.....おや?未知との遭遇!?
いや、残念ながら、そうではありません(笑)
夕方、畑へ行き、帰りに自宅方向を見ると、こんなに明るい空。
山の向こうにあるのは、横浜国際競技場。
今日は何かイベントがあったんだね。
しかし明るいなぁ。
私が畑脇に、初めてチューリップの球根を埋めて、
もう1年半が経つが.....
これは、毎日そこに置き去られる、
夥しい吸殻、ポイ捨てゴミ対策のためだった。
おや?こちらは赤い空?
ええ、リニューアルした氷川丸の上空は、いつもこんなに真っ赤。
工業地帯の空は赤い。
一人で勝手に「『ブロークンウィンドウ理論』の応用だ」などと言って、
美しい花がそこに咲けば、
少しは人の良心に訴えかけるものがあるのではなかろうかと、
淡い期待をこめて、始めたことだ。
平日とあって閑散としている赤レンガ倉庫の上空は、
夜になりきる前の美しい色。
ここからしばらくすると、雨が落ちてきました。
こちら、非常に残念な『再開発』中。
が。
やはり世の中はそんなに甘くなく、それからもポイ捨ては続き、
酷いときには車の灰皿の中身を全部ぶちまけた様子のときもあった。
他にも、コンビニ弁当の容器。
パンの空き袋。
噛んだガムを吐き捨てたもの。
コーヒーの空き缶。
子供のおもちゃ。
いろいろ、いろいろ。
そして、そんな危うい空模様の昨夜、私がどこへ行ったかといえば.....
某総理のマラソン会談でお馴染み。
この5月に横浜で開催された『アフリカ月間』のライトアップの写真を撮りに(笑)
こちら山下公園前は、アフリカ一色。
道路上にはいつも、点々とタバコの吸殻が投げ捨てられ、
畑の柵を支えている鉄パイプには人のものと思われる排泄物がたまり......
そのたびに我々は、吸殻を広い、ゴミを持ち帰り、
パイプを塞いだりの作業をしたものだ。
私が写真を撮りながらふらふらしている間にも、
カラフルな衣装をつけた女性、足のなが~いアフリカ人男性を
多く見かけました。
そこで一言申し上げたい。
「アフリカの皆さ~ん、信号は守りましょうね!」(笑)
いや~、MM地区なんか、猛スピードで突っ込んでくる車がいるのに、
そこを横断しようとするのはヒジョーに危険なのよ~。
んで、見かける人見かける人、みんな信号を守らないのでドキドキした~(笑)
が。
それでも、球根を守るために並べた小石には、年中踏みつけられた痕跡。
何度並べても、バラバラ、バラバラ。
しかし私はそれを見つけるたびに、しつこくまた石を並べ直し、
「いくらバラバラにされようと、屈しないぞ。何度でも繰り返してやる」と、
静かな意思表示を続けたのだった。
こちらは『エルメ』のマカロン・モザイク。
ひとつだけ気の早いラズベリー。
.....そして、1年半。
そこには球根を埋めてから、2度目のチューリップが咲き、散り、
始めに植えたビオラのこぼれダネからは、たくさんの子孫が増えた。
また、なぜか花が増えると同時に、ポイ捨ては徐々になくなり......
今ではゴミを見つける日のほうが少なくなった。
......いつの間にか。
そう、いつの間にか。
すっきりゼロ。
並べた石もそのまんま。
いや。
もしかすると、これは偶然かもしれない。
また明日には、小石は踏みつけられ、吸殻が落ちてるかもしれない。
.....だが、今日見た限りではゼロだったのだ。
確かな、ゼロ。
うれしい、ゼロ。
なんか、写真が前後してごめんね(笑)
ゼロは終わりで、ゼロは始まり。
来年は、もっと花、増えるかな。
「やり遂げる」とか、そんな大げさなものではなく...(笑)
本当に「効果があればいいなぁ」ぐらいの気持ちで続けてきたんですが、思いもかけずこんなに大きな手ごたえを得られてうれしいです。
『ダメでもともと!』精神って大切なのかもしれないですね。
erimaさん格好良いです!
何かをやり遂げるってやはりこういうものなのだなぁと思います。
「信じている」と言いながら、実はやっている本人が一番半信半疑だったかもしれないこの作戦(笑)
でも、見事にゼロとなりました。
もしかしたら、今一瞬だけかもしれない。
明日にはまたゴミがあるかも。
ですが、花を見てふと踏みとどまった誰かが、今度は一緒にいる誰かを踏みとどまらせるかも、と、希望を持ちたいと思います。
ホントはね。
「ポイ捨てするヤツにも良心があったんだなぁ」って、私が一番びっくりしてるんです(笑)
だからこれは全部お花のおかげ。
あと、私がこれを思いついたときに、背中を押してくれた皆さんの。
希望は捨てちゃだめですね。
私もそう、心から信じたいと思います。
と、同時に、連日ニュースで聞く「面白いからやった」「腹がたっていたからやった」と、誰かが植えた花を根こそぎ引っこ抜く人間達が出てきている現実に絶望を禁じ得ません。
どうしたらそんな哀しい人間になれるのだろう、と。
彼らにもいつか、花の美しさ、強さがわかるようになるでしょうか。
この、ゴミの問題についてはなぁ。
やっぱり根本的なことから変えて行かなきゃもうどうにもならんのじゃないかと思うんだ。
まあ、ポイ捨て、不法投棄なんてのが言語道断なのは当たり前なんだけども、これは言い換えれば、それだけゴミが多いってことでさ。
いつか、産廃業者と話したときに、そいつが言ってたことが忘れられない。
「そんなこと言ったって、いずれはゴミはどこかに捨てなきゃいけないわけで、俺たちはみんなの代わりに捨てに行ってやってるんだ」って。
いや、もちろん、こいつの言ってることはただの屁理屈で、間違ってることはもう紛れもない事実なんだけど、じゃあ俺たちが自分の捨てたゴミがどんなルートを辿って、本当に正規に処分されているのを確認してるかっていうとそうではないわけで...。
もしかすると、俺たちが出先のどこかでゴミ箱に入れたゴミが、なんらかの理由で不法なルートを辿り、山の中に投棄されている可能性だってあるわけだ。
で、そう考えると、もうこりゃゴミを減らすしかないんじゃないかと。
だが、実際には、買い物をすれば何重にもされた厳重な包装。
無駄でしかない箱に袋にリボンにシール。
消費者はゴミが少なくなればいいなぁと思うのに、企業はこれでもかこれでもかと、逆方向へ走るんだ。
俺みたいな力ない一個人がちっぽけな指針を示すより、大企業ならすごいことがやれるはずなのになぁ。
ま、しかし、だ。
相棒の言うとおり、ゴミ拾いや花を植えたりの、言葉を越えた「草の根運動」が何かを変える大きな力となることもあるわけで...
いつか、相棒のお父さんもされていたというボランティア活動が実を結んで、四国霊場が世界遺産になるといいなぁ。
本当に、これがずっと続くといいなぁと思います。
ポイ捨てをする人間が、いつからここに花が咲いてることに気づいたのか、果たして、気持ちにどんな変化が起きたのかはわかりませんが、石を並べなおすとき、ゴミを拾うとき、私は人が通っても振り向きもせず、ただひたすら作業に没頭することで意思表示をしてきました。
ときには放り出したくなるときもありましたけど...(笑)
ふみ様がおっしゃるように、自宅がゴミの分別ですっきり暮らせるなら、外でだってどこだって、そうしたほうがすっきり歩けるし、気持ちだっていい。
なのに、人間の愚かさは「ちょっとだけならいいか」になってしまうのですよね。
で、これに関連して思うのが、ポイ捨てをしないという基本的なことは別として、例えば地域的な分別の違いやそういうことにも問題があるのかなぁと。
つまり「うちの方じゃこれは燃えるごみだけど、ここでは何になるの?」とか、そう思うだけで面倒、投げやりになってしまう人もいるのかなぁと。
いつかは自治体別にではなく、ひとつの国として、その辺を統一出来たらいいですね。
今の若い人たちには結構意識の高い人も多いですし。
けなげに咲く花を見て、己の中に良心を見つけた人がいるのなら。
その良心がまた、新しい花の種をまいてくれますように。
あの有名なポスターは知っているのに、実は、本編は見たことのない『未知との遭遇』(笑)
でも、見たことがなくとも、ワンシーンを見ただけで名前が浮かぶ映画って、すごいですよね。
いつか見てみます。
アフリカンイルミネーション。
昼間とはまた印象が違っていいですよね♪
こちらこそ、素敵な情報をありがとうございました!
ありがとうございます~!
そうなんです。
とうとう、ゼロ、になりました♪
これはすべて、この作戦を応援して下さった皆様と、お花のパワーのおかげです。
ときには「本当に効果があるのかな?」「希望的観測過ぎるかな?」と思うことや、「もう!どうすりゃいいの!?」と、投げ出しそうになることもありましたが...
続けてよかったです。
このままゼロが続くといいなぁ。
うれしい話を読ませていただきました。
実際に花を植えたわけでもない、実際にごみを拾っているわけでもない私が勝手に暗い気持ちになって、ごみを捨てる人間にどんな期待ができるだろう、変化を期待できるんだろうかと思ってしまってましたが、とうとうゼロの日が来たんですね。
erimaさんの力と花の力に感動。
単純に感動はできないですが、それでもゼロの日が存在したことに、ごみを捨てる人に期待していいんだ、と少し明るい気持ちになりました。
その最大の障害が「お遍路道の不法投棄やゴミ問題」。
これはもう本当に情けなくて、
それは世界遺産に登録したいとかそういう問題以前に、
どうして巡礼をしている人の邪魔をするようなことをするんだろう?と……
何かを祈りながら、黙々と歩き続ける人の大切な道に
てめえの出したゴミをバラまくなんてのは、
どういった了見なんだろうな。
ただ、こういうのは文句だけ言ってても仕方ないんだよ。
常識をいくら説いてみたところで、巡礼道にゴミをバラまく人間にどんな言葉も通じるはずはない。
だから今こっちでは、ボランティアの人が山の中に入り、
せっせとゴミを拾ってる。
ウチの父も、亡くなる前は定期的に参加してたみたいだ。
自分も山登りが出来る体力がついたら
いつか参加したいなあと思ってる。
捨てられても捨てられても、拾い続ける。
もう、コレしか方法なないと思うから。
相棒のやり遂げた一大プロジェクト。
これは、全国の不法投棄やゴミ問題に悩む場所の
何か大きな指針になるような気がするなあ。
erimaさんの粘り強い無言の意思表示が少しずつ実を結びつつあるんだと思います。
自宅じゃゴミはキッチリとゴミ箱に捨てるクセに、一歩外へ出るとどこであろうが捨て放題の人間の多いこと。
自分さえよけりゃいい、の傲慢な人間がいる限り、残念ながら決して改善されることはないのかも知れません。
道端はゴミ捨て場ではないということ、また、どこかへ向かう途中に一瞬にして通り過ぎるその場所ひとつひとつも、自分たちが暮らす生活空間の一部なんだということをみんなが自覚すれば、より気持ちのいい社会になってくるはずですが。
そしてなにより、人から言われて直すよりは、自発的に良心が芽生えてくる方が望ましい。
そういう意味でも、erimaさんが植えた道端に咲く花々がいい“抑止力”になってくれればと思います。
あのポスター、何も語らず、でしたものね。
アフリカンイルミネーション、いいなぁ、明るすぎずなんか蛍みたいできれいです。
見せていただきありがとうございました。