ぼちぼちいこう☆

迷いながら、でも楽しく生きる日々の記録

つづき

2014年01月07日 16時47分51秒 | 日々

1月2日

ホテルに団体さんがいらっしゃるということで朝食時間をちょっと遅めにずらして

出発は10時。まずは叔父が行きたいという平和公園へ。

そもそもここ長崎は母も叔父も小学校の修学旅行で訪れたことがある土地だそうで

特に叔父はその時に行った場所にもう一度行ってみたいと思っている様子。

私の記憶では灰色だったんだけど、きれいな水色でした。

やっぱり、ここにくると

平和について、いろいろな人々の想いについて、さまざまなことを考えさせられます。

 

案外時間に余裕があったので、そこから電停出島に戻り、出島資料館へ。

ささっと駆け足でしか見られなかったけれど、出島ってやっぱりすごかったんだなあ、としみじみ。

15000分の1のスケールで、出島を再現してあったりもします。

 

そしてこの後は、軍艦島上陸クルーズへ。

軍艦島は「端島」の通称です。開発後の形が軍艦「土佐」に似ていることから軍艦島と呼ばれるようになったそうです。

海底炭鉱の島で、出炭量が増加するにつれて狭い島に多くの人が生活することになり

1916年には日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設されました。

1974年1月に閉山され4月には無人島になりました。

写真を載せだすときりがないので2枚だけ。

なんとも不思議な気持になる島でした。

最盛期にはここに多くの人が住み、生活し、多くの人生があった。

当時最先端の技術を使って開発されていたというこの島は、まさに高度経済成長の一端を担っていた場所でしょう。

ここがなければ、今はなかったのかもしれません。

でも今はすっかり無人島となっている。

うまく言葉にできませんが、時の流れ、日本の歴史を強く感じました。

クルーズでは海も歴史も堪能でき、非常に大満足でした

 

クルーズから戻り、小休憩をはさんで、またもや昔の修学旅行コース大浦天主堂へ。

私の友達と2人での高校卒業旅行も長崎だったのですが

ここは敷地の外から写真だけ撮って拝観しなかった記憶があります(拝観料がかかるので・笑)

中は撮影禁止だったのですが、ステンドグラスがとてもきれいでした

最近音楽関係でも歴史関係でもキリスト教に興味があるので、この天主堂の歴史も勉強になりました。

 

せっかくここまで来たのだからとグラバー園へも行きました。

 

そして疲れのためタクシーで新地中華街へ。

せっかくなのでタクシーの運転手さんおすすめのお店へ。

コース料理でいろいろいただきましたが

いやー、やっぱりちゃんぽんが一番美味しかったなあ

ちょっとだけ中華街を歩いてまたもやタクシーでホテルまで。

後はのんびりして、、、と思っていたのですが

元日の夜景にあまりにも感動して、どうしてももう一度見たくなって母と叔父をおいて再び稲佐山へ。

今度は車で。

元日よりも圧倒的に人が多かったです。

なんだかここからの夜景はパワーを感じるというか、私にとっては心動かされる場所だと感じました。

2日ともお天気に恵まれて、景色を楽しめてよかったです。

ホテルに戻るとさすがに疲れて就寝。この日は早朝覚醒なくそれなりに眠れました。

 

1月3日

10時に出発して母と叔父を駅まで送っていくつもりだったのですが

「見送らなくていいよ、歩いて駅まで行くし買い物もするからここで解散しよう」と言われて

「あ、あ、えーと、そうなの?んじゃ。」と言う感じで解散(笑)

母も叔父も終始楽しんでもらえた様子だったので、とりあえずは一安心といった感じでした。

 

どこか帰路の途中で初詣を…ということで

最初に寄った、伊万里あたりの神社でひいたおみくじが、うーーーんという感じだったので

もう一度ひきたい!とそこから2つ寄るもおみくじなし。

どうしてもあきらめきれずもう一つ、ということで宝満神社という神社に寄りました。

そこではおみくじは「吉」だったものの、内容が素晴らしく良くて持って帰りました。

そのほかにもいろいろといい神社で、ストラップも買って満足して帰宅(笑)

 

途中で食材を大量購入し、3日の夜から5日いっぱいまではひたすら家でのんびり。

 

そして今日から、少なくとも1か月はおひまをいただくことになったので

しばらく自由人です。

 

4月から資格取得のための講座に通うので

3月まではその下準備と、今しかできないことを精いっぱいしておこうと思います。


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