写真は「最後の相場師ー是川銀蔵」・小学館
昭和の唯一の相場師と言われて、当時で数百億円を何回も稼ぎを出す。
ところが昭和大恐慌や戦争、敗戦後の累進課税制度でほとんど残らず、最後に是川財団設立し、奨学金を支給する慈善団体を残した
私の最初の株のお師匠さんは是川銀蔵さんでした、戦後の高度成長期の時代の波に乗りそうな単価の割り安な優良な大型株を探し出す能力に秀で、また当時以前に存在していなかった機関投資家の力や動きを掴んで相場を仕掛けていました
是川さん書物を書かないので、私は講演内容を記者が書いた雑誌を読んで株の醍醐味や相場の勉強をしました
当時はラジオ短波放送と日経新聞でしか株価格の取り扱いをしてません、一般的には株って何にの時代でした。
その頃にQ先生が文壇の世界から、市場に株の神様として頭角を現してきました、
そしてその頃から株が一般化・大衆化してきました
昭和の唯一の相場師と言われて、当時で数百億円を何回も稼ぎを出す。
ところが昭和大恐慌や戦争、敗戦後の累進課税制度でほとんど残らず、最後に是川財団設立し、奨学金を支給する慈善団体を残した
私の最初の株のお師匠さんは是川銀蔵さんでした、戦後の高度成長期の時代の波に乗りそうな単価の割り安な優良な大型株を探し出す能力に秀で、また当時以前に存在していなかった機関投資家の力や動きを掴んで相場を仕掛けていました
是川さん書物を書かないので、私は講演内容を記者が書いた雑誌を読んで株の醍醐味や相場の勉強をしました
当時はラジオ短波放送と日経新聞でしか株価格の取り扱いをしてません、一般的には株って何にの時代でした。
その頃にQ先生が文壇の世界から、市場に株の神様として頭角を現してきました、
そしてその頃から株が一般化・大衆化してきました
私が高校生くらいのとき、
「交通遺児を励ます会」にいらしてくださったように記憶しています。
「変わった名前やなぁ。」と思ったくらいで
あまりに幼くて、お話の意味がわかりませんでした。
2回目は、結婚して株を始めた私が最初に取引していた証券会社の講演会です。
小さな地方都市にいらしてくださいました。
その証券会社はとても小さな会社で
バブルの影響を受けてなくなりましたが
講演会は1989年ごろでしょうか。
高校生の時に見たお姿とあまり変わりませんでした。
今、ブログで拝見し、早速 明日でも本屋さんに行って探してみます。
最近の中国株の高騰など体験させていただきました。
「運がよかった」だけではなくて
今後も「運がよい」を続けさせていただくために
「自分の軸」のようなものを考察したくなりました。
以前に是川さんに合われたのですか、羨ましい限りですね、
実は本人には近くで合った事がなく、雑誌の株の対談など記事からのみの情報でした。
Q先生は小型で割安の成長株を上手に見つけますね、
是川さんは割安の大型株を上手に仕込むのと、流通の少ない株の仕手戦が得意だったようです。
私は推奨された割安な大型株を買い、結果はOKの大当たりで、
元金の小さなお金をかなり増やす事ができました、
なぜか小型の成長株の方は買いませんでした。
消費者金融の年20%もの高利の利息を払を人がいるんですね、驚きの社会です
私の友達もあっちらこちらで借りて自転車操業してる人もいます、
貸金業者も貸金の回収率60%でしかも利息制限法で厳しくなりましたので、資金が海外投資に出稼ぎにでるかも、
ベトナム人は、投資する株の予想利回りと、借り入れ利息を比較して利益があれば即実行し借金で株を買うそうです
こちらは旨くいけば利益が残りますね
人それぞれの人生ですが、
私は若い時に10年かかってやっと貯めた手元資金78万円から投資を始めました。