どうも、ゆるちょです。
僕は年がら年中、怪我もする人間ですが、年がら年中鼻水も垂らしている人間で、
年がら年中、
「あーっくしょ!」
と、くしゃみしている人間です。
というわけで、僕にティッシュペーパーは必需品なのですが、
「そろそろ切れそう」
ということで、スーパーに行ったら、根こそぎありませんでした。
ついで、トイレットペーパーも・・・。
ガーン!
皆に買い占められちゃったんですねー。
僕は、
「あー、他のスーパーに行っても、だめだろうなあ」
と、まあ、予測しながら、3,4箇所のスーパーをハシゴしましたが案の定、ポッカリとそこだけ空間があいていました。
orz
という状況でしたが、まあ、鼻水なら最悪、ハンカチにだしてその都度洗えばいいか、と代替の方法を思いついて、
少し胸を撫で下ろしました。
店員さんに話を聞きましたが、
「入荷未定なんですよー」
と、申し訳なさそうに言うので、
「まあ、しゃあないか」
と、あきらめました。
まあ、なんとか、工夫して対応しましょう。
これも、ひとつの経験です。
こういう経験をしておけば、まあ、強くなりますからね。
「苦労は買ってでも、しろ」
ということです(笑)。
テレビで、津波の映像を観ていたら、
ふと、思ったのが、日本の民話やむかしばなしって、津波の話って多かったなあということです。
昔やっていた、「まんが日本昔ばなし」でも、
「大津波が、来るぞーーーー!」
っていう常田富士男さんのセリフは何度も聞いたような気がするし、
「未来少年コナン」
でも、大津波がひとつのクライマックスでした。
つまり、それだけ、日本民族は、津波の猛威を受けてきたということなんですよね。
いつだったか、まだ、僕がサラリーマン時代、たまたま一緒に仕事をしていたひとと飲んでいて、
確か、カラオケのできるスナックかどこかだったと思いますが、
ある男性が、サザンオールスターズの「TSUNAMI」のカラオケを唄う人間を見ながら、話をしてくれたのを思い出します。
「俺の住んでいた地域は、昔から、何度も津波に洗われた村でさ。昔からたくさんの人間が死んできたって、いいつたえがあってね・・・」
その男性は、特にこだわる風でもなく、でも、何かを思い出すように話をしていました。
「「津波はこええんだぞ」ってのが、うちのばっちゃーの、口癖でさ。ばっちゃーは、何十年も前に実際に津波に飲み込まれかけたって、それが口癖」
と、仮名野島さんは、言っていました。
「地震が来たら、すぐに高台さー、逃げるんだどって、うちの村じゃあ、一年に一回、防災訓練があるんだけど、要は津波から逃げる練習、かけっこなんだよ」
と、野島さんは、少年の日々を思い出すように話してくれました。
「関東の防災訓練は、いかに早く学校から逃げ出すか、なんだって?」
と、煙草をくゆらす野島さんは、僕に聞きます。
「えー。小学生や中学生の時は・・・あ、そういえば、この間、僕のいる会社の寮でも、逃げ出す訓練やりましたよ。なにしろ、13階建てなんでねー」
と、僕は東北の防災訓練をおもしろく感じながら、話します。
「うちらは、その逆だ。それに、津波は、高いから、30メートルを越える奴だって、あったつーからねー」
と、野島さんは、少し地元のなまりを出しながら話します。地元のことを思い出しているのでしょう。
「30メートルですかー。そりゃ、すごい・・・ちょっと想像できませんよ・・・」
と、僕が驚いて言うと、野島さんは、
「まあ、経験したひとの言葉だからなー。とにかく、映画みたいにかっこいーもんじゃないってさ。突然海が盛り上がってきて、わーっと流されちまうんだと」
と、ばっちゃーの言葉を僕に教えてくれました。
「野島さんご自身は、津波はご経験されたんですか?」
と、僕はその時、聞きました。
「いやあ。そっだらもん、経験しないほうが全然いい。でも、いつか、田舎に戻る気だから、そうなったら、経験するかもしれないなあ」
と、野島さんは、遠くを見るように話していました。
「津波って、こわいんですね」
僕は、話の流れ上、そう言いましたが、その時、僕は、全然、津波のこわさを理解していませんでした。
その野島さんが、どこの出身だったかは、聞きそびれてしまいましたが、多分、今回被災された地域のどこかだったと思います。
その野島さんが、今どうしているかは、知る由もありませんが、被害者になっていないことを祈るばかりです。
ただ、あの時、野島さんは、「TSUNAMI」という曲を、なんとなく、憎々しげに聞いていたように見えました。
それは、
「湘南の、関東の人間なぞに、津波の恐ろしさのわからない人間なぞに、津波のことを歌にして欲しくない」
というような、感情だったと思います。
多くの民話や、むかし話に津波の話がたくさんあったのは、野島さんのおばあさんのように、津波のほんとうの恐ろしさを知った人間が、
その恐ろしさを皆に理解してほしくて、残したお話だと思います。
しかし、僕らは、そのお話を、どこか、遠い国の話のように聞いていて、津波のほんとうの恐ろしさを、ほんとうに理解していなかった。
津波=激しくてすごいもの
とは、理解していても、それは、まるで、「TSUNAMI」をラブソングとして、聞いて理解してしまうような態度だったのだ、と思います。
と言って・・・その恐ろしさを理解していたとして、何ができたんだろうか。
今回の津波を教訓にして、さらに高い防波壁を建てたところで、次の津波はさらにそれを越えるかもしれない。
「自然は、人間の浅知恵で、計り知れるものではない」
それが、今回の津波に対して、唯一、得た教訓なのかもしれません。
科学に頼りすぎて、今、人間は、ダメになっているのかもしれない。
自然を畏敬し、自然と向きあって生きていき、経験を糧にして、生きていく。
それが、人間のとる、自然への正しい態度、そんな気がします。
ただ、自然は、時として、人間に牙を向くけれど、そればかりではないのも、確かです。
我々は、自然の恩恵にすがり生きている。
我々は、この気分屋で、時に厳しく、時に甘い、自然というパートナーを畏敬しながら、つきあっていくべきなのでしょう。
そして、古代の日本人達は、それを八百万の神々として、擬人化したんでしょうね。
そう。日本の八百万の神々とは、自然を擬人化したモノに過ぎないんだ。
だから、皆、祈るんだ。
なるほどねー。
津波の神って、誰なんだろう。
きっといるはずだよね。
あと、百年は、津波を起こさないで!って祈ろう。
それが、今、僕にできることだ。
ではでは。
僕は年がら年中、怪我もする人間ですが、年がら年中鼻水も垂らしている人間で、
年がら年中、
「あーっくしょ!」
と、くしゃみしている人間です。
というわけで、僕にティッシュペーパーは必需品なのですが、
「そろそろ切れそう」
ということで、スーパーに行ったら、根こそぎありませんでした。
ついで、トイレットペーパーも・・・。
ガーン!
皆に買い占められちゃったんですねー。
僕は、
「あー、他のスーパーに行っても、だめだろうなあ」
と、まあ、予測しながら、3,4箇所のスーパーをハシゴしましたが案の定、ポッカリとそこだけ空間があいていました。
orz
という状況でしたが、まあ、鼻水なら最悪、ハンカチにだしてその都度洗えばいいか、と代替の方法を思いついて、
少し胸を撫で下ろしました。
店員さんに話を聞きましたが、
「入荷未定なんですよー」
と、申し訳なさそうに言うので、
「まあ、しゃあないか」
と、あきらめました。
まあ、なんとか、工夫して対応しましょう。
これも、ひとつの経験です。
こういう経験をしておけば、まあ、強くなりますからね。
「苦労は買ってでも、しろ」
ということです(笑)。
テレビで、津波の映像を観ていたら、
ふと、思ったのが、日本の民話やむかしばなしって、津波の話って多かったなあということです。
昔やっていた、「まんが日本昔ばなし」でも、
「大津波が、来るぞーーーー!」
っていう常田富士男さんのセリフは何度も聞いたような気がするし、
「未来少年コナン」
でも、大津波がひとつのクライマックスでした。
つまり、それだけ、日本民族は、津波の猛威を受けてきたということなんですよね。
いつだったか、まだ、僕がサラリーマン時代、たまたま一緒に仕事をしていたひとと飲んでいて、
確か、カラオケのできるスナックかどこかだったと思いますが、
ある男性が、サザンオールスターズの「TSUNAMI」のカラオケを唄う人間を見ながら、話をしてくれたのを思い出します。
「俺の住んでいた地域は、昔から、何度も津波に洗われた村でさ。昔からたくさんの人間が死んできたって、いいつたえがあってね・・・」
その男性は、特にこだわる風でもなく、でも、何かを思い出すように話をしていました。
「「津波はこええんだぞ」ってのが、うちのばっちゃーの、口癖でさ。ばっちゃーは、何十年も前に実際に津波に飲み込まれかけたって、それが口癖」
と、仮名野島さんは、言っていました。
「地震が来たら、すぐに高台さー、逃げるんだどって、うちの村じゃあ、一年に一回、防災訓練があるんだけど、要は津波から逃げる練習、かけっこなんだよ」
と、野島さんは、少年の日々を思い出すように話してくれました。
「関東の防災訓練は、いかに早く学校から逃げ出すか、なんだって?」
と、煙草をくゆらす野島さんは、僕に聞きます。
「えー。小学生や中学生の時は・・・あ、そういえば、この間、僕のいる会社の寮でも、逃げ出す訓練やりましたよ。なにしろ、13階建てなんでねー」
と、僕は東北の防災訓練をおもしろく感じながら、話します。
「うちらは、その逆だ。それに、津波は、高いから、30メートルを越える奴だって、あったつーからねー」
と、野島さんは、少し地元のなまりを出しながら話します。地元のことを思い出しているのでしょう。
「30メートルですかー。そりゃ、すごい・・・ちょっと想像できませんよ・・・」
と、僕が驚いて言うと、野島さんは、
「まあ、経験したひとの言葉だからなー。とにかく、映画みたいにかっこいーもんじゃないってさ。突然海が盛り上がってきて、わーっと流されちまうんだと」
と、ばっちゃーの言葉を僕に教えてくれました。
「野島さんご自身は、津波はご経験されたんですか?」
と、僕はその時、聞きました。
「いやあ。そっだらもん、経験しないほうが全然いい。でも、いつか、田舎に戻る気だから、そうなったら、経験するかもしれないなあ」
と、野島さんは、遠くを見るように話していました。
「津波って、こわいんですね」
僕は、話の流れ上、そう言いましたが、その時、僕は、全然、津波のこわさを理解していませんでした。
その野島さんが、どこの出身だったかは、聞きそびれてしまいましたが、多分、今回被災された地域のどこかだったと思います。
その野島さんが、今どうしているかは、知る由もありませんが、被害者になっていないことを祈るばかりです。
ただ、あの時、野島さんは、「TSUNAMI」という曲を、なんとなく、憎々しげに聞いていたように見えました。
それは、
「湘南の、関東の人間なぞに、津波の恐ろしさのわからない人間なぞに、津波のことを歌にして欲しくない」
というような、感情だったと思います。
多くの民話や、むかし話に津波の話がたくさんあったのは、野島さんのおばあさんのように、津波のほんとうの恐ろしさを知った人間が、
その恐ろしさを皆に理解してほしくて、残したお話だと思います。
しかし、僕らは、そのお話を、どこか、遠い国の話のように聞いていて、津波のほんとうの恐ろしさを、ほんとうに理解していなかった。
津波=激しくてすごいもの
とは、理解していても、それは、まるで、「TSUNAMI」をラブソングとして、聞いて理解してしまうような態度だったのだ、と思います。
と言って・・・その恐ろしさを理解していたとして、何ができたんだろうか。
今回の津波を教訓にして、さらに高い防波壁を建てたところで、次の津波はさらにそれを越えるかもしれない。
「自然は、人間の浅知恵で、計り知れるものではない」
それが、今回の津波に対して、唯一、得た教訓なのかもしれません。
科学に頼りすぎて、今、人間は、ダメになっているのかもしれない。
自然を畏敬し、自然と向きあって生きていき、経験を糧にして、生きていく。
それが、人間のとる、自然への正しい態度、そんな気がします。
ただ、自然は、時として、人間に牙を向くけれど、そればかりではないのも、確かです。
我々は、自然の恩恵にすがり生きている。
我々は、この気分屋で、時に厳しく、時に甘い、自然というパートナーを畏敬しながら、つきあっていくべきなのでしょう。
そして、古代の日本人達は、それを八百万の神々として、擬人化したんでしょうね。
そう。日本の八百万の神々とは、自然を擬人化したモノに過ぎないんだ。
だから、皆、祈るんだ。
なるほどねー。
津波の神って、誰なんだろう。
きっといるはずだよね。
あと、百年は、津波を起こさないで!って祈ろう。
それが、今、僕にできることだ。
ではでは。