おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ホテル・ルワンダ

2024-07-18 06:42:58 | 映画
「ホテル・ルワンダ」 2004年 イギリス / イタリア / 南アフリカ 

           
監督 テリー・ジョージ     
出演 ドン・チードル ソフィー・オコネドー ホアキン・フェニックス
   ニック・ノルティ デズモンド・デュベ デヴィッド・オハラ

ストーリー
1994年、ルワンダの首都キガリ。
多数派のフツ族と少数派のツチ族の内戦はようやく終息したものの街は依然不穏な空気に包まれていた。
ベルギー系の高級ホテル“ミル・コリン”で働く有能な支配人ポールは、ある晩帰宅すると暗闇に妻タチアナと子どもが身を潜めていた。
フツ族大統領が何者かに殺され、これを契機にフツ族の人々がツチ族の市民を襲撃し始めたのだ。
ポール自身はフツ族だったが、妻がツチ族だったことから、ひとまずミル・コリンに避難することに。
外国資本のミル・コリンはフツ族の民兵たちもうかつには手を出せなかった。
そのため、命からがら逃げ延びてきた人々が続々と集まってくるのだが…。


寸評
ルワンダの大虐殺はニュースや報道写真で知っていたが、その報道期間の短さや、関心の低さ、あるいは中途半端さで、その実体を僕は今も知らないでいる。
報道は加熱したが、すぐに下火になった。
ありていに言えばメディアも僕達もその報道に飽きたのだ。
映画の中でも、ジャーナリストに「世界の人々は映像を見てかわいそうねと言うけど、そのままテレビを見ながら食事を続ける」という発言をさせていた。
ルワンダというアフリカ中部の小さな国に石油でも湧いていれば、もっと違った報道がされていたと思う。
しかしともあれ、3ヶ月ぐらいで80万人が虐殺された原爆投下以来の短期間大量殺戮だった事だけは知っている。
そして、アフリカの内戦に付き物のヨーロッパ諸国における植民地時代の陰もあって、ベルギーだとかフランスなどが絡んでいたらしいことも知識としてはある。

世界的にも中身の濃い報道がなされていなかったらしいので、そんなことに対する、もっと政治的メッセージの強い映画だと思っていたら、そんな堅苦しい演出は無くて、むしろ家族愛のようなものが前面に出ていた。
こんな残酷な事が許されるのかとか、何故世界はこの状況を救うことが出来なかったのかなどという視点では描かれていなかったと思う。
その虐殺の残虐シーンが直接描かれる事はほとんど無くて、虐殺後の死体の山を写すことなどで処理していたことに起因しているのではないか。
国連軍の無力は描かれているけれど、ベルギーやフランスがどのように係わったのかは不明のままなので、政治映画、思想映画ではないことは確かだ。
そしてその描き方に不満をもつことなく見ることが出来たのは、家族の絆を見せつけたドン・チードル、ソフィー・オコネドーの熱演が寄与していた。

ポールは四つ星ホテルの支配人なので富裕層になる。
そのため、内戦の中での悲惨な生活は描かれないし、どちらかと言えばその中で優雅な生活スタイルをとっている。
そのことにちょっとした違和感があったけれど、行方不明になった姪御達を必死で探し、引き取る姿には心打たれた。
家族を守る強い意志だけは終始一貫して描かれていて、その延長線上で難民の受け入れをやっていたと思う。
ルワンダ紙幣ではなく、酒や貴金属などの現物賄賂を駆使してピンチを切り抜けていくのを見ると、金なんてただの紙で非常時には何の役にも立たないことも解り、それに執着する昨今のマネーゲームが可笑しくも思った。

この映画を見たことでルワンダの大虐殺のことを調べてみた。
今新たにその実体を知るに至って、僕にとっては当時の報道よりも詳しく知る事が出来た。
そんな行動をとらせたことを思うと、映画の果たす役割も大きいものが有るなとも思う。
変に主張の多い映画よりもそんな行動をとらせるには効果的だったかも。
その目論見を狙った脚本だったら本当にスゴイ。
ジャン・レノが救済に関係する重要人物として少しばかり登場するが、クレジット・タイトルに彼の名前が無かったのは何故?
それとも僕の見落とし?

ルワンダ大量虐殺について
もともと言語も同じだったツチ族とフツ族には歴史的な背景があり、遊牧民族であるツチ族と農耕民族であるフツ族の違いが、貧富の差を生み、裕福なツチ族と貧しいフツ族という階層を作っていく。
やがてドイツやベルギーの統治者がやってきて、ルワンダ人をフツ族、ツチ族、そしてトゥワ族に分類。
フツ族とツチ族はそれでもまだ良好な関係を保っていたが、小学生にまで人種差別の思想をたたきこみ、ツチ族は高貴な民族であるのに対し、フツ族は下等な野蛮人とみなす神話を作り上げた。
しかし、ツチ族とフツ族の立場は独立をめぐって逆転する。
ツチ族の支配者たちはベルギーと距離を置いて権力を維持しようとしたのに対し、ベルギーはフツ族支援にまわった。
永年の恨みも重なり、 フツ族によるツチ族の大量虐殺が行われ、ツチ族は周辺諸国に流出していった。
一方、隣国ブルンディではベルギーからの独立に際して逆にツチ族が権力の掌握に成功した。
1992年に行われたフツ族の弾圧で生まれた難民がルワンダに流れ込み、このフツ族難民たちが1994年の大量虐殺のときに大きな役割を果たしたという。

1994年4月6日、フツ族のルワンダ大統領を乗せた飛行機が何者かに撃墜される。
フツ族によるツチ族の大量虐殺がこれをきっかけに始まった。
フツ族の支配層は反ツチ族の洗脳キャンペーンを繰り返していたので、政府軍と暴徒化したフツ族によって80万人から100万人のツチ族と穏健派フツ族が殺害されたと見られている。
国連安全保障理事会は、ルワンダ新政府の要請を受けて、ルワンダ領域内及び隣接諸国において非人道行為を行った者を訴追・処罰するためのルワンダ国際刑事裁判所を設置、現在も審理が続いているらしいが、映画の最後のテロップでも誰々が死刑になったとか終身刑になったと流れていた。