「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

第三十三回 乙女通信 「尚之助との再会」

2013年08月25日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
大河ドラマ「八重の桜」感想 乙女通信

「「男性大河ファン」の直感的で素直な感想」

●さらば川崎尚之助!八重さんの夫であったことは、私の誇りです!それしか言えないんだよね!それが男!政治家とは、巌のようでなければならない!今、日本に新たな時代が来ようとしている!覚馬がそれをやるのだ!

おはようございます。第三十三回 「尚之助との再会」のレビューとなりますねー。

まあ、尾羽打ち枯らした男とかつての妻との再会・・・まあ、似たような境遇を僕も経験したことがありますが、尚之助の気持ちが痛い程わかりますねー。

彼にはもう男の矜持を保つことしか、出来ないんです。もう、彼には何も残っていない。だから、男のプライドを守る、八重さんを放流してあげることしか、

彼には出来ることはない・・・運命というのは、時に残酷です。彼には妻を養うことすら、出来ないでしょう。

そういう厳しい境遇での再会がいかに男の気持ちを傷つけるか・・・それでも、尚之助は最後まで尚之助でしたねー。

というか、二人共どうすべきかは、最初からわかっているんですよ。八重にしたって、

「妻じゃなくていいから、世話をさせてくれ!」

と言うくらいしか、出来ないことは、わかっているんですね。

お互い、もう一緒に住めないことは、わかっているんです。最初から。

でも、八重さんも、ああ言ってあげることが、必要だった。

ああ言って・・・それでも聞き届けられないことは、わかっていても、最後のやさしさを八重さんは尚之助に届ける必要があった。


男と女というのは、時に哀しいもので・・・答えがわかっているのに、それでもやさしさを贈らねば気が済まない・・・それが男と女のストーリーなんですね。

尚之助の立場からすれば、それを言ってもらっただけでも、ありがたい、という気持ちがある。

だから、八重の夫だった、という事実を自分の誇りだと・・・そういう言い方になるんですねー。


3000両という借金は、自身の再興という気持ちを男から失わせるのに、十分な金額です。

彼は自分が八重の人生にもう関わってはいけないことを知っていたんですよね。

だから、八重の夫だった過去だけが、彼のプライドの拠り所になる。

あとは、八重の人生から消え去り、別の場所にソフトランディングすることだけが・・・彼の今後の人生の課題になるんですねー。


すべては運命の成せる技・・・というとキレイな言い方ですが、尚之助にしてみれば、どうしてこんなことになってしまったのか・・・そういう思いでしょうねー。

だから、彼は泣いた・・・どうすることも出来ない自分に、思い切り泣いたんです。

八重も、どうすることも出来ない自分に泣いた・・・でも、思うけど、八重さん程の女性を妻に出来るってのは、やっぱり誇りですよね。


結局、男の価値というのは、もちろん、その成した仕事によって評価されるものですが、どんな妻を娶ったかによっても評価されると思います。

どんな女性に愛されたのか・・・ここにこそ、男性の真価というのは、表現される・・・そう思いますねー。

そういう意味では、川崎尚之助は、確かに一級品の男だったんですねー。


どんな女性に愛され、どんな女性に助けられているか・・・そういう意味では、覚馬は、素敵な女性達に助けられている。

みねもいい笑顔をしていたし、時栄さんも家事のしっかり出来る素敵な女性だし、相手を思うやさしさに溢れている。

母の佐久さんも、嫁とうまくやれているし、しあわせのカタチがここにあるなあって、思いますね。


考えてみれば、皮肉ですよ。覚馬も、尚之助も、能力としては、それ程違いはなかった。

尚之助は、幕末の会津藩で、頭角を表したばかりに、3000両の借金を背負ってしまった。

片や、覚馬は、戊辰戦争の間、薩摩藩に囚われ、目の光すら失った。


それを考えると、覚馬と尚之助の違いはなんだったんだろうと思わず考えてしまいますね。

覚馬は、藩という考えに固執すること辞めた。しかし、尚之助は、斗南藩の為に自分を捨てた・・・結局、その違いに帰結するんですよね。この物語では。


何かの為に、身を捨てることは絶対にするな・・・この物語はそれを僕らに教えてくれます。


自分に価値を作りこめば・・・いつか、その価値に気づいてくれる人達が現れる。

自分の価値を作りこめば、いつか、その価値を愛してくれる人たちが現れる・・・覚馬の今のしあわせな状況は、そうやって生まれてきたものなんですねー。


価値のある人間とは、価値のある人間こそが、理解するものです。

だから、価値のある人間は、お互いの価値を理解しながら、一緒に仕事をしていくカタチになるんですねー。


そういう意味では、覚馬と槇村というパートナーシップは、お互いがお互いを利用しながらも、無くてはならない存在なんですよね。

だから、覚馬は、槇村を助けに遠く東京まで行くわけです。


しかし、今回おもしろかったのは、槇村の維新の元勲達に対する解釈ですね。

「彼らは徳川幕府を倒してくれた恩人だ。しかし、彼らは壊しただけだ。新たな日本を作り上げたわけじゃない」

つまり、言外に、

「壊すくらい誰にでも出来る。新たな日本を作り上げることこそ、自分たちの役目なんだ」

と、言っているんですね。それが出来るのは、自分たちだけだ・・・と。


その言葉を聞いた上で、維新の元勲達に会いに行く、八重と覚馬なわけで、槇村赦免をお願いすると、木戸孝允が、

「佐賀藩の江藤新平に頭を下げるわけにはいかない。長州藩の悪しき前例になる」

と言い捨てるあたり、おもしろくて、

「あなた達は藩を破壊しておきながら、まだ、その藩に固執するのか」

と、覚馬に皮肉を言われるあたり、ちょっと笑っちゃいましたね。

維新の元勲達は、未だに藩閥政治をしているわけですからね。

会津藩出身で京都再生にかけている覚馬にすれば、そりゃ滑稽だったでしょうねー。

だから、八重の

「岩倉様はどこを向いているか、わからねえ」

というセリフにつながってくる・・・どこを向いて、日本の政治をしているか、わからねえ・・・それを表現したんでしょうね。

実際、征韓論さわぎの最中ですから、薩摩に至っても、大久保と西郷の間にも亀裂が入っている。


というか、征韓論に押されて、天皇に奏上しない手で逃げていた三条実美公が、江藤新平らに決断を迫られて人事不省になる・・・おのお約束のシーンが見られて、

楽しかったですねー。いやあ、三条実美さん、上手いですよねー。さすがに・・・。

もう、楽しくてしょうがありません。あのシーンは征韓論の話になると決まって出てくるシーンですからね。


さすが三条実美さん、やりますねー。あのうろたえぶりは最高でした。やっぱり、三条実美さんは、ああでなくては(笑)。

そして、ふてぶてしさでは、一枚も二枚も上の岩倉卿・・・征韓論は奏上するが、延期しろという自分の意見も合わせて奏上する・・・さすがの岩倉です。

彼のふてぶてしさには、板垣退助も江藤新平もどうにも手が出ないわけで、政府は分裂しちゃうんですねー。

三条実美と岩倉の対比がおもしろかったですよねー。うん、十分楽しめました。


征韓論の本質というのは、大久保、岩倉ら、非征韓論派の主張は、

「戦争する金もないし、日本国内がまだまだ、安定していないこの時期に外征など、もっての外」

という極めて合理的な判断です。

それに対して征韓論派の主張は、

「維新を中心になって推し進めてくれた士族に対して、今の政府の士族削除とも言える政治は苛烈すぎる。彼らの功に報いる為にも、彼らの不満を征韓することで」

「ガス抜きを図り、日本国内に充満する不平不満を沈静化させる」

という、国内問題を外征することで、なだめる、という極めて不合理な発想と言えるでしょう。


だいたい金が無いのに戦争なんて出来ないでしょ・・・という問題がまず大きくありますからね。

だいたい征韓論なんて、武士の不満をガス抜きするための発想であって、本質的解決には、なりません。

だから、国の取る政策としては、発想からして、幼稚と言わざるを得ませんね。


西郷は自分を全権大使として、渡韓させ、彼の地で自分が殺されることで、征韓のきっかけとする案を持っていたと言われていますから、

そんなことしたら、収拾がつかなくなります。


まあ、かなり乱暴な政策だと言えると思いますねー。

ですから、今の僕の立場で言えば、大久保岩倉の立場を支持する立場になりますねー。

実際、この案の根源にあるのは、士族の持つ負のエネルギーをどう処理するか、という課題なんですよね。

実際、明治4年から、日本の各地に日本陸軍の鎮台が置かれています。

これは、外征用の組織ではなく、あくまで、日本国内での武力蜂起に対する鎮圧組織であり、日本政府が士族の負のエネルギー対策として、

設置した組織であることが明白なんですねー。


あくまで、それこそが法治国家としての合理的な対応策であるし、外征してガス抜きなんて発想は、法治国家として甚だ恥ずかしい発想だと僕は思いますねー。

というかそれは西郷の人としてのやさしさから来ているんだと思います。

実際に彼は士族の窮状を肌で感じていたんでしょう。


ただ面白いのは、この征韓論は、大久保達が外国を視察している間に留守政府によって提出された案なんですよね。

法治国家としての列強のありようを肌で感じてきた大久保達からすれば、その案は到底受け入れがたし、と感じたはずです。


欧米列強の進んだ文明を肌で感じてきた人間と、士族の窮状を肌で感じている人間達の発想の違いが、征韓論論争を生んだと言えるんでしょうね。やはり。


政治というのは、時に苛烈な処理も必要になります。大久保のように巌のような冷たさが政治には必要だと僕は思いますね。

西郷は政治をやるには、優しすぎた・・・僕はそう思います。たとえ一人になっても、どんなに非難されようと、巌のようにただ結果求めていくのが、

優れた政治家だと、僕は思っていますねー。


そういう意味では、大久保利通は、日本の傑出した優れた政治家のひとりだと僕は思いますね。


さて、話を覚馬、と八重に戻しましょう。

覚馬にすれば、京都をどう再生させるか、こそが課題ですから、使えるモノは何でも使う意識だったでしょう。

かつての会津藩の敵、岩倉にも親炙する・・・長州の木戸をも利用する・・・まあ、八重は少し反応していましたけどね。かつての敵!的に。

まあ、覚馬にしてみれば、司法卿、江藤新平が失脚して、槇村が戻ればそれでいいわけです。

そして、川崎尚之助の居場所も探しておく・・・さすが覚馬ということになるでしょうか。


覚馬の生き方というのは、非常に、参考になりますねー。

というか、「八重の桜」には、毎回勇気をもらいます。

覚馬の生き方、八重の生き方・・・どちらにも背中を押される。


いずれにしろ、自分の中に価値を作ること・・・これに専念して、毎日を生きていこうと思いますね。

もちろん、自分の感情も他人の感情も楽しくしながら、ね。


●わたすが女紅場を守る!二人の男なんて、軽くひねる八重さんは、すっげーつええ!人間活躍の場を与えられれば強くなる!この子達を守るためにわたすは強くなる!さすが八重さんです!

さて、女紅場の舎監となった八重さんですが・・・八重さんは、目標を持つと、決然と歩いていくひとですよね。

怖いもの無し、というか、槇村のところに乗り込んでいく八重さん・・・男二人を軽々と投げ飛ばしたりしていましたよ(笑)。

あれには、笑いましたねー。あれじゃあ、もう、誰も止められない・・・ちょっとあれには笑いましたねー。


女紅場は、無料で女性に教育を施すところだったんですね。

そうでなければ、女性に教育を与えることが出来なかった・・・まあ、いかに先進的な教育だったかがわかりますし、覚馬の発想のすごさがわかりますねー。

八重さんも、頼られるとすごい力を発揮しますね。


まあ、槇村も八重には勝てない・・・というか、八重の言うことは、正論だし、正論だからこそ、ぐいぐい押してくるんですね。

最も税収はあまりないでしょうから・・・槇村みたいな豪腕なやり方が正攻法になっているんでしょうね。あの時代・・・。

それをやらなければ、何も出来ない時代・・・だからこそ、槇村の自負、

「俺達が新しい日本を作り始めているんだ」

につながってくるんですね。


人間ってのは、自分の活躍の場を与えられて、頼られると、勇躍して、働くもんです。


そういう意味では、八重の立場と槇村の立場は、似ているんですね。

「自分こそがこの仕事が出来るんだ」

そういう自負を持っているからこそ、勇躍して活躍出来る。


でも、それを言ったら、大久保だって、自分なりの確信があるからこそ、ああいうあり方になっていく。

もちろん、西郷だって、自負があるから、大久保と対立する・・・自分に自信があるからこそ、そういう生き方になっていくんですね。


八重さんは、女紅場の女性たちを守ることに自分の価値を見出した。

だから、ハンサムガールになっていくわけですよ。

しかし、まあ、楽しくなってきましたね。


覚馬の家で、八重さんがくつろいでいるシーンがありましたが、皆充実した笑顔で、みねの笑顔なんかも見れて、充実した日々を感じられて、

楽しくなってきますねー。


まあ、八重さんも尚之助様と別れて・・・ま、今回は、新島襄との出会いのための別れですからねー。

そうとらえて、前向きに生きていきましょう。


政府の混乱をよそに、京都は文化都市として、発展していく、

なんか、おもしろくなってきました。


また、今日が楽しみになりますねー。


今週の喜び

やはり、平和ってのは、いいなって、本当に思いますねー。

先月のあの会津戦争あたりの話の頃は、ひりつくのような思いばかりしていましたが、

やはりモノを作っていく話は、いいですよ。

維新の元勲達は、モノを壊しただけ・・・この言葉はよく理解出来ます。

新たにモノを作っていくということは、0からの出発になるし、それこそ創造力が問われますからねー。


でも、作っていくという事は、結果になっていくわけで、うまく行くとこれほど楽しいことはありません。

まあ、そういう意味では、こうやって言葉を作っていく作業も超楽しいですけどね。


しかし、この乙女通信は、ほんとに労力を使うので、日曜日の朝に書く以外、今のライフスタイルでは、ちょっと無理です。

まあ、平日は仕事もありますからねー。

これ、書くの・・・2時間くらいかかりますからねー。

ま、でも、真剣に書いていますけどねー。

なんか、毎週、卒論を執筆しているような、そんなイメージがありますね。


さて、話を戻せば・・・槇村や覚馬は非常に先進的な都市づくりをしているわけで、確かに日本はまだひよこなわけです。

京都が現在文化都市だと言われる元を作ったのが、この覚馬槇村コンビだったとは、僕は知りませんでしたけど、

企業だって、京セラを始めとして、非常にユニークな企業が京都に集まっていますよね。


その元になったのが、覚馬の発想、槇村の果断だったんだから、どうしてもこれからを期待しちゃいますねー。

まあ、それに次回は、山川浩さんや、佐川官兵衛さんなんかの懐かしい面々も出てくるようですから、楽しみですねー。

もちろん、新島襄も出てきて・・・なんか年表的には、電撃恋愛、電撃結婚みたいな感じ?それもおもしろそうです。


大河ドラマには、よくあるパターンで、突然恋愛に落ちるのは、よくある話ですよねー。


「龍馬伝」では、今は時尾さんをやっている、おさなさんが、龍馬に電撃的に恋に落ちていたし・・・懐かしいなあ。

というか、世間はきな臭くなっていくんでしょうね。西南戦争に向かって・・・そのあたりもおもしろそうです。


結局、誰もが、自分の信じた道を歩いていくから、出会いもあるし、別れもある、ということでしょう。


でも、僕的には、覚馬に背中を押されますね。

ある意味、理想的な結婚風景じゃありませんか。

やさしい時栄さんを娶り、家族関係をうまくやるお母さん、満ち足りた表情のみね、そして、便りになる八重・・・あの風景こそ、しあわせのカタチ・・・そう見えます。


人は自分の中に価値を作りこめば、やがて、その価値に気づいた人が集まってくる。

活躍の場を提供してくれる。

その価値を愛してくれるひとが、愛してくれるし、協力してくれる。

人生とは、そうあるべきなんでしょうねー。


覚馬が、そして、八重がそれを教えてくれます。


自分を決して捨ててはいけない。

今回、川崎尚之助さんに、それを教わりましたね。

川崎尚之助さん、お疲れ様でした。

いろいろ見せてもらいましたよ。人生とは、生き方とは・・・いろいろ教わりました。


大河ドラマだからこその醍醐味ですねー。

うん。今回も為になりました。

僕らもモノを作りながら、自分の正しいと踏んだ道を歩いていきましょう。

しあわせなカタチを求めて。


ではでは。


今週のあれ、どうなん?
この大河ドラマは一瞬だけ出てくる偉人が多いですよね。今回は佐賀の乱でお馴染み、司法卿、江藤新平さんでした。銀ちゃんこと、山崎銀之丞さん、よかったねー。

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