルカベッツ
   サーレフ・バクリ  カリファ・ナトゥール

ストーリー
ちょっと昔の話。
揃いの水色の制服に身を包み、空港に降り立った一団があった。
イスラエルに新しくできたアラブ文化センターでの演奏を依頼されたエジプトの警察音楽隊である。
しかし、空港に彼らを待っている人は誰もいなかった。
楽隊を率いるのは誇り高い団長トゥフィークで、彼は自力で目的地を目指すことにする。
ところがたどり着いた先は、目的地と似た名前の全く別の場所。
若手団員カーレドがちゃんと聞かなかったのか、空港の案内係が間違ったのか、一行は目的地〈ペタハ・ティクバ〉と名前がよく似た、ホテルさえない辺境の町〈ベイト・ティクバ〉に迷い込んでしまったのだ。
お金もなくお腹を空かせた一行は、とある食堂の女主人の好意で食事をさせてもらうことになる。
ぶっきらぼうだが面倒見のいい女主人の名はディナ。
一日一本しかないバスを逃した彼らに他の手段はなく、団員は3つのグループに分かれ、食堂、ディナの家、そして食堂の常連イツィクの家で一泊することになる。
トゥフィークはカーレドと共にディナの家に泊まることになった。
夫と離婚したというディナは、ひとりで暮らしていた。
女と見れば口説きにかかるカーレドはディナにも興味津々だが、ディナが興味を持ったのは堅苦しいまでに真面目なトゥフィークの方。
カーレドは、地元の若者パピがデートに出掛けるというのに無理やりついていく。
しかし、パピは女の子の扱いをまったくわかっておらず、デートは目もあてられないありさまに。
パピは、カーレドに手取り足取り教えてもらいながら、女の子とはじめてキスを交わすことに成功する。
イツィクの家では、3人の団員が家族と食卓を囲んでいたが、話が盛り上がるはずもない。
イツィク自身、1年近く失業しており、家族に失望されていた。
しかし、族の一員がかつてバンドをやっていたことで歌を介して、ぎこちなかった食卓に親密さが生まれていく。
町のカフェでトゥフィークと心を通いあわせて家に帰ってきたディナは、意を決して「トゥフィーク、エジプト映画は好き?」と話しかける。
「小さい頃、テレビでやっていたのよ。オマー・シャリフ、ファテン・ハママに憧れたわ。あんな悲恋に恋していた。今夜は映画の再現みたい。エジプト映画の燃える恋。でもダメね。私じゃブチ壊しだわ。」
それは、挫折を繰り返してきた、彼女なりの告白だった。
だまって聞いていたトゥフィークは、口を開いた。
一人息子がかつて過ちを犯したこと。
厳しく接しすぎた自分のせいで自殺してしまったこと。
そして妻が息子を失った哀しみから死んでしまったこと。
トゥフィークは言う、「ディナ、君はいい女性だ」と。
次の朝、食堂前に集合した団員たち。
昨日「ディナ」と呼びかけたことなどなかったように、「奥さん、お世話になりました」と堅苦しい挨拶をするトゥフィーク。
「行き先はペタハ・ティクバよ」と、町の名前を書いた紙切れを渡すディナ。
何か言いかけるが言葉が出てこない。
レストランの外に出たトゥフィークは、ぎこちない仕草で彼女に手を振った。
それは、前の晩、彼らがさまざまな違いを乗り越えて、確かに心を通わせたことを示す、小さなジェスチャーだった。
再び、イスラエルの青い空の下。
演奏するアレキサンドリア警察音楽隊の姿があった。


寸評
ヘブライ語、アラビア語、英語のやり取りを日本語字幕で見ていることがそもそも面白い。
エジプトとイスラエルと言えば中東戦争を何回も引き起こした国である。
そのエジプトの音楽隊とはいえ警察が、イスラエルを訪問して迷子になってしまうという設定がユニーク。
そしてその結果として、大事件が起きるでもなく、いやむしろ何事も起こらないで、交流を持った人々と時として間の悪い静かな時間を過ごしながらも、心だけは通わせていく平凡な時間の推移がこれまた映画としてユニーク。
とにかく地味に時間だけが過ぎていくのだが、それでもなんとか打ち解けあいたいという気持ちだけは通じてくる。
そのじわじわとした展開がこの映画の持ち味だった。
分かれる際のトゥフィークの手の振り方が総てを象徴していたと思う。

ディナの家に帰ってきたカーレドが、「チェット・ベイカーは好き?」とディナに尋ねた時に、「好きだ。レコードも全部持っている」と答えたのがトゥフィークの方だったことは、若いカーレドと上司であるトゥフィークとが心を通じ合わせた出来事だったと思うのだが、そのあとでディナと結ばれたのはカーレドの方だったことと、それを垣間見たトゥフィークの変わらぬ冷静な態度がより一層映画に心理的深みをもたらしていたと思う。

それにしても起伏の少ないこの映画にあって、歌声が流れるシーンは感動したなあ。
エンドロールが流れる時にかぶさる音楽もすごく感動的だった。
もちろん劇中で彼等が口ずさむ歌声も。
そして彼等が着用していたブルーの制服がとてつもなく印象深かった。
見終わってから知ったことなのだが、彼等が間違った地名の「ベイト・ティクバ」は希望の家という意味で、本来訪ねるはずだった地名の「ベタハ・ティクバ」は希望を開くという意味らしい。
だとすると、そもそもこの間違った地名こそが大きな意味を持っていたことになる。
彼らは希望の家に泊まり、希望を開いたのだ。
希望とは平和そのものに違いない。

しかし今のイスラエルとハマスの戦いでガザの状況を見ると、平和に対する希望が見いだせない。
現実は厳しい。