ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

民主主義サミットに寄せて

2021-12-12 10:58:18 | 日記


バイデン米大統領が「民主主義サミット」を開催した。「民主主義VS.独裁」という分かりやすい大義名分で、独裁主義の国家・中国を叩こうとしてのことである。当然のことだが、オンライン形式のこの会議には、ロシアや北朝鮮も招待されていない。

バイデン米大統領のこの企てに対して、中国が「我が国は質の高い民主主義を実践してきた」と主張する白書を公表したことについては、本ブログですでに触れた。この声明を「まるでブラック・ジョークのようだ」とする私の見解もそのときに述べたが、きょうは観点を変え、では、当のアメリカの民主主義はどうなのか、という問いを立ててみたい。「質の高い民主主義」と「質の低い民主主義」の違いは、そこで人権思想が機能しているかどうかの違いである、と先に私は書いたが、では、アメリカの民主主義では、人権思想はどうなっているのか。

かつて私は、次のように書いたことがある。

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今年三月、アメリカのアラスカ州で米中トップ会談が行われた。そのとき、アメリカ側のトップ(国務長官)が槍玉にあげたのは、(中国・新疆ウイグル自治区や香港での)中共政府による人権侵害の問題だった。ここでは〈権利〉の思想が、中国を攻撃する思想的な武器として用いられている。このような形で、〈権利〉の思想は(書斎に眠る乾涸びた骨董品ではなく)今現在も充分に使用可能な突撃銃(アサルトライフル)として、現実世界に確かな作用を及ぼしているのである。
 見逃してはならないのは、このアメリカの攻撃に対して、中国側のトップ(共産党政治局委員)が「米国は人権、人権と騒ぐが、米国の人権にも多くの問題があるではないか」と切り返したことである。アメリカのこの時期は、黒人青年が白人警官に虐殺されたことから、「ブラック・ライヴズ・マター(BLM)」のスローガンの下、人権擁護の運動が盛り上がりを見せていた時期である。
 中国側のトップは「アメリカでも人権は軽視され、侵害されているではないか」と言いたかったのだろうが、我々はさらに次のように問うことができる。
「〈権利〉の思想が、皮肉なことに、人権侵害の状況を作り出している。それはなぜか?」
 この問いに向き合おうとすれば、我々は、人権思想を理想視(アイドライズ)する上辺の理解に甘んじることなく、この思想を形作るどろどろした深部へも立ち入らないわけにはいかない。
 ごく大雑把にいえば、この問いは、〈権利〉の思想を選択する我々個々人が〈力への意志〉を本性として持つ(利己的な)「群れの一員」であることと密接に関連している。そうした理解の細部については、直接、本書の各論部分に目を通していただきたい。
(『〈権利〉の選択』(ちくま学芸文庫)「文庫版あとがき」より)

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専制主義の国家は、中国やロシアだけではない。フィリピン人の記者マリア・レッサ氏がロシア紙の編集長ドミトリー・ムラトフ氏とともにノーベル平和賞を受賞したことは、記憶に新しい。マリア・レッサ氏の受賞理由は、フィリピンの独裁政権・ドゥテルテ政権と戦い続ける彼女の活動が、選考委員らに高く評価されたからである。

ところがバイデン米大統領は、フィリピンのドゥテルテ独裁政権には目をつぶり、この国を「民主主義サミット」へと招待した。バイデンは「独裁主義」と本気で戦おうとは思っていないのだ。バイデンの意図が「中国叩き」にあることは明らかである。
コメント
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