立憲民主党の新代表は泉健太氏に決まった。その泉氏が代表選で訴えていた言葉に「他社製品をこき下ろしても、自社製品は売れない」という文句がある。印象に残ったのでよく覚えているが、ここには、与党の批判ばかりする「対決型」の野党ではなく、「政策先導型」の野党をめざすべきだ、という次期リーダーの主張が込められている。
では、立憲民主党が消費者(有権者)に売ろうとする自社製品(独自政策)とは、一体どういうものなのか。これこそ最大の難問であり、また、きわめて自明な愚問でもある。
立憲民主党に限らず、あらゆる政党が売ろうとしているのは「社会の安寧と国民の幸福」であり、これ以外のものではない。これは自明のことと言えるだろう。
だが、この商品をどうやって製造し、国民に届けるか、その具体的な方法論になると、これが千差万別で、なかなか厄介な問題である。たとえば、能力主義を取り入れ、それによって生じる経済的な格差を是認するのか、それとも、平等主義の立場から、格差の是正を優先しようとするのか、といった身近な問題がある。
さまざまな考え方の違いがあるから、種々の政党が生まれる。政党の間には、意見が一致する面もあれば、一致しない面もある。いま取り沙汰されている立憲民主党と日本共産党の場合はどうか。格差問題に関しては、両党とも「是正をめざす」の方向で一致している。ジェンダー問題に関しても、同様だろう。
では、国家を維持運営する上での最重要の問題、つまり国家防衛・安全保障の問題に関してはどうか。共産党は、日米安保条約を廃棄するとし、また、自衛隊は憲法違反の存在だから解消をめざす、とはっきり党綱領に謳っており、この点で立憲民主党の立場とは基本的に異なっている。日米安保条約も自衛隊も容認する立憲民主党とは、真逆の立場にたっていると言ってもよい。
そういう二つの政党が共闘体制を組むことについては、どうなのか。政党であるからには、立場が一致する面もあれば、相反する面もある。それは当然なのだから、一致する面だけで共闘すれば良いではないか、という意見があるかもしれない。
しかし、両党が共闘した結果、政権に就く(可能性がある)となれば、話は別である。しかも、国家の維持運営という最重要問題に関して相反する立場の両党が、与党になって政権を運営するとなれば、この事態は、国家の存亡に関わる深刻な事態だと言わなければならない。
社会の安寧も、国民の幸福も、国家という土台の上に成り立つ。その土台の存続を危うくするような政権の成立は、かなり問題だと私は思うのだが、いかがだろうか。