おはようございます。
えー、今日も雨!ということですが、
うーん、今の時間帯は、止んでいるみたいですね。
なんとなく明るくなってくる、朝は、とても、気持ちがいいです!
最近は、4時を過ぎると、白々と明けてくるんですよね。
まあ、静かだし、この時間が一日のうちで、一番好きかもしれないですねー。
さて、本来であれば、「江」記事である、プリプリ通信を書かなければいけないところなんですが、
どーも、今週は、視聴する気になれません。
まあ、徹夜仕事があったり、いろいろあったおかげでもあるんですが、
ある大きな事件が起こって、その影響で、精神的に参っている・・・というのが、実情です。
ですから、その事件について、記事にしたいと思います。
2011年5月9日。
26歳の、ひとりのプロ・サイクリストが死にました。
ジロ・デ・イタリア、第3ステージ、ボッコ峠をダウンヒルしている中、縁石に顔から突っ込み、亡くなったのでした。
その選手の名は、ワウテル・ウェイラント。
ベルギー自転車界の将来を嘱望された、エリート選手でした。
映像では、事故の様子は流れませんでした。
というより、あまりに事故が悲惨だったためか、普段なら落車の様子を映すはずのカメラもなかなか近づかなかったのです。
「落車があったようだ」
という雰囲気を告げる映像。車が止まっている向こう側で、人々が動く姿が見える。
そして、一瞬だけ、選手の映像が見えた時、僕は息を飲みました。
鼻から血を流した、顔面蒼白の選手のその映像は、一度見ただけで、
「これは、やばい!」
と思わせる映像でした。
そして、ヘリから見た遠い映像で、医師と見られる人間が、心臓マッサージをしている影が、うっすら見えました。
「ってことは、心臓が動いていない!ってことじゃないか!」
僕はその映像を見ながら、そう叫んでいました。
その事故の記事が、次のように、アップされています。
僕がこの選手を知ったのは、昨年のジロ・デ・イタリア、奇しくも、同じ、第3ステージのことでした。
昨年のジロは、オランダ・スタートで、第3ステージも、風のすごい中、相当タフなレースが展開されました。
世界的なスプリンター達が、足を使い過ぎて失速する中、ワウテル・ウェイラント選手は、優勝したのでした。
「タフなレースに強い、スプリンターだ。こいつは、大物に化けるかも」
僕はそう思いながら、うれしそうに、両手をあげるワウテル・ウェイラント選手の笑顔を見ていました。
がっしりとした身体と、頼りがいのある男の表情。
女性なら、こんな男性に、お姫様抱っこをしてもらいたいのでは、ないでしょうか。
気さくな人柄だったようで、多くの友人に愛されたようです。
そのウェイラント選手が、今年の、ジロの同じ第3ステージで、亡くなったのです。
近年のサイクルロードレースの歴史の中で、レース中に死亡した選手は、95年のツール・ド・フランスで、落車して亡くなったカザルデッリ選手だけでした。
昨年のツール・ド・フランス、彼の落車した場所を通ったプロトンは、その記念碑の前で、皆スピードを落とし、十字を切り、敬意を表しました。
そのシーンを僕は印象的に覚えています。
そのころは、ヘルメットの着用義務がなかったんです。
落車して頭を打って死んだカザルデッリ選手の事故があったからこそ、ヘルメットの着用義務ができた、と言っても過言ではありません。
それなのに、また、サイクリストが死んでしまった。
もちろん、ヘルメットは被っていましたが、顔を強打したことが、死につながったのです。
日本人の別府史之選手は、その状況を近くで見てしまったそうです。
プロトンでよくしゃべっていた相手だったこともあり、彼は、ショックを受けているようです。
いや、そんなの当たり前だよね。
僕もショックでした。
彼の笑顔を思い出す度に、胸がしめつけられる思いです。
同じサイクリストして。
同じ喜びを感じていた人間として。
ジロ・デ・イタリアの第4ステージは、ウェイラント選手の死を、全員が悼む日となりました。
ノーコンテストとなり、レースではなく、ウェイラント選手のために、スタートからゴールまで、祈りながら走ることになったのです。
各チームが代わる代わるプロトンを引き、最後、彼の所属していたレオパード・トレックの選手達が、横に一列となり、ゴールしました。
ウェイラント選手と兄弟のように、仲の良かった、世界的スプリンターのタイラー・ファラー選手も、その列に連なりました。
皆、泣いていました。
僕もそのシーンを見ながら、泣きました。
彼には、これから生まれてくる子供もいたそうです。
同じ男として、無念だったと思います。
今回の第3ステージも、タフなコースで、ウェイラント選手は、
「今日のコースは、自分向きだ」
と思っていたに違いありません。
「昨年の第3ステージで、勝てたのだから、今日もきっと・・・」
そう思っていたと思います。
それが、こんな結果になるとは・・・。
それでも、ジロは、続きます。
亡くなったウェイラント選手も、それを望んでいるに違いありません。
彼の死を無駄にしないためにも、自転車の怖さをしっかりと理解しながら、
自転車を、人生を輝かせるツールにしていかなくては、ならないのです。
彼のためにも。
(レオパード・トレック・チームと、タイラー・ファラー選手は、ジロ・デ・イタリアの以後のレースを辞退しました)
えー、今日も雨!ということですが、
うーん、今の時間帯は、止んでいるみたいですね。
なんとなく明るくなってくる、朝は、とても、気持ちがいいです!
最近は、4時を過ぎると、白々と明けてくるんですよね。
まあ、静かだし、この時間が一日のうちで、一番好きかもしれないですねー。
さて、本来であれば、「江」記事である、プリプリ通信を書かなければいけないところなんですが、
どーも、今週は、視聴する気になれません。
まあ、徹夜仕事があったり、いろいろあったおかげでもあるんですが、
ある大きな事件が起こって、その影響で、精神的に参っている・・・というのが、実情です。
ですから、その事件について、記事にしたいと思います。
2011年5月9日。
26歳の、ひとりのプロ・サイクリストが死にました。
ジロ・デ・イタリア、第3ステージ、ボッコ峠をダウンヒルしている中、縁石に顔から突っ込み、亡くなったのでした。
その選手の名は、ワウテル・ウェイラント。
ベルギー自転車界の将来を嘱望された、エリート選手でした。
映像では、事故の様子は流れませんでした。
というより、あまりに事故が悲惨だったためか、普段なら落車の様子を映すはずのカメラもなかなか近づかなかったのです。
「落車があったようだ」
という雰囲気を告げる映像。車が止まっている向こう側で、人々が動く姿が見える。
そして、一瞬だけ、選手の映像が見えた時、僕は息を飲みました。
鼻から血を流した、顔面蒼白の選手のその映像は、一度見ただけで、
「これは、やばい!」
と思わせる映像でした。
そして、ヘリから見た遠い映像で、医師と見られる人間が、心臓マッサージをしている影が、うっすら見えました。
「ってことは、心臓が動いていない!ってことじゃないか!」
僕はその映像を見ながら、そう叫んでいました。
その事故の記事が、次のように、アップされています。
僕がこの選手を知ったのは、昨年のジロ・デ・イタリア、奇しくも、同じ、第3ステージのことでした。
昨年のジロは、オランダ・スタートで、第3ステージも、風のすごい中、相当タフなレースが展開されました。
世界的なスプリンター達が、足を使い過ぎて失速する中、ワウテル・ウェイラント選手は、優勝したのでした。
「タフなレースに強い、スプリンターだ。こいつは、大物に化けるかも」
僕はそう思いながら、うれしそうに、両手をあげるワウテル・ウェイラント選手の笑顔を見ていました。
がっしりとした身体と、頼りがいのある男の表情。
女性なら、こんな男性に、お姫様抱っこをしてもらいたいのでは、ないでしょうか。
気さくな人柄だったようで、多くの友人に愛されたようです。
そのウェイラント選手が、今年の、ジロの同じ第3ステージで、亡くなったのです。
近年のサイクルロードレースの歴史の中で、レース中に死亡した選手は、95年のツール・ド・フランスで、落車して亡くなったカザルデッリ選手だけでした。
昨年のツール・ド・フランス、彼の落車した場所を通ったプロトンは、その記念碑の前で、皆スピードを落とし、十字を切り、敬意を表しました。
そのシーンを僕は印象的に覚えています。
そのころは、ヘルメットの着用義務がなかったんです。
落車して頭を打って死んだカザルデッリ選手の事故があったからこそ、ヘルメットの着用義務ができた、と言っても過言ではありません。
それなのに、また、サイクリストが死んでしまった。
もちろん、ヘルメットは被っていましたが、顔を強打したことが、死につながったのです。
日本人の別府史之選手は、その状況を近くで見てしまったそうです。
プロトンでよくしゃべっていた相手だったこともあり、彼は、ショックを受けているようです。
いや、そんなの当たり前だよね。
僕もショックでした。
彼の笑顔を思い出す度に、胸がしめつけられる思いです。
同じサイクリストして。
同じ喜びを感じていた人間として。
ジロ・デ・イタリアの第4ステージは、ウェイラント選手の死を、全員が悼む日となりました。
ノーコンテストとなり、レースではなく、ウェイラント選手のために、スタートからゴールまで、祈りながら走ることになったのです。
各チームが代わる代わるプロトンを引き、最後、彼の所属していたレオパード・トレックの選手達が、横に一列となり、ゴールしました。
ウェイラント選手と兄弟のように、仲の良かった、世界的スプリンターのタイラー・ファラー選手も、その列に連なりました。
皆、泣いていました。
僕もそのシーンを見ながら、泣きました。
彼には、これから生まれてくる子供もいたそうです。
同じ男として、無念だったと思います。
今回の第3ステージも、タフなコースで、ウェイラント選手は、
「今日のコースは、自分向きだ」
と思っていたに違いありません。
「昨年の第3ステージで、勝てたのだから、今日もきっと・・・」
そう思っていたと思います。
それが、こんな結果になるとは・・・。
それでも、ジロは、続きます。
亡くなったウェイラント選手も、それを望んでいるに違いありません。
彼の死を無駄にしないためにも、自転車の怖さをしっかりと理解しながら、
自転車を、人生を輝かせるツールにしていかなくては、ならないのです。
彼のためにも。
(レオパード・トレック・チームと、タイラー・ファラー選手は、ジロ・デ・イタリアの以後のレースを辞退しました)