「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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第四十九回 乙女通信 「戦を学ばず」

2013年12月15日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
大河ドラマ「八重の桜」感想 乙女通信

「「男性大河ファン」の直感的で素直な感想」

●さらば覚馬!動の会津藩士時代、静の京都時代!「知恵者」は、動かずとも時代に求められるものだった!そして、さらば松平容保公!あなたは義の人だった!!

えー、というわけで、第四十九回、乙女通信、大河ドラマ「八重の桜」レビュー、「再び戦を学ばず」です。

今回もよろしくお願い致します。


えー、しかし、もう、あと一回、というか、今日が最終回の日ということで、まあ、普通に年末が来てますねー。

今日の午後は年賀状作りが本格化しますし、朝もなかなか明けない・・・そういう季節なんですよね。


今年、2013年も、もうあと2週間ちょっと・・・作劇的にも、主人公廻りに死者が続出する話・・・そういう寂しい時間に入ってきましたねー。

というか、僕はこの「八重の桜」で俳優反町隆史さんの存在感を非常に感じた一年になりましたねー。


反町隆史さんと言えば、GTOのイメージが強かったし、「利家とまつ」の信長も、いまひとつな感じがあったんですけど、

今回「八重の桜」の反町隆史さんは、すごく存在感があって・・・いるだけで絵になる、大人の男的な表現があって、それがすごくよかったです。

彼が出てくると、そこに血が通うような、そんなイメージがありました。


だから、この大山巌役は、本当に素晴らしかったなーと見直す感じが僕的にはありましたねー。


やっぱ、俳優さんって、すげえなって、素直に思えた、反町隆史さんでしたねー。


そういう意味で言えば、この「八重の桜」の前半戦を大きく引っ張ってくれた、松平容保役の綾野剛さんは、出色の出来だったと思いますね。

今回も年老いた松平容保さんを素晴らしく演じていて・・・すげえなあ・・・って思えましたし、

「やっぱ、綾野剛さん、すげえよ」

と、素直に思っちゃいましたねー。


やっぱり、大河ドラマの面白さってのは、俳優さんの演技合戦・・・まあ、ベスト10的な点数付けは来週の最終回のレビューで、やりますけど、

それが最終回レビューのお約束になっているんで、それを楽しみにして頂きたいですけど・・・ほんと「八重の桜」は演技合戦が楽しめましたねー。


そういう意味では、ほんとNHKさん、ありがとうございました。


つーか、平日は朝ドラ通信やっていますからね。どんだけNHK好きなんだってことになりますけど、

まあ、良質な作品を見て、創作のお勉強は常にしていかなければ、いけませんからねー。


さて、今回のお話は、新島襄さんの死後、「教育勅語」が出て・・・まあ、いろいろな徳目が表現されているんですが、

最後の最後に表現された徳目・・・「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」(国に危機があったなら正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう)


ま、ストーリーテラー的に見れば、これが一番言いたかった徳目ですね。


要は対外戦争が起こった場合・・・つーか、起こす気満々だったわけですが、要は日清戦争の準備として、この教育勅語が作られたことがわかります。

教育勅語は、明治23年(1890年)10月30日発布で、日清戦争は、明治27年(1894年)7月に開戦していますからねー。


要は日本は、国内の戦を鎮台組織によって、終わらしめ、国内を安定させてから、対外的な戦争能力を持った・・・そういう話です。


つまり、対外戦争能力をシビアに上げるために、国民皆兵制への布石として、この教育勅語の最期の徳目が挙げられるんですね。


僕は戦争というものに対する評価として、時代性を考証材料にいれなければならないと考えています。


日清戦争もそういう時代性の中で、行われたイベントであり、歴史というのは、そういう時代性によって育まれるモノですから、


「戦争はいけないもの。絶対にしてはいけないもの。だから、日本は悪だ」


的な決め付けは、思考を鈍らせる考え方だと僕は思います。


当時対外戦争は当たり前の出来事であったし、世界的にそういう時代性にありました。

それを見て取った当時の政府首脳が、それに踏み切ったとしても、何ら疑問はありません。


むしろ、日清戦争の経験が日露戦争の勝利をもたらし、その奢りが今度は、第二次大戦への突入につながっていく。


その経験によって、

「戦争は絶対に繰り返してはならないものだ」

という強い思いを日本人に生んだのであれば、それは尊い経験だったと僕は思います。


そういう経験も経ずして、頭だけでものを考えていてはいけない・・・経験こそ、叡智の元である・・・という知恵こそ、大事だなと僕は思います。


「知識者」になったら、「知恵者」への成長こそ、必須です。


「論語読みの論語知らず」


これは江戸時代からある言葉であり、武士道の大事な徳目のひとつでもあります。


「「知識」とは「知恵」を作るための材料に過ぎない」


これは遠い昔から言われている、日本の基本的な「知恵」なんですよ。れっきとした。


「知識者」は知識からしか言葉が吐けないし、要は他人と同じ無難な言葉しか吐けません。


それに対して、「知恵者」は、万物について、自分の言葉で説明することが出来る。


自分の「知恵」で説明することが出来るんです。


だから、おもしろい。


おもしろく無くては人生ではありません。


まあ、だから、つまらない人生を送っているひとは「知識者」に過ぎない成長の出来ない「人間のクズ」といえるんです。

そういう人間は周囲から人が去っていき、孤立する状態になります。


日本において、しあわせとは、たくさんの「知恵者」に囲まれる「知恵者」の状況を言うんです。

まあ、有り体に言えば、優秀なモノの見える「知恵者」の男性や女性が集まってきて、「しあわせコミュニティ」を作ってくれる・・・そういう状況こそ、

おもしろい毎日が送れるし、しあわせを毎秒感じられることにつながるんです。


「知識」なんて、持っていて当然です。

このネットの時代、その気になれば、なんでもネットが教えてくれますから、賢い「知恵者」は知らない言葉にぶちあたると、

「いい勉強の機会到来!」

と捉えてネットにキーワードをぶちこみ、すぐに知らなかった「知識」を習得していきますから、

「知恵者」は、どんどん成長していきます。それこそ、毎秒。


ただの「知識者」は自分が大量の「知識」を保有することを自慢気に誇り出します。


すなわち、周囲から蛇蝎の如く嫌われる、

「俺偉い病」・・・孤立化するのは、目に見えていますよね。


よくいるでしょう?

テレビに出ている弁護士とかのださいおっさん・・・「その車両はキハ58系気動車と言って、いわゆるディーゼル機関車ですねー」

とか、すぐ言い出す人間・・・んで、ドヤ顔するひと。


あのね、ドヤ顔って普通に一般の人間が嫌う「負のエネルギー」そのものだから、他人には見せてはいけないわけです。

そういう周囲に対する、基本的なエチケットもわきまえていない人間だから、女性はオタクの人間を嫌うし、ドヤ顔する人間を忌避するわけです。


つまり、

「「知識者」は周囲の迷惑を考えずにドヤ顔という「負のエネルギー」を周囲に放つ」

「要は「負のエネルギー」は周囲に出してはいけないという、基本的なエチケットすら理解出来ないクズ人間なので、女性に忌避される」

という構図があるんですね。


物事わかっている人間は、そういう人間が大嫌いですから。

まあ、そういう知識者の周囲には、何もわかっていない人間しか、集まりませんからね。


ま、「知識者」ってのは、その程度の「意味なしコミュニティ」しか作れないんです。


その事実に対して、「知恵者」の「しあわせコミュニティ」には、余程辛辣で、仕事のバリバリ出来る「知恵者」の男性や女性が集まりますから、

モノゴトに対して、超辛辣な見方をしますから、「ドヤ顔」なんてするわけがない。


皆、周囲に「ハッピーエナジー」を出して、自身にも「ハッピーエナジー」が集中するから、皆、笑顔笑顔で過ごせるんですね。

そして、毎秒の成長を皆、指向していますから、どんどん「知恵」が増えていくんですね。

そして、「知恵者」は経験こそ、新たな「知恵」につながることを知っていますから、行動力抜群にして、仕事が早い。


だから、どんどん高みに登っていくから、ステージアップが半端なく早いんですね。


結局、「知識者」があまり高みに行けないのと反対に、「知恵者」が高みに登るペースは予想以上に早く、

そのきっかけさえ掴んでしまえば、すぐに超高みにまで、登ってしまいます。


それが「知識者」と「知恵者」の圧倒的な違いと言えると思いますね。


ま、しあわせになりたかったら、「知恵者」になることです。はい。


さて、話を戻しましょうか。


今回の話は、覚馬さんが、ほぼ主人公とも言える表現のされ方をしました。


「会津にも義があったが、相手側薩長側にも義はあった」


と彼は言ってしまい、他の元会津藩士達に、キレられるんですね。


彼らは、

「会津にだけ義があった」

とする立場ですから、それは喧嘩になりますよね。


しかし、覚馬さんの考えていたのは、

「戦争を回避する知恵は無いものか?戦争で負け、国を失った経験を持っているのは、会津藩だけ」

「であれば、会津藩の幕末のあり方に何かヒントがあるのでは?」

と、考えるんですね。


これ、同じようにこの回でクローズアップされた松平容保公も同じように考えていました。

「会津藩の「家訓」が会津藩を縛ってしまった・・・」

ということを言っていましたね。


「大君の義、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず、若し二心を懐かば、則ち我が子孫にあらず、面々決して従うべからず」


って奴です。松平容保さんが、江戸に逃げ帰った後、江戸城への出入りを禁じられた時、思わず口ずさんでいましたよねー。


あれ、セリフとして与えられていなかったのに、なぜか、出ちゃった・・・と綾野剛さんが言ってましたけどねー。

印象に残るシーンでしたよねー。


「会津藩は最期の武家として、義に殉じた。だが国もろともすべてを無くしてしまった」

「確かに、天皇からも御宸筆を貰い、会津藩の正当性は、証明出来る。しかし、会津藩の正当性をいくら証明出来ても」

「死んでいった人間達は帰ってこないし、国もなくなったまま」

「つまり、やってはいけないことをやったのだ」

「会津藩の正当性の証明はしてもらいたいが、今度同じような幕末の状況になったら、会津藩と同じことは絶対にしてはならない・・・それを説明してくれ」


まあ、かなり意訳しましたけど、今後起こる対外戦争・・・まあ、あの場で言えば、

「日清戦争で、会津藩的な動きはするな・・・義に凝り固まった動きをせずに、情勢をよくよく見据えて動け・・・」

そういいたかったんでしょうね。


で、幕末の情勢を考えた時に、

「情勢をよくよく見据えて、時代をリードした」

のが、薩長だったんですよ。


結局、時代はどんどん変わるから、その時代に有効だった知恵とは言え・・・時代が変われば、その知恵が逆に鎖になってしまうこともある・・・そういうことです。


会津藩の家訓・・・まさに鎖になっちゃったんですね。幕末のあの時代・・・。


「情勢をよくよく見据えて、落とし所まで考えた上で、周囲を動かし、自分が絶対に有利になる状況を作り、自分が絶対に勝利出来る状況が出来たら」

「相手の知らぬ間に電撃的に動き勝利を修めよ」


これ、織田信長さんが作り上げた勝利の方程式ですよ。


これがいつの時代も有効な「絶対的勝利への知恵」なんですね。


僕は毎秒この知恵を活かして生きてますねー。


だって、僕、ボルさん落とすのに、この「知恵」使いましたからね。

つーか、落ちてたから、ボルさんは、コメントするようになったわけで、僕は、最初から、絶対的有利な状況にあったわけです。はい。


しかし、歴史の解説に、僕のプライベートが有効とは、ね。笑っちゃうよねー。


まあ、いいや。


で、それを鑑みると覚馬の知恵は、

「会津にも義はあった。しかし、薩長にも義はあった。つまり、義があれば戦に勝てる程甘いものではない、ということだ」

というところまでは、辿り着いていた。


ここから、覚馬の知恵は、信長の知恵方向には行かず、

「だったら、戦自体やらなきゃ、いいんじゃね?」

という方向に行くんですね。


「やりは鍋に作り変えろ、盾は釜に作り変えろ・・・戦にモノを学ぶのを辞めよ」


っつー話になっていましたねー。


まあ、ストーリーとしては、こういうキリスト教の精神に行き着くんでしょうけど、

でもね・・・会津藩は、戦をしたくて、戦をしたんじゃない。


そういう情勢に追い込まれたから、国を守るために立ち上がったんです。


この構図・・・ABCD包囲網を作られて、原油の輸入を断つと脅され、国を守るために第二次大戦に追い込まれた、当時の日本と同じ構図。


つまり、この事実に触れれば、

「戦に学ばず」

なんて言ってたって駄目だと言うことがわかります。


幕末の薩長の勝利、

第二次大戦でのアメリカの勝利、日本の敗戦を考えれば、どうしても信長の知恵を使わざるを得ません。


「情勢をよくよく見据えて、落とし所まで考えた上で、周囲を動かし、自分が絶対に有利になる状況を作り、自分が絶対に勝利出来る状況が出来たら」

「相手の知らぬ間に電撃的に動き勝利を修めよ」


知恵というのは、時代を乗り越える知恵とその時代に特化してしまう、時代を越えられない・・・むしろ、足かせになる知恵の2種類があるんです。


前出した保科正之の作った家訓やキリストさんのこの「戦に学ばず」の知恵も、時代を乗り越えられていない。

織田信長さんのこの「絶対勝利の法則」の知恵こそ、時代を乗り越えられる、素晴らしい知恵だと言えますね。


大切なことは、「知恵者」となり、独自な価値を毎秒自分に作り上げ、この日本においては、「運」「縁」「恩」を味方につけ、

「知恵者」だけで構成される「しあわせコミュニティ」を作り上げることです。


そうすれば、日々、しあわせな時間を送ることが出来、自身も、高みにどんどん登れていきます。


もちろん、外交政策で言えば、周囲をうまく動かし、自国を有利な位置にどんどん押し上げる策が重要となります。


ま、喧嘩と同じですね。

「こいつだけは、絶対に敵にまわしてはいけない相手だ・・・」

とそう相手に思わせればいいんです。


日本はそれにある程度成功している。

なにしろ、神風特別攻撃隊を実施出来るのは、世界広しといえど、日本人だけですから。


サムライですから、僕らは、決断したらその行動は神速ですからね。


ま、そういう先人の歴史をうまく利用しながら、外交的にも勝利いていくことが大事ですね。


さて、だから、過去の知恵にすがるより、今現在の状況を見極めながら、自分で知恵を毎秒作っていく・・・そういう姿勢が最も大切になるんですね。


さて、じゃあ・・・幕末、会津藩まで、徳川を見捨てていたら、どうなっていたのでしょう?


徳川家を叩くことが薩長側の最終目的になっていったでしょうね。

いくら徳川慶喜が恭順の意を示しても・・・江戸が火の海になることは、列強が許さなかったでしょうけど、また、違ったカタチになっていたかもしれません。


でも、やっぱり、義が立たない・・・国を動かす・・・松平容保さんの立場で後から考えれば、

ある意味、失政かもしれませんが、でも、あの幕末の状況であれば、やはり、松平容保さんの指導は正しかった・・・そう言えると僕は思いますね。


武家は汚辱にまみれた生より、プライドのある死を選びます。


だから、赤穂浪士の話は、未だに語られる。

そして、同じように幕末の会津の悲劇も語られる。


そこが一番大事なんです。


だから、幕末死んでいった・・・神保内蔵助さんが田中土佐さんと刺し違えた時、

「責任取るには死ねばいい・・・」

と言っていましたよね。そうなんですよ。武士にとって、死とは、責任を取る為の方法論に過ぎず、むしろ切腹は名誉なわけだから、

喜ぶべきモノなんですよ。そして、死んでしまえば、国のことなど、もうどうでもよくなる。


だから、会津の取った道は、武家的には、名誉の戦死そのものであり、武家のあり方を示した名誉獲得ストーリーなんですね。


ま、対外戦争と武家同士の戦では、自ずからあり方は違います。そこを注意しないといけませんね。


話を戻しましょう。


覚馬は、同志社英学校から、身を引き、死を迎えます。

結局、会津に帰ることはなかったんですね。


八重とおかあさんに看取られ・・・京都に来てからは、いつもこの2人と共にあったから、

覚馬もしあわせだったでしょうね。


しかし、いろいろなことがありましたねー。

覚馬さん・・・あの道場で見せた作りこんだ身体・・・あれ一回しか出てこなかったけれど、かっこよかったよねー。


あとは、大砲隊率いて、公家の家の壁ぶちぬいて、長州軍を殲滅したり・・・いろいろ懐かしいですね。

「いいか、八重。武家の娘に二言はねえ。やるとなったら、後はねえから、気合いれろよ」

的に鉄砲を習い始めた八重さんに言うところ・・・あれかっこよかったなー。


つーか、せっかく調達した何千丁もの銃・・・結局届かなかったしねー。


そんないろいろが思い出されます。ま、そのあたりは、最終回のレビューに回しましょうか。


そして、松平容保さんも死に・・・八重さんの廻りから皆去っていく・・・そこへ新島襄さんの亡霊が・・・。

「皆どこへ行ってませんよ。あなたの廻りにいますから・・・」

というメッセージ。僕もそういうイメージを持っていますね。死んでいった知り合い達や母親は僕の周囲にその魂が漂っている・・・そう思っています。


そして、篤志看護婦として、日清戦争への従軍が決定・・・大山巌さんとの握手、よかったですね。


まあ、そんなところでしょうかね。


あと一回ですか、八重さんをレビューするのも。少し寂しくなりますね。


今週の喜び


ということで、今晩最終回が放映され、「八重の桜」すべてが終わるわけですねー。


なんだか、寂しくなりますねー。


しかし、僕的には、いい勉強になった、「八重の桜」レビューとなりました。


義に生きた松平容保公には、毎回、感動させられたし、日本国内における戦いにおいて、義とは、やはり、大事な価値観だということがわかりました。


ただし、織田信長は、一切、そういうモノにかかずらわることがなかった。

義と言えば上杉謙信ということになりますよね。


つまり、織田信長は、すでにあの時点で、戦に対する絶対勝利の法則を打ち立てていたんですね。


となると、やっぱり、信長さんの生き方こそ、参考にすべきで、松平容保公の生き方はエンターテイメントとして楽しむモノ・・・という評価になりますねー。


あとは、徳川慶喜さんを「俺偉い病」の「逃げ込み者」と認定出来たので、

そういう人間を上に奉戴しちゃうと、その組織が消滅する・・・それも考察出来たことは、非常によかったことだったと思いますね。


結局、人のしあわせって、求められる人になるか、否かなんですよね。


求められる人は「知恵者」であり、いろいろな情報を発信出来る人であり、「演者側」に立てる人なんですよ。


これが「知識者」だと、その「知識」からしか情報発信出来ないから、要はその「知識」さえ、持ってしまえば、誰にでもその情報は発信出来ることになり、

オリジナリティの観点から見ると、無難・・・他人と同じことしか情報発信出来ないひと・・・ということになる。


それじゃあ・・・「知識者」は「観客側」にしか、立てないことになります。


「価値」とは他人と違うところに宿るモノです。


であれば、「知識者」は価値になれずに、「知恵者」のみが、価値を発揮し、「真の大人類」と言われる人間になっていき、女性に愛されることになっていくんですね。


「真の大人類」の男性の価値を正確に評価出来るのは、同じ「真の大人類」の女性です。


「真の大人類」の女性に評価される「真の大人類」の男性こそ、すべての男性が目指すべき価値ある男性・・・ということになるんですね。


もちろん、「真の大人類」は異性にも同性にも愛され、たくさんの「知恵者」による、「しあわせコミュニテイ」を持ち、しゃべっていて、おもしろい男性や女性です。


そういう人間こそ、独自な情報を発信出来るわけで、「求められる人間」になっていくんですね。


「求められる」からこそ、どんどん貴重な経験を積み、どんどんステージアップしていく・・・そういうストーリーを生むのが、「知恵者」の姿になるんですね。


新島襄さんも「知恵者」でしたが、「八重さん」も「知恵者」だったと思います。


だからこそ、いろいろな場所で、晩年になっても、求められた・・・。


つまり「八重の桜」とは、「知恵者」八重さんの・・・しあわせ獲得ストーリーだったんですね。


八重さんは、いろいろなネガティブを経験しましたけど、すべてポジティブに変えることが出来た。


だから、こそ、人間がデカくなり、晩年になっても、しあわせを感じながら、生きていくことが出来たんでしょう。


それも勉強になりましたね・・・今晩がそれも最後です。


来週のレビューは、いろいろな事を思い出しながら、最後にふさわしいレビューにしたいと思いますね。


今日もここまでお読み頂いてありがとうございました。


じゃ、今晩、最終回を楽しみましょう。


ではでは。


今週のあれ、どうなん?
反町隆史さんの存在感がかっこよかったです。澄んだ、いい目しているしね。

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