YUKI

言語、言語で表現できることすべて

キミの望みは全て叶うのか

2009-02-21 19:09:18 | Weblog
HeyHeyHey石川ひとみの「まちぶせ」は
中川翔子が単独で歌うことはなく
サビの部分を本人とコーラスしてますた。

溜池Nowでサンバルカンを串田さんと
まさにデュエットしたのに続く、本人と!の夢実現。

石川ひとみは年齢的には桂子と同世代というか
母親でもおかしくないんだねぇ…

80年代リスペクトを芸風?にしていることもあって
普通なら考えられないことが実現できてしまう。

しょこたんブログにも石川ひとみがしっかり出てます。

「キミの望みは全て叶うのか」

松本が言ってたこと、あながちジョークではない。

今年の紅白だって、昨年の基準からいけば
オリコン1位または売り上げ10万枚で有資格者なわけで
グレンラガン劇場版「螺巌編」の出来いかんでは
あっさりクリアするかもしれない。

そうなれば…NHKも今年は出さないわけには行かないでしょう。

問題は、全国ツアー明けの5月以降、運気がガラリと変わるという
ゲッターさんの占いなんだが…
それまでに実力と人脈を貯めこんどくことが肝要。

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南野陽子の哀愁

2009-02-21 18:26:09 | Weblog
南野 陽子(本名同じ、1967年6月23日 - )血液型はB型。左利き。

経歴を見ると、そんなに「哀愁」があるわけではないのです。
今も「現役」と言っていい。

************************
神戸市の私立松蔭高等学校在学中にオーディション合格。
高校2年の夏に上京、堀越高等学校に2学期より編入。
同級生に本田美奈子.・岡田有希子・森奈みはる。

1984年、日本テレビ系ドラマ『名門私立女子高校』でデビュー。
1985年6月に「恥ずかしすぎて」で歌手デビュー、アイドル歌手としての活動も開始。

1986年にはフジテレビ系ドラマ『スケバン刑事』シリーズ
第2作『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』の主役を演じ一躍ブレイク…

1992年、映画『寒椿』で初ヌードを披露。
続いて主演映画『私を抱いて、そしてキスして』でもヌードに。
両二作での演技が評価され、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。

2007年4月~フジテレビ系『笑っていいとも!』の水曜日レギュラー
『笑っていいとも! 特大号』で にしおかすみこ のものまね

2008年4月~木曜日へ移動し現在レギュラー出演中。
『笑っていいとも! 特大号』で 鳥居みゆき のものまね

☆   ☆    ☆

当初エスワン・カンパニーに所属

サザンフィールド(“南野”の英訳 <個人事務所>)

スイートベイジル

ケイダッシュ(1999年~)
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アイドル時代は、生意気なトラブル・メーカーという一面もあったようですが…

親友である 岡田有希子 や 本田美奈子 の死に直面し号泣。

月曜ドラマランド(フジテレビ) 「時をかける少女」(1985年11月4日)
では白血病で夭逝した 中川勝彦 と共演…
『笑っていいとも』に中川翔子が出た時は、
南野の方から声をかけてくれたと、しょこたんブログにあります。

彼女、男運がないようで
ゴミ箱に捨てられたり、DVに遭ったり…
アラフォーで未婚なんだよねぇ。

それをネタにした 鳥居みゆき のものまねには 哀愁が…

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樹木希林の憂鬱

2009-02-21 17:27:20 | Weblog
樹木希林(1943年1月15日 - )は、いい女優だと思うのだが…
?と思うことがいくつかあった。

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1977年、日本教育テレビ(NETテレビ)から
テレビ朝日への会社名称変更時に放送された
特別番組『わが家の友達10チャンネル』の中のオークションコーナーで、
売る物が無いという事で自身の芸名「悠木千帆」を競売にかけた。
名前は2万2千円で世田谷の飲食店店主に売却され、その後樹木希林に改名。
ちなみに売却された旧名は2004年にある女優に譲渡された。
*********************

東京神田出身。文学座在籍時に岸田森と結婚するが、後に離婚。
その後、内田裕也(ロック歌手)と再婚し、
間に娘・内田也哉子(エッセイスト、本木雅弘夫人)がいる。

この内田裕也と再婚というのが2番目の?
そして娘が本木雅弘と結婚したのが3番目の?

夫の内田とは長期間別居中…
これは、納得ですねぇw

☆   ☆   ☆

2月20日11時4分配信 産経新聞
「樹木希林、死意識して対面を決意 夫婦の戦いにピリオド」
これは興味深い記事でした。

それによると…

昭和56年:内田裕也、無断で区役所に離婚届を出す。
離婚無効の訴訟を起こし、裁判で争う。
離婚は無効になり、籍は戻る。
連絡を取るのは1年に1回だけ。

平成17年:乳がんの手術を受ける。
「納得のいく死」を意識したとき、長年、別居していた夫と向き合おうと決意。

知人に食事の席を設けてもらう。
仲介者には「けんかごしで謝っている現場を初めて見た」と言われる。

その後、別の知人が、飲食店で、ものすごく機嫌のいい裕也さんと会ったらしい。
それから月に1度、会うようになり、長い夫婦の戦いは終わる。

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元気なうちは分かりあえなかったけれど、お互いに病気して、
体力がなくなっちゃったから通じあうようになったんだろうね。
私は15年に網膜剥離(はくり)になって、裕也さんも同じころに目の病気を経験して。
それから私が乳がんになって、お互いに“老老介護”が必要になったのね。



乳がんの手術後、毎年1月には、裕也さんと一緒にハワイで過ごすようにもなりました。
真珠湾では必ず手を合わせる。そこにも一緒に手をつないでいく。
毎年、これが最後だなあって思いながらいくわけよ。
そんなに先が長いとは思えない。その覚悟はあるから。

私の出演した映画「歩いても 歩いても」について、
裕也さんが感想を言ってくれたこともありました。
「一般料金で映画館で見たぞ」だってさ。シニアの料金で見ればいいのにさ。
そんなところで頑張るんだよね(笑)。



死に向けて行う作業は、おわびですね。
謝るのはお金がかからないから、ケチな私にピッタリなのよ。
謝っちゃったら、すっきりするしね。がんはありがたい病気よ。
周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。
ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、
その人との時間は大事でしょう。そういう意味で、がんは面白いんですよね。
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wiki によれば、「熱心な法華経徒」で、希心会という教団の信徒。
確かに仏教的な達観…なんでしょう。

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10冠“贈られた”「おくりびと」…日本アカデミー大賞
本木のまじめさに希林安心
ZAKZAK 2009/02/21

第32回日本アカデミー賞授賞式が東京都内で開かれ、
13部門で優秀賞に選出されていた「おくりびと」(滝田洋二郎監督)が、
作品、監督、主演男優、助演女優など最優秀賞10冠。
「おくりびと」がたっぷりと“贈られる”夜となった。

葬儀の際に遺体をひつぎに納める「納棺師」を演じて
最優秀主演男優賞に輝いた本木雅弘を、司会を務めた義母樹木希林が
「まじめなんで、私は安心して本木さんの扶養家族になっております」と
語って沸かせると、

本木は「まじめというのは役者としては情けなく、

役の何が大事か分からないから(役作りで所作やチェロを毎晩)練習していて…」と、
きまじめなスピーチ。

10冠決定後は、樹木が「私は安心して送られます」と言い、
最優秀助演男優賞の山崎努も「(本木を)予約しておきます」とニッコリ。
本木は「心を込めて送らせていただきます」と今度は恭しく返してみせた。
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