どうも、ゆるちょです。
津波に被災したひとの言葉を聞いていると、涙が出ますね・・・。
ある女性が泣きながら、
「海なんて、いらない」
って、言っていました。
ある女の子は、
「家もない。両親もいない。兄弟もいない。帰るところもない。わたしは、今までどんだけしあわせだったんだって、そう思いました」
と、言いました。
あまりに、哀しい言葉です。
ある高齢の男性は、むちゃくちゃに汚れた自分の家の中の様子を見ながら、
「それでも、家は残った。それに、生きていただけで、よかったと思う」
と、涙ぐみました。
それだけ、津波の惨状が、ひどかったということでしょう。
テレビは、死体を映すことはありません。
でも、話では、伝わってくる。
100体、200体単位で、死体が見つかっている。
時に千体単位の死体の情報が入る。
テレビに出てくるひとでも、家族と連絡がとれていないひとがたくさん、いる。
哀しい出来事ですけど、でも、それを受け入れなければいけない。
僕はふと、「水に流す」という日本人の考え方が頭に浮かびました。
司馬遼太郎氏は、かつて、その著書で、
「日本人には、水に流すという悪い慣習を持っている。これがあるおかげで、歴史に学ぶということをしない。だから、第二次大戦が起こったのだ」
という趣旨のことを、言い、
「日本人は、馬鹿だから戦争を起こしたのだ!」
と、日本人そのものを、批判しました。
まあ、もっとも当時の戦中派が、軍の上層部に感じていた思いを代表した考えでしょうし、
あの時代は、そういう考えが讃えられたのだと思います。
もっとも、司馬遼太郎氏の考える事は、基本、学識による浅い見識やこじづけに過ぎず、経験から来る知恵というものが皆無であり、
内容として議論に耐えるものではありません。
そのあたりについては、「司馬遼太郎論考」カテゴリー内の記事にて、指摘しています。
ですから、この主張も、
「俺は識者であるのに、戦車兵として軍部に働かされた」
という俺偉い病にかかった人間の浅い主張だと思います。
司馬氏の主張は、
「日本国民が、水に流すという習慣を持っているから、歴史に学ばない」
というものです。
じゃあ、戦争を起こす人間は、歴史に学んでいない、ということなんですか?
アメリカは、どうなんですか?日本のように、250年のミラクルピースを創り上げることもなく、ずーーーっと戦争ばかりしていた、ヨーロッパは?
いいですか?
地球の歴史上、250年ものミラクルピースを成し遂げたのは、日本人だけなんですよ。
まず、この点からして、この司馬氏の主張は、間違っていると言える。
というより、司馬氏は、何がしたかったか、と言えば、当時の軍部の上層部をくさしたかっただけです。
だから、
「日本人には、水に流すという特質が、ある」
「日本人が、馬鹿だったから、戦争を引き起こして、負けたのだ!」
この二つのできごとを、無理にくくりつけたに、過ぎないんです。
しかも、
「日本人が馬鹿だったから、戦争を引き起こして負けたのだ!」
という主張は、当時のアメリカが遂行していた、日本人洗脳プログラム「ウォーギルドインフォメーションプログラム」の目的そのものの主張であり、
要は、戦勝国アメリカの片棒を担いでいただけに過ぎないわけですよ。
日本の歴史を描く人間として、立っていい立場ではないでしょ?
その点からも、批判されるべきだ。
ったく、司馬遼太郎って、調べれば調べるほど、最低の人格が顕になりますね。
さて、ここで、考えたいのは、
「日本人には、水に流すという特質がある」
という特質は、何故、日本人の特質になったのか、ということなんです。
僕は、ここ数日、津波から、命からがら、逃げ得た人々の言葉に共通性を感じているんです。
「とにかく生きていただけで、よかった。あのひどい津波に遭って、生きていられたことだけで、ありがたいと思わなければ」
「家もなくなってしまったし・・・しかたないですよ。生きていただけで、よかった・・・」
「家なくなっちゃったけど・・・しかたないです」
つまり、これ、
「過去への執着を捨て、新たに生きる」
ということなんですよね。
「水に流す」・・・そのものじゃないですか。
つまり、「水に流す」とは、自分の財産や家屋、果ては愛するひとまで、津波という「水に流してしまう」ことで、
新たな新しい自分を作っていこうと、強い気持ちで、執着を取り払う態度、ということになります。
つまり、天変地異の多い、この日本では、今回のような、ひとの手に負えない、突然の災害に見舞われることが、過去、たくさんあったんだと思うんです。
だから、それが原因になって、長い間に、日本人に、
「水に流す」
という新たな能力が、備わったと見るべきでしょう。
たくさんの、天変地異に見舞われた経験から、新たに出来た、ひとつの美徳なんですよ、これ。
経験から培われた能力なんですよ。
日本人と、韓国人、あるいは、中国人と比べて、みてください。
この間、韓国人の男性の方が、インタビューされていましたが、
「日本人は、淡々として、事態を受け入れている。さすが先進国だと思った。韓国では、こうはいかない」
ということを言っていました。
でも、僕は、それは、先進国だからではないと思うんです。
「水に流す」能力があるか、ないかなんです。
過去に対する執着を、取り払えるか、どうかなんですよ。
事件や事故で、愛するひとを失った時の、中国の人や韓国の人の反応を思い出してください。
感情を思いきり現し、超泣いたりわめいたりするでしょう?
あれは、執着がそれだけあるからです。
それに対して、日本は、愛するひとの死を受け入れ、淡々と涙ぐむだけだ。
それは、執着を取り払う訓練が、日頃からできているからだ。
「水に流す」能力があるから、そういう風に出来るんです。
武士道では、他者への執着を厳に戒めています。
それは、他者への依存を戒めるのと同じ扱いです。
「愛するひとを失っても、感情を表に表すな。それは、自分をコントロールできなくなっている状況をひとに見せることだ。恥ずかしいことなんだ」
日本人は、小さい頃から、そうやって育まれてきたはずです。
まだ、教育に武士道が残っているからですよ。
つまり、水に流す能力というのは、執着を取り払えるという、日本人の美徳なんですよ。
司馬遼太郎氏の主張なんて、てんで間違っているでしょう?
ほんと、あいつ何も考えられないアホなんだよなー。
ま、それは、いいとして、「水に流す」能力は、こういう天変地異にあってきた、日本人が、黙々と耐えてきた歴史から、作られているということが、
今回、はっきりしたんです。そして、それは、執着を取り払うという、素晴らしい能力なんです。
日本人は過去から、たくさんつらい目に遭ってきました。
でも、それが、日本人を強くしたんです。
それを考えた時、僕は、日本は、まだまだ、やれると、感じました。
今までたくさんあった天変地異にも、その度に復興を成し遂げてきたのだから。
今はつらくても、
「絶対復興するんだ」
という強い意志を持ちましょう。
強い意志こそ、自分のモチベーションを上げるエネルギーになります。
そして、明日に向かって、よりよき明日に向かって、徹底的に、チャレンジしていきましょう。
輝かしい未来は、絶対に日本に存在する。
このつらい状況から、リカバリをすれば、日本は、他国が経験していない悲惨な状況を乗り越えたことになる。
さすれば、日本は、どこの国にも負けない強い精神をもった国になります。
その時が、さらなる飛躍のチャンスです。
さあ、今こそ、輝ける明日に向かって、一歩一歩歩いていこうじゃありませんか。
津波に被災したひとの言葉を聞いていると、涙が出ますね・・・。
ある女性が泣きながら、
「海なんて、いらない」
って、言っていました。
ある女の子は、
「家もない。両親もいない。兄弟もいない。帰るところもない。わたしは、今までどんだけしあわせだったんだって、そう思いました」
と、言いました。
あまりに、哀しい言葉です。
ある高齢の男性は、むちゃくちゃに汚れた自分の家の中の様子を見ながら、
「それでも、家は残った。それに、生きていただけで、よかったと思う」
と、涙ぐみました。
それだけ、津波の惨状が、ひどかったということでしょう。
テレビは、死体を映すことはありません。
でも、話では、伝わってくる。
100体、200体単位で、死体が見つかっている。
時に千体単位の死体の情報が入る。
テレビに出てくるひとでも、家族と連絡がとれていないひとがたくさん、いる。
哀しい出来事ですけど、でも、それを受け入れなければいけない。
僕はふと、「水に流す」という日本人の考え方が頭に浮かびました。
司馬遼太郎氏は、かつて、その著書で、
「日本人には、水に流すという悪い慣習を持っている。これがあるおかげで、歴史に学ぶということをしない。だから、第二次大戦が起こったのだ」
という趣旨のことを、言い、
「日本人は、馬鹿だから戦争を起こしたのだ!」
と、日本人そのものを、批判しました。
まあ、もっとも当時の戦中派が、軍の上層部に感じていた思いを代表した考えでしょうし、
あの時代は、そういう考えが讃えられたのだと思います。
もっとも、司馬遼太郎氏の考える事は、基本、学識による浅い見識やこじづけに過ぎず、経験から来る知恵というものが皆無であり、
内容として議論に耐えるものではありません。
そのあたりについては、「司馬遼太郎論考」カテゴリー内の記事にて、指摘しています。
ですから、この主張も、
「俺は識者であるのに、戦車兵として軍部に働かされた」
という俺偉い病にかかった人間の浅い主張だと思います。
司馬氏の主張は、
「日本国民が、水に流すという習慣を持っているから、歴史に学ばない」
というものです。
じゃあ、戦争を起こす人間は、歴史に学んでいない、ということなんですか?
アメリカは、どうなんですか?日本のように、250年のミラクルピースを創り上げることもなく、ずーーーっと戦争ばかりしていた、ヨーロッパは?
いいですか?
地球の歴史上、250年ものミラクルピースを成し遂げたのは、日本人だけなんですよ。
まず、この点からして、この司馬氏の主張は、間違っていると言える。
というより、司馬氏は、何がしたかったか、と言えば、当時の軍部の上層部をくさしたかっただけです。
だから、
「日本人には、水に流すという特質が、ある」
「日本人が、馬鹿だったから、戦争を引き起こして、負けたのだ!」
この二つのできごとを、無理にくくりつけたに、過ぎないんです。
しかも、
「日本人が馬鹿だったから、戦争を引き起こして負けたのだ!」
という主張は、当時のアメリカが遂行していた、日本人洗脳プログラム「ウォーギルドインフォメーションプログラム」の目的そのものの主張であり、
要は、戦勝国アメリカの片棒を担いでいただけに過ぎないわけですよ。
日本の歴史を描く人間として、立っていい立場ではないでしょ?
その点からも、批判されるべきだ。
ったく、司馬遼太郎って、調べれば調べるほど、最低の人格が顕になりますね。
さて、ここで、考えたいのは、
「日本人には、水に流すという特質がある」
という特質は、何故、日本人の特質になったのか、ということなんです。
僕は、ここ数日、津波から、命からがら、逃げ得た人々の言葉に共通性を感じているんです。
「とにかく生きていただけで、よかった。あのひどい津波に遭って、生きていられたことだけで、ありがたいと思わなければ」
「家もなくなってしまったし・・・しかたないですよ。生きていただけで、よかった・・・」
「家なくなっちゃったけど・・・しかたないです」
つまり、これ、
「過去への執着を捨て、新たに生きる」
ということなんですよね。
「水に流す」・・・そのものじゃないですか。
つまり、「水に流す」とは、自分の財産や家屋、果ては愛するひとまで、津波という「水に流してしまう」ことで、
新たな新しい自分を作っていこうと、強い気持ちで、執着を取り払う態度、ということになります。
つまり、天変地異の多い、この日本では、今回のような、ひとの手に負えない、突然の災害に見舞われることが、過去、たくさんあったんだと思うんです。
だから、それが原因になって、長い間に、日本人に、
「水に流す」
という新たな能力が、備わったと見るべきでしょう。
たくさんの、天変地異に見舞われた経験から、新たに出来た、ひとつの美徳なんですよ、これ。
経験から培われた能力なんですよ。
日本人と、韓国人、あるいは、中国人と比べて、みてください。
この間、韓国人の男性の方が、インタビューされていましたが、
「日本人は、淡々として、事態を受け入れている。さすが先進国だと思った。韓国では、こうはいかない」
ということを言っていました。
でも、僕は、それは、先進国だからではないと思うんです。
「水に流す」能力があるか、ないかなんです。
過去に対する執着を、取り払えるか、どうかなんですよ。
事件や事故で、愛するひとを失った時の、中国の人や韓国の人の反応を思い出してください。
感情を思いきり現し、超泣いたりわめいたりするでしょう?
あれは、執着がそれだけあるからです。
それに対して、日本は、愛するひとの死を受け入れ、淡々と涙ぐむだけだ。
それは、執着を取り払う訓練が、日頃からできているからだ。
「水に流す」能力があるから、そういう風に出来るんです。
武士道では、他者への執着を厳に戒めています。
それは、他者への依存を戒めるのと同じ扱いです。
「愛するひとを失っても、感情を表に表すな。それは、自分をコントロールできなくなっている状況をひとに見せることだ。恥ずかしいことなんだ」
日本人は、小さい頃から、そうやって育まれてきたはずです。
まだ、教育に武士道が残っているからですよ。
つまり、水に流す能力というのは、執着を取り払えるという、日本人の美徳なんですよ。
司馬遼太郎氏の主張なんて、てんで間違っているでしょう?
ほんと、あいつ何も考えられないアホなんだよなー。
ま、それは、いいとして、「水に流す」能力は、こういう天変地異にあってきた、日本人が、黙々と耐えてきた歴史から、作られているということが、
今回、はっきりしたんです。そして、それは、執着を取り払うという、素晴らしい能力なんです。
日本人は過去から、たくさんつらい目に遭ってきました。
でも、それが、日本人を強くしたんです。
それを考えた時、僕は、日本は、まだまだ、やれると、感じました。
今までたくさんあった天変地異にも、その度に復興を成し遂げてきたのだから。
今はつらくても、
「絶対復興するんだ」
という強い意志を持ちましょう。
強い意志こそ、自分のモチベーションを上げるエネルギーになります。
そして、明日に向かって、よりよき明日に向かって、徹底的に、チャレンジしていきましょう。
輝かしい未来は、絶対に日本に存在する。
このつらい状況から、リカバリをすれば、日本は、他国が経験していない悲惨な状況を乗り越えたことになる。
さすれば、日本は、どこの国にも負けない強い精神をもった国になります。
その時が、さらなる飛躍のチャンスです。
さあ、今こそ、輝ける明日に向かって、一歩一歩歩いていこうじゃありませんか。