きのうは朝日新聞に掲載された
佐伯啓思氏の評論
「『資本主義』の臨界点」
を紹介した。
この中で佐伯氏は、資本主義を
一つの「運動」として捉えている。
この他に、(「人新世の『資本論』」で名を馳せた)
斎藤幸平氏も、
マルクスが資本を「運動」と定義した
ことを強調している。
こうした捉え方はそれ自体、別に目新しいものでは
ないのかもしれない。
しかし歴史的な観点から、
西洋列強がアジアを侵略した
19世紀末の帝国主義の時代動向を、
資本主義による市場開拓の企て
と見た佐伯氏の捉え方に、
私は「目からうろこ」の
斬新さを感じたのである。
この評論を読んでいて
最初に私の脳裏に浮かんだのは、
最近の自動車業界の動向だった。
自動車業界は最近、ガソリン車を一挙に
EV化しようとする傾向を強めている。
「大気をクリーンにするために、
また、地球温暖化を防止するために」
との美名に基づいて、この一大転換は
なされようとしているが、
一皮むけば、
この転換が新たな市場を創出する
ための企てであることは
明らかである。
ガソリン車の市場はもはや頭打ち。
とすれば、成長・増殖をめざす
資本主義の本能は、
ガソリン車をそっくりEVに置き換えることで
自己の目的を遂げるしかない。
ったく、危うく騙されるところだったぜ。
資本主義という増殖体は、
煮ても焼いても食えないあのウイルスみたいなものだ
と悟ったこの頃である。