昨年の秋。
畑脇へのポイ捨て防止策として私が埋めた、60個のチューリップの球根が。
チラッとだけど、小さな芽を出し始めた。
そしてその合い間に点点と植えたビオラも少し大きくなり、次々と花を咲かせてくれている。
しかし、相変わらずゴミのポイ捨てはなくならず、状況は一向に良くなる気配なし。
タバコの吸殻、噛んでそのまま吐き出したガムにその包み紙、お弁当の空容器.....
どこかの『歩こう会』が、順路案内として貼ったまま、後処理をしなかったのであろう、透明プラスティックでパウチされた大きな表示板。
人々は、実に様々なものを自分達の欲望と共に捨ててゆき、同じ事を繰り返してゆく。
そういえばビオラを植えている中の一箇所のものだけが何度植え替えても枯れてゆくのは.....
嫌な臭いがするのは。
そこを誰かが自分の排泄物の『捨て場』にしているからだろう。
自分の欲望のままにタバコを吸い、それが満たされたらポイ。
腹が減ったからとコンビニで弁当を買い、食欲が満たされたらポイ。
健康保持と交流と、自然を愛でるためにみんなで歩いて、それが満たされたらポイ。
欲望のままに生きて捨てる人間の愚かさには、怒りなど湧いては来ず、ただただ途方に暮れるだけだ。
そして、『立小便』という名の排泄物の垂れ流しに至っては、哀れささえ感じる。
(なぜ人のものだとわかるかというと、畑との境界に設置されている柵を支える、切断した内部が空洞の鉄パイプ内に排泄物が溜まっているから。犬や猫が排泄する際はあの高さには届かない)
自らを律することが出来る人間として生まれてきてなぜ、我が身を貶める行為をするのか。
.....しかし、私は負けない。
人の排泄物で何度ビオラが枯れようとも。
捨てられてゆくゴミで、土の中で頑張る小さな命がその存在を無視されようとも。
その横で必死に芽を出すチューリップがあり、地面に這いつくばって伸びゆく雑草がある限り。
私もしつこく同じ場所に花を植え続け、ゴミを拾い、整地を続ける。
畑脇は公道ゆえに、いじれる限界はあるけれど、少なくとも今と同じ状態を保つことが、私の務めであるし、戦いだと思う。
声高に叫ぶ強さではなく、地に根を下ろす、植物の静かな強さこそを、私は見習いたいのだ。
そして、春になって見事にチューリップが花開いたら。
ポイ捨てを続ける人の愚かさを笑いたい。
お前なんかより。
私なんかより。
小さな植物のほうがずっとずっと強いんだよと。
あ。
そういえば、この国には、
「女性は子供を産む機械。装置」
なんて言った大臣もいたが。
今回ばかりはポイ捨てに目をつぶるとして、誰かアイツをどこかに捨ててきてくれないものだろうか?
戦いはまだまだ続く。
畑脇へのポイ捨て防止策として私が埋めた、60個のチューリップの球根が。
チラッとだけど、小さな芽を出し始めた。
そしてその合い間に点点と植えたビオラも少し大きくなり、次々と花を咲かせてくれている。
しかし、相変わらずゴミのポイ捨てはなくならず、状況は一向に良くなる気配なし。
タバコの吸殻、噛んでそのまま吐き出したガムにその包み紙、お弁当の空容器.....
どこかの『歩こう会』が、順路案内として貼ったまま、後処理をしなかったのであろう、透明プラスティックでパウチされた大きな表示板。
人々は、実に様々なものを自分達の欲望と共に捨ててゆき、同じ事を繰り返してゆく。
そういえばビオラを植えている中の一箇所のものだけが何度植え替えても枯れてゆくのは.....
嫌な臭いがするのは。
そこを誰かが自分の排泄物の『捨て場』にしているからだろう。
自分の欲望のままにタバコを吸い、それが満たされたらポイ。
腹が減ったからとコンビニで弁当を買い、食欲が満たされたらポイ。
健康保持と交流と、自然を愛でるためにみんなで歩いて、それが満たされたらポイ。
欲望のままに生きて捨てる人間の愚かさには、怒りなど湧いては来ず、ただただ途方に暮れるだけだ。
そして、『立小便』という名の排泄物の垂れ流しに至っては、哀れささえ感じる。
(なぜ人のものだとわかるかというと、畑との境界に設置されている柵を支える、切断した内部が空洞の鉄パイプ内に排泄物が溜まっているから。犬や猫が排泄する際はあの高さには届かない)
自らを律することが出来る人間として生まれてきてなぜ、我が身を貶める行為をするのか。
.....しかし、私は負けない。
人の排泄物で何度ビオラが枯れようとも。
捨てられてゆくゴミで、土の中で頑張る小さな命がその存在を無視されようとも。
その横で必死に芽を出すチューリップがあり、地面に這いつくばって伸びゆく雑草がある限り。
私もしつこく同じ場所に花を植え続け、ゴミを拾い、整地を続ける。
畑脇は公道ゆえに、いじれる限界はあるけれど、少なくとも今と同じ状態を保つことが、私の務めであるし、戦いだと思う。
声高に叫ぶ強さではなく、地に根を下ろす、植物の静かな強さこそを、私は見習いたいのだ。
そして、春になって見事にチューリップが花開いたら。
ポイ捨てを続ける人の愚かさを笑いたい。
お前なんかより。
私なんかより。
小さな植物のほうがずっとずっと強いんだよと。
あ。
そういえば、この国には、
「女性は子供を産む機械。装置」
なんて言った大臣もいたが。
今回ばかりはポイ捨てに目をつぶるとして、誰かアイツをどこかに捨ててきてくれないものだろうか?
戦いはまだまだ続く。
我が家の畑のチューリップで見る限り、芽生えは普通。
しかし、これは球根を植えた位置の日照時間の関係かと思います。
一緒に植えたムスカリは昨秋のうちに早々に葉を伸ばし、このままで大丈夫なのか!?という不安を私に抱かせましたし、今や畑で頑張っている春の雑草もそう。
ベランダの薔薇にいたっては、葉を出してしまっているものもありますし、地球終焉の日や近しと、思わず身構えてしまうほどの暖冬ですね。
とりあえずは、うまく咲いてくれ~と願うばかりなのですけど...。
なかなかに人の善意は咲くのが難しいよう。
美しい小さな花を見ようともしない心の持ち主には、まずそこに注目させることが難しいですからねぇ。
まあしかし、私は疑い深く、人の善意などはもともとあまり信じていない人間ですので、めげることも少ないんですよね(笑)
いや、開き直って図々しく出来るくらいでないと、こんな戦いは出来ないのかもしれないですし。
だってある意味、これって嫌がらせですもんね~(笑)
もしかして、むこうも意地になってたりして。
...でも。
悪意と闘うのは図々しい善意!
これを信条にして頑張ります(笑)
チューリップちゃん、咲く日が待ち遠しいです。
ちょっと隠遁していましたら、
過日、お話を伺っていた
チューリップ君(ちゃん?)たちの
その後のお話が載っている!
今年は例年より芽生えが早いか、
それとも遅いか、気にはなっていたのですが
(バラだって、休眠する前に新芽が出てますもん。
今年の花は、どーなっちゃうんだ?)
人間の意識の変革は、期待通りというか、何というか…
哀しくなっちまいますね。
人が集まると、
集まりすぎると、
何らかの落とし物は避けられませんが、
それにしてもねえ…。
落とすなら、善意の落とし物だけにして欲しいです…
このたびは私の記事にリンクする記事を書いて下さって、本当にありがとうございました!
さっそく私のほうからもトラックバックさせて頂きました。
ええと、そこでicashiya様の方からのトラックバックの仕方ですが...(そう意味の解釈でよろしいでしょうか?)
この、私の記事の下にある、Trackback(トラックバック)をクリックして表示されたアドレスをコピーして持ち帰っていただき、icashiya様の記事の編集画面のトラックバック欄に貼り付け、投稿ボタンを押していただくことで可能だと思います。
あ、でももし、私がお答えしたことが、ご質問の趣旨と違っていたらごめんなさい。
失礼をお詫びします。
私自身、ブログを始めたことで、静かに語る方たちの強さを知り、変わり始めたこと。
とても感謝しています。
いつも来て下さって、ありがとうございます。
いやいや、実は私、ものすご~く荒々しい人物なので(笑)余計に静かな強さに憧れるんです。
本当はかつて、ゴンザもすご~く獰猛だったんですよ(爆)
それに、私には虫主婦様こそ、静かな強さをお持ちのように見えましたが...(憧れ)。
でも、思わず大声で怒っちゃうことって、やっぱりありますよね。
特に理不尽な「どうしてなの?」ってことには。
「消費も排泄もない」生き方は、人間には無理かもしれないけど、せめて垂れ流すことをやめる、自分達が垂れ流していることに気づくことくらいは、しないといけないですよね。
植物同士の会話かぁ。聞いてみたいな♪
...聞ける人になりたいな。
毎日の日課を早めて参りました。
「声高に叫ぶ強さではなく、地に根を下ろす、植物の静かな強さこそを、私は見習いたいのだ。」
トラックバック出来ればいいのですが…
上のhttp://blog.goo.ne.jp/yuushaerima/e/5b0f9f4d9a4197f099a2f97bd166a035
をはりつけるのでいいのでしょうか?
でも、ワタシは動物だなぁ。
すぐいろんなことに大声で怒っちゃう。
erimaさんもゴンザさんも植物系ですね。
ところで、植物がヒトのようにしゃべったらすごい会話になりそうですね。
仲間同士では会話できるらしいですけど。