きょうは佐藤優氏の論考
《プーチン大統領の目的は「ウクライナに傀儡政権を樹立すること」ではない》
(PRESIDENT Online 3月3日配信)
を取り上げる。
この論考は、タイトルにあるように、「プーチン大統領の目的は『ウクライナに傀儡政権を樹立すること』ではない」と主張することを主眼にしている。
もちろん佐藤氏は、世の大勢が「プーチン大統領の目的は『ウクライナに傀儡政権を樹立すること』である」と主張していることを、充分承知している。承知の上で、あえて「プーチン大統領の目的は『ウクライナに傀儡政権を樹立すること』ではない」と主張するのだから、佐藤氏も(私と同様)よほど天邪鬼の性分なのだろう。
佐藤氏のこの論考のタイトルを目にしたとき、私もご多分にもれず「え?どういうこと?」と呆気にとられたが、中身に目を通して、「ああ、そういうことか」と了解し、納得した。佐藤氏の見方には、その中核に、私のそれと重なる部分があることを見出したからである。
重なる部分、それは何かといえば、「傀儡政権は長続きしない」とする見解である。
先日、本ブログで私は次のように述べた。
「傀儡政権は長続きしない。そのうち必ず転覆できる。だからウクライナのゼレンスキー大統領は、プーチンの提案を強いて拒否する必要はない。」
(3月1日《ウクライナ 停戦協議のゆくえ》)
では、佐藤氏はどう主張するのか。
「傀儡政権は長続きしない。必ず転覆の憂き目にあう。プーチン大統領は歴史から学んでそのことをよく知っているから、ウクライナに傀儡政権を樹立しようなどとは考えないだろう。」
この佐藤氏の見立てを読んで、だれもが疑問に思うのは、「ゼレンスキー政権を倒したあとで、ではプーチンは、その後の政権の算段をどう考えているのか」ということだろう。
この疑問に対して、佐藤氏は、こう答えている。
「プーチンは『ハンガリー動乱』『プラハの春』と同じ方法を試みている」と。
こう書くとき、佐藤氏の念頭にあるのは、「ハンガリー動乱」のカーダール・ヤーノシュなる人物と、「プラハの春」のグスターフ・フサークなる人物である。
(説明が長くなるとアレなので、「ハンガリー動乱」と「プラハの春」の詳細については、別に注の形で最後に付け加える。関心のある方は、最後の注をお読みいただきたい。)
「ハンガリー動乱」のカーダールと、「プラハの春」のフサーク、ーーこの二人について、佐藤氏は次のように述べている。
「カーダールやフサークは、自国を裏切ってソ連に寝返ったのではありません。大国にいつまでも向かっていても勝ち目はない。ならば自分たちの祖国や民族を守るために現実的な方法でソ連と調整していかなくてはいけない。そういった高いモラルをもっていたのです。ハンガリーもチェコスロバキアも、その後は安定的に国家を運営できました。現政権や抵抗勢力の中から次の誰かを探し出すのが、ソ連以来のやり方です。」
ふむふむ。しかし問題は、ほかならぬ2022年のウクライナである。現今のウクライナ情勢に関しては、どうなのか。これについて、佐藤氏は次のように述べている。
「ロシアは、『ウクライナの次の政権も、ロシアの軍事力を背景に数年維持できれば、国民は受け入れざるを得なくなる』と考えているはずです。したがって、ウクライナ国民をある程度まとめられる人が、国内の現実主義的政治家の中から自発的に出てくるだろう。プーチン大統領は、そう見越しています。」
プーチンのロシアに敵対的でなく、中立的な姿勢をとり、現実主義的な観点から、ロシアとの間で利害の調整を図ろうとする人物、なおかつ、ウクライナ国民の支持を集められる人物。
だが、果たしてそんな都合の良い人物が見つかるのかどうか。
それが問題である。
だが、この点の見通しについて、佐藤氏は何も語らない。
ロシアにとって都合のよい人物、ーーそんな人物を探し出す作業は、川砂を採り、砂金を探し当てるのと同じ、気の遠くなるような作業になるに違いない。
プーチンは、そんな不確かな賭けに将来を託そうとするだろうか。
中立的で、NATOとの緩衝地帯(バッファー)となり得る国家、そのような国家をウクライナの地に確実に作ろうと思えば、プーチンは、(存在するかどうかさえ分からない)都合のよい人物ーーロシアに敵対的でなく、中立的な姿勢をとり、現実主義的な観点から、ロシアとの間で利害の調整を図ろうとする人物ーーが現れるのを、ただ闇雲に待つのではなく、そのような人物をむしろ積極的に自らの手で作るしかない。ーーこれはつまり、傀儡政権を樹立するということである。
だが、(歴史が教えるように)傀儡政権は長続きせず、転覆が必至だとしたら、プーチンの企てはどのみち挫折せざるを得ないことになる。
プーチンよ、君はこの道理が解らないのだろうか。
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(注)
佐藤氏によれば、1956年の「ハンガリー動乱」(社会主義体制下のハンガリーで、民主化やソ連軍の撤退などを求めた民主化運動)にソ連が軍事介入した際、ワルシャワ条約機構(東ヨーロッパ諸国がNATOに対抗して作った軍事同盟)からの脱退などを表明したナジ首相の追放後に擁立されたのが、カーダール・ヤーノシュという人物だった。
また、1968年に社会主義体制下のチェコスロバキア(当時)で起こった民主化運動「プラハの春」に際して、「人間の顔をした社会主義」を掲げて民主改革を試みたのはドゥプチェク共産党第1書記だったが、彼はソ連などの軍事介入によって失脚した。そのあとで、政権を任されたのがグスターフ・フサークだった。
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