ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

群れの中の私

2024-10-10 10:45:59 | 日記
「団塊シニア」さんのブログ「団塊シニアのひとりごと」は、毎日のように覗かせてもらっている。きのうアップされた記事《ひとりでいることが不幸なのではない》は、私にはことのほか興味深かった。

「団塊シニア」さんは、こう書いておられる。

「私たちは小さい頃から群れることはいいこと、ひとりでいることは駄目と教えられてきた、だから家の中にばかりいると、外に行ってみんなと一緒に遊びなさい、仲間外れにされないようにしなさい、協調性が大切だよと言われてきたし、私自身自分の子供に対してもそんな教育をしてきた。」

ここで言われる「教育」の言説を、私は、自分が子供の頃、親から受けた「教育」の言説と同種のものだと思ったのである。私は幼少の頃から、みんなと一緒に遊ぶことが苦手だった。ひとり遊びが好きな子供だった。だから私は、親からそんな「教育」の言葉を聞かされながら育てられたのだろう。
ーーいや、そうではない。なにせ半世紀以上も前の昔々のことである。こうした「教育」の言説は、親から受けたというより、私が常日頃、自分自身に対して言い聞かせていた言説だったのかもしれない。

先日、私は本ブログで次のように書いた。
「人は人と支え合って生きる。人と人との関係だけではない。政党と政党、団体と団体も共に助け合い、互いに支え合う互恵関係によってそれぞれの生命(いのち)を維持する。」
(9月29日《石破新総裁と戦略的互恵関係》)

ここで私が書いたことは、子供の頃、私が常々自分自身に言い聞かせていたこととさほど変わらない。
人は人と支え合って生きる。だからおまえは仲間外れにされないようにせよ、協調性が大切だ。ーー私はそう自分に言い聞かせてきた。そんな馬鹿みたいな「真理」を、私は子供の頃から念仏のように自分に言い聞かせていたのである。

「真理とは、それなしにはある種の生き物が生きていけないような誤謬である。」

そう喝破したのは19世紀のドイツの思想家ニーチェだが、その「真理」(すなわち「誤謬」!)を、私は若い頃から念仏のように唱えていたといえるだろう。


ただ、そうと頭で判ってはいても、好き/嫌いはこれとは別の問題である。
「おまえは仲間外れにされないようにせよ、協調性が大切だ」。そう念仏を唱えながらも、私は群れの中に身をおくことが嫌で嫌で堪らなかった。

そんな自分のアンビバレンスを、私はべつに異常なこととは思わない。そうした人間のアンビバレントな心理を、18世紀のドイツの哲学者カントは「非社交的社交性」と名づけた。

ーーと、まあ、どうということはないのだけれど、「団塊シニア」さんのきのうのブログ記事は、様々なことに思いをめぐらせるきっかけを、私に与えてくれた。多謝。

コメント
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