東京MXTVで映画「ひまわり」をやっていた。
ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演で1970年に製作されたこの映画は、本編を見たことのない人でも、胸に迫るヘンリー・マンシーニの甘く切ない哀愁に満ちたメロディだけは耳にしたことがあるはずの名作。私自身は、いつだったか、子供の頃に1度見ているはずだが、幼心に、切なくて切なくて、けれどひとつひとつのシーンがとても鮮烈に心に残って、なんとも表現し難い気持ちになったことをはっきりと覚えている。それほど過激ではないが、ラブシーンもところどころにあるのに「いい映画だから」と見ることを私に勧めた母は、そういった意味では良い教育をしてくれたのかもしれないが、そういえば母は、このソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニのコンビが大好きで、「昨日・今日・明日」なども私に見せてくれたものだ。ただ、子供だった私にイタリア映画がどこまで理解出来たかは私自身にもよくわからない。
けれど、今日改めて「ひまわり」を見て、確かに人には歴史があって、私もそれを段々振り返る年齢となってきたのだと、だからこそ今はこの映画もより深く理解出来るのだと、子供の頃に見たときとはまったく違う切なさに支配されながら思った。
人は、時間を重ねてより多くの「思い」を理解出来るようになる。
人々の間に交錯する思いを、それぞれの立場を、自らが重ねてきた経験に照らし合わせて理解できるようになるのだ。
イタリアに残された妻と、ロシアの妻と、ただ生きなければならなかった男と、それぞれの立場で。
いい映画とは、ディティールを追求すればつじつまの合わないところもちらほらあるが、見ているうちにそんなことすら忘れさせてしまうものである。
そして、どのシーンを切り取っても、さながら一枚の絵画のように印象に残るものでもある。そして、この映画がそうであるように、いつまでも耳に残る音楽。そういった意味ではこの「ひまわり」はまさに<いい映画>の代表選手ともいえるだろう。
子供の頃にはそれほど理解できなかった二人の女が出会うシーンを、今では、両方の立場で考えては、狂おしいほど切なくなり、だからこそのラストが、今日になって初めて心から理解出来たような気がする、<切ない話>が大好きな私。
ちなみに私。楽器や音楽も(聴くのみだけど)、どこかしら切なく、官能的でないとダメなたちである。
そういえば昔、クラブ(踊るほうのね)のオープニングレセプションで演奏をするためにスタンバイしていた若い男の子(20代前半?)に
「ヴァイオリンって官能的だよね」って言ったらビックリしていたっけ。
そうだよなぁ.....。
「官能的」ってのも、大人にならないとあんまり理解出来ない言葉だよなぁ.....
ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演で1970年に製作されたこの映画は、本編を見たことのない人でも、胸に迫るヘンリー・マンシーニの甘く切ない哀愁に満ちたメロディだけは耳にしたことがあるはずの名作。私自身は、いつだったか、子供の頃に1度見ているはずだが、幼心に、切なくて切なくて、けれどひとつひとつのシーンがとても鮮烈に心に残って、なんとも表現し難い気持ちになったことをはっきりと覚えている。それほど過激ではないが、ラブシーンもところどころにあるのに「いい映画だから」と見ることを私に勧めた母は、そういった意味では良い教育をしてくれたのかもしれないが、そういえば母は、このソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニのコンビが大好きで、「昨日・今日・明日」なども私に見せてくれたものだ。ただ、子供だった私にイタリア映画がどこまで理解出来たかは私自身にもよくわからない。
けれど、今日改めて「ひまわり」を見て、確かに人には歴史があって、私もそれを段々振り返る年齢となってきたのだと、だからこそ今はこの映画もより深く理解出来るのだと、子供の頃に見たときとはまったく違う切なさに支配されながら思った。
人は、時間を重ねてより多くの「思い」を理解出来るようになる。
人々の間に交錯する思いを、それぞれの立場を、自らが重ねてきた経験に照らし合わせて理解できるようになるのだ。
イタリアに残された妻と、ロシアの妻と、ただ生きなければならなかった男と、それぞれの立場で。
いい映画とは、ディティールを追求すればつじつまの合わないところもちらほらあるが、見ているうちにそんなことすら忘れさせてしまうものである。
そして、どのシーンを切り取っても、さながら一枚の絵画のように印象に残るものでもある。そして、この映画がそうであるように、いつまでも耳に残る音楽。そういった意味ではこの「ひまわり」はまさに<いい映画>の代表選手ともいえるだろう。
子供の頃にはそれほど理解できなかった二人の女が出会うシーンを、今では、両方の立場で考えては、狂おしいほど切なくなり、だからこそのラストが、今日になって初めて心から理解出来たような気がする、<切ない話>が大好きな私。
ちなみに私。楽器や音楽も(聴くのみだけど)、どこかしら切なく、官能的でないとダメなたちである。
そういえば昔、クラブ(踊るほうのね)のオープニングレセプションで演奏をするためにスタンバイしていた若い男の子(20代前半?)に
「ヴァイオリンって官能的だよね」って言ったらビックリしていたっけ。
そうだよなぁ.....。
「官能的」ってのも、大人にならないとあんまり理解出来ない言葉だよなぁ.....
そこから,ふと、父が2年前に心臓バイパス手術の後,脳梗塞を起こし左半身不随になり、頑固親父に磨きがかかって、毎日たいへんな思いをしている母を思ってしまいました。外国なんかに住むはめになって,親不孝ものの負い目があります...。私は,なぜか,自分の心の中を人に、夫にさえも見せるのがあまり得意ではなく、自分のブログでも,ついつい差し障りのない話題ばかりにしてしまいます。
erimaさんは自分の心の奥底をゴンザさんにどれだけ見せる事が出来ますか?
ごめんなさい。変な事聞いて。今日は。
高校生のころにビデオを借りてきて観ました。一面に咲きほこるひまわりと切なく美しい音楽が心をとらえて、涙がとまらなった記憶があります。
でも、それから10年くらい経ったいまだと、erimaさんが書かれているように、より多くの「思い」を理解出来るようになっているのかもしれません。
観た当時は、「どうして結婚しているのに別の女性とロシアの地で家庭を持つの?イタリアの妻が可哀想だわ」と一方的な見方だけしかできていなかったような気もします。
いまでもまだまだ人生経験は少ないですけど、それぞれの人の気持ちを思いはかることはできるかもしれません。
もう一度観てみようと思います。
たぶん人は皆、本当の心の中というものを他人には見せないのではないでしょうか。私も...そうです。
人の心には誰でも、綺麗なものだけではなく、多少はどす黒い物も渦巻いていて、だからこそ見せたくない、見せてはならないと、笑顔や、沈黙にそれを包んで隠すのではないかと...。
「本当にすべてをさらけ出して拒絶されるのは怖い」
「でも、本当の私を受け止めてくれる人が欲しい」
愛している相手にはなおさら、そのふたつの気持ちが強くなるものだと思います。どこまで心の奥底を見せているか。...とても難しい問いですね。
でも、私には、n208hh様が思いやりに溢れ、細やかな心遣いをなさる人であるからこそ、差し障りのない話題を選び、他人に不快な思いをさせないよう、気を配っていらっしゃるように思えます。「親不孝ものの負い目」と仰いますが、わが子が幸せである姿を見せることほどの親孝行はないと言いますよ。お孫さんの顔も見せて差し上げて、本当に素晴らしい親孝行をなさっているのではないでしょうか。
まぁ、親不孝の権化みたいな私が言っても、説得力はありませんが(笑)
私も今日は...ゴンザに「私にどれくらい心の底を見せてくれてるの?」と。聞いてみようかな。
私も、子供の頃に見たときはyuimin様と同じことを思いました。
「なんでこの男はイタリアへ帰らなかったのか!」と。
けれど、大人になって改めてこの映画を見て、やはりこうなるしかなく、だからこそ、この映画が名画たり得たのだと、違う感慨に浸ることが出来ました。
本などでもそうですが、改めて見てみると、その時その時の自分の心情や成熟にしたがって、そこから得るもの、わかる事って違いますよね。
他人の立場を推し量る事って本当に難しいですけど、それこそがこの映画の、ある意味ではテーマかもしれませんね。
ご覧になったら、また感想を聞かせて下さいね。
自分をさらけ出したい,でも怖い。
夫は,私よりも、もっと感情を見せません。典型的なイギリス人で、一緒にいる様になって20年ですが,一度も怒った事がありません。なので、自分もついつい自分も言えなくなってきてしまったんだ。と思います。私ははじめからこんなふうじゃ無かった気がするんです。夫は、今でも一番ですが,相手によって自分も変わるんですね。長い時間かけて。
今回は、erimaさんにそんな事を気づかせてもらいました。ありがとうございます。
なんだかよくわからない答えしか出せなかった私ですが...。本当に、人間って共に過ごす相手によって変わっていくのだと、私もそう思います。
穏やかな毎日が1番だと思いながら、どこかで、感情のほとばしるまま、相手にそれをぶつけたいと思うことも。けれど、日々を、これからも共に長年暮らす相手には、なかなかそれは出来ませんよね。いつだったかどなたかに、イギリスの方は日々のペースを乱すことや、感情を露呈させる事がお好きではないと聞いたことがありますが、それって少し、昔の日本人にも通ずるところがあるのかもしれませんね。
我が家の場合、最初はまったく感情のコントロールがきかなかったゴンザが、なぜか私と共に暮らすようになって一転、穏やかそのものの人になってしまい、「すごいなぁ...やっぱ私が頼りないからかなぁ」なんて、他人事のように感心したりしながらも、だからこそ私も自分を抑え、彼と歩調を合わせていかなければなぁ、なんて思っています。時折、それを忘れちゃうこともありますけど(笑)
n208hh様に問いかけられ、改めて、日々を共に暮らすパートナーへの感謝と、これから歩んでゆく年月に思いを至した私。
こちらこそありがとうございました。