一人の髪の毛の長い背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。
彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。
「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「先人考察(女性編)」・・・お願いします。今日は誰について語ってくれるんですか?」
と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。
「うん。そうだな・・・まだまだ恋の歌は続くから・・・「建礼門院右京大夫」さんを見ていこう」
と、タケルは話し始めます・・・。
さて、今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。
「しかし、とうとう平家の没落が始まってしまって・・・なんだか、平家ファンの僕としては心苦しい感じだね」
と、タケルは言葉にする。
「都の女性達からすれば、東夷な源氏のオトコ達より、平家の公達にこそ、それこそ、源氏物語の「光るの君」を見ていたでしょうからね・・・」
と、レイカ。
「ま、少しつらいけれども、見ていこう、同時代を生きる、彼女達の肉声を・・・」
と、タケル。
「そうですね・・・」
と、レイカも言葉少なく続いた・・・。
詞書「また、「維盛の三位中将が熊野の海で身を投げた」と言って、人はあわれんだ。悲運にあった平家の人々はいずれも」
「今の世に見聞きするなかでもほんとうにすぐれていたなどと思い出されるけれども、維盛の際立って類がないほどの容姿は」
「ほんとうに昔から今までを見るなかで先例もなかったほどだ。だから折々に愛でない人があっただろうか」
「法住寺で行われた後白河法皇五十の御賀で青海波(せいがいは。舞楽の名)を舞った折りなどは「光源氏の先例も思い出される」などと人々は言った」
「「維盛の美しさに花の匂いもほんとうに圧倒されたにちがいない」などと人々が言うのが聞こえたのだ」
「そんな特別な折々の面影はいうまでもないこととして、いつも親しく接して受ける感動は、どれかといいながらまたとくに思い出される。
「維盛が「弟の資盛と同じことに思いなさい」と折々言われたのを、「そのように思っています」と社交的に答えたところ」
「「そうはいうけれども、本当なのだろうか」と言われたことなど、数々悲しいことも何ともいいようがない」
「春の花の色によそへしおもかげのむなしき波のしたにくちゐる」
(桜梅少将などとその美しさを春の花の色になぞらえられていた面影は波の下に空しく朽ちてしまった)
「かなしくもかゝるうきめをみ熊野の浦わの波に身をしずめける」
(悲しくもこのような憂き目を見て、み熊野の海岸の波に身を沈めたのだ)
「レイカちゃんの言った通り・・・都の女性達は平家の公達に「光源氏」の面影を求めていたんだね。平維盛は清盛の長男、重盛の長男で、清盛の孫にあたる武将だね」
「後白河法皇が50歳の祝賀の宴で烏帽子に桜の華、梅の華を差して「青海波」を舞い、「桜梅少将」と呼ばれたんだそうだ・・・それだけ美しかったんだろうね」
「「今光源氏」・・・それが1176年だから、1158年生まれの維盛は18歳・・・さぞやイケメン少将だったんだろうね」
と、タケル。
「「青海波」と言えば「源氏物語」の中での「頭の中将」と「光源氏」の舞いがあまりにも有名ですものね」
「・・・「華の匂いも圧倒される」とは、最高の美しさの評価ですもの・・・」
「その美しかった男性が・・・1184年には亡くなってしまうんですから「青海波」から10年経たずに・・・右京大夫さんが悲しがるのも無理はないです」
と、レイカ。
「そうか・・・右京大夫さんが肌を許した資盛さんは維盛さんの弟・・・弟と同じように僕の事も思って、と維盛さんは右京大夫さんに言ってたんだね」
と、タケル。
「「ほんとかよ・・・」って感じで返した維盛さんの表情を右京大夫さんはありありと覚えていて・・・悲しいでしょうね、右京大夫さん・・・」
と、レイカ。
詞書「とくに資盛の兄弟たちに対してはみな深くうなずかれる。つらいことはそうであるが、この三位の中将(平維盛)、清経の中将(平清経)と」
「自分の心から進んで死を遂げたなど、さまざまの人が言い扱うが、資盛が生き残って、どんなに心細く思われていることだろうなど、さまざま思うが」
「かねて言ったことで、また何と思うだろうか」
「便りにつけて言葉ひとつも聞かない。ただ都を出ての冬、わずかな便りにつけて、「申したように、今は身を変えたと思うのを、誰もそう思って」
「後世を弔ってください」とばかりあったので、確かな便りも知らず、こちらからわざわざ使いを出すことはできず」
「こちらからもいいようなく思いやられる心の内をもいいやることができずに、資盛の兄弟たちがこうなったとみな聞いた頃、確かな便りがあって」
「たしかに伝えるべきことがあったので、何度も「こうまでも申し上げますまいと思いますけれど」などと言って」
「さまざまに心乱れてもしほ草かきあつむべき心地だにせず」
(さまざまに心乱れて、思いのすべてをこの手紙に書き尽くすことさえできそうにありません)
「おなじ世と猶おもふこそかなしけれあるがあるにもあらぬこの世に」
(生きていても生きる甲斐のないこの世にあって、それでもなお、同じ世に生きているのだと思うと悲しいのです)
詞書「この兄弟たち(平維盛、清経)のことなどを言って」
「思ふことを思ひやるにぞ思ひくだく思ひにそへていとゞ悲しき」
(あなたの思いを思いやってさまざまに心配して、それが私の心に加わっていっそう悲しいことです)
詞書「など申し上げた返事、さすがに嬉しいとのことをいって、「今はただ身の上も今日明日のことなので、重ね重ねすっかり思いあきらめてしまった心地である」」
「「心を込めてこの度だけは返事をしよう」とあって」
「思ひとぢめ思ひきりてもたちかへりさすがに思うふ事ぞおほかる」
(思いを断ち、思い切っても、また元通りになって、さすがにものを思うことは多いものです)
「今はすべてなにの情もあはれをも見もせじ聞きもせじとこそ思へ」
(今はもう、どんな同情も愛情も、見もすまい聞きもすまいと思っているのです)
「あるほどがあるにもあらぬうちに猶かく憂きことを見るぞ悲しき」
(生きているうちが生きていないようなこの世にあって、なおこのようなつらいことを見るのは悲しいことです)
詞書「とあったのを見た気持ちは、いっそう言葉にしようがない」
「前回、紹介した資盛さんの手紙があって・・・また、資盛さんから手紙が来たみたいで、それで歌を返した右京大夫さん・・・ということなんだね」
と、タケル。
「それは心乱れるでしょうね、右京大夫さん・・・言いたいことはたくさんあるんでしょうけれど、何を言っていいやら・・・ただ現実だけが虚しい感じです」
と、レイカ。
「それでも、言葉のやりとりが出来て・・・資盛さんもどれだけ元気づけられたか・・・ただ、兄弟達の悲運も悲しく受け止める余裕すらない感じの資盛さんだね」
と、タケル。
「もう、この世に絶望している感情が伝わってきて・・・わたしも右京大夫さんと同じように言葉にしようがありませんね・・・」
と、レイカ。
詞書「翌年の春、まことに(資盛が)この世の外の身になってしまったと聞いてしまった。そのときのことは、ましてや何と言うことができようか」
「みなかねてから思っていたことだが、ただ呆然とだけ思われた。あまりにせき止めかねてこぼれる涙も、一方では傍の人々に対しても遠慮しなければならぬので」
「何とか人は思うだろうが、気分が悪いと言って、衾をひきかぶって寝て暮らすばかりで、心のままに泣いて過ごした」
「どうかして忘れようと思うが、意地悪くも面影は目の前にちらつき、(資盛の)言葉を現に今聞くような心地がして、身を責めて、悲しみを言い尽くすことができない」
「ただ寿命で亡くなったなどと聞くことでさえ、悲しいことだと言いも思いもするが、この悲しみは何を類例としたらようにだろうかと、何度も思われて」
「なべて世のはかなきことをかなしとはかゝる夢みぬ人やいひけん」
(世間一般では死ぬことを悲しいというが、それはこのような夢としか思えないような堪え難いことに遭ったことのない人が言ったのであろう)
「とうとう来るべき日が来てしまった感じだね。資盛さんもとうとう逝ってしまった・・・右京大夫さんも・・・夢としか思えないような耐え難い思いだろうね」
と、タケル。
「右京大夫さんの気持ちが痛い程わかります・・・その日が来ることはわかっていたのに・・・来たら呆然とする・・・それしか、か弱い女には出来ませんよ」
と、レイカ。
「うーん、やはり、長く右京大夫さんの言葉に接してきたから、こちらまで、平家の没落を追体験しているようで・・・心が重いね」
と、タケル。
「確かにそうですね・・・右京大夫さんの心の動きがビビットにわかるから・・・同じ女としてつらいですわ」
と、レイカ。
「今日は飲もう・・・少しこの仕事を忘れたい・・・」
と、タケル。
「ええ、わたしも今日は飲みます。徹底的に」
とレイカは立ち上がり、赤縁のメガネを取り、髪を解いた。
(おしまい)
えー、長くこの「建礼門院右京大夫集」を見てきましたから、
資盛さんの死は、ある種、クライマックスなのかもしれませんが、
心が重いですね。
時を越え、右京大夫さんの悲しみが伝わり・・・平家の没落を横で追体験しているみたいです。
でも・・・そういう経験こそ、必要なのかもしれませんね。
日本人はそこから這い上がってきたのだから。
いつの時代も。
ではでは。