「ネクタイ」6月28日
最終金曜日の連載企画『「ロスジェネ」往復書簡』、作家雨宮処凛氏と法学者谷真由美氏の往復書簡です。今回は谷氏の番でした。谷氏は中学校時代の思い出を語る中で、次のように述べていらっしゃいます。
『毎日ずっと同じジャージの先生がいて、「制服はきちんと着るのが大切」と説く。そもそも、冠婚葬祭でも使える正装です。「正装の生徒たちを前にTPOどころではないジャージ姿とは何ごとですか?」「先生はカジュアルな服装が認められているのに、なぜ生徒には寸分たがわない制服を求めるんですか?」等々と詰めた私。「理不尽すぎる!」とプリプリなっておりました』。
法=校則へのこだわり、法学者の萌芽がうかがえます。それはともかく、この記述を読んで、私はこのブログでも再三登場させていただいた目賀田八郎氏のことを思い出しました。私に教員のイロハを教え込んでくれた目賀田氏ですが、特に印象に残っている言葉が、「教員にとって最も大切なのが授業だ。その大切な場に臨むのだから、僕はきちんとネクタイをしスーツを着て教室に入る。教員が授業のときに正装をしないでいつするのだ」という趣旨の言葉でした。
谷氏の思い出にあるように、教員と言えば、ジャージ姿であったり、Tシャツであったり、冬はセーターにジャンパーであったりすることが一般的です。私が教員になった頃もそうでした。学校中でネクタイをしている教員は私だけ、などという状態がめずらしくなかったのです。
同僚や先輩の教員からは、「何でそんな格好しているの」「見てるだけで暑苦しいから止めて」中には「見た目で真面目な先生ってアピールしてるわけ」などという人もいました。「そんな格好していたら子供と遊べないでしょ」という指摘には少し考えさせられましたが、そういう当人がサンダル履きで子供と一緒に走ることなどできそうもないことに気づき、無視することにしました。
もちろん、私の考え方が絶対的に正しいと決めつけるつもりはありません。私だって、体育のときには体操着ですし、遠足の引率時はラフな格好をしていましたし、理科の実験のときには汚れてもよい服に着替えたりしていましたから。
ただ、普段はサンダルにジャージ姿なのに、授業参観や教委の視察日などにはネクタイをする教員を見ていると、(参観の)大人には礼を尽くすのに子供に対しては、そうではなくてもよい、というある種の差別意識をみせられるようで、嫌な気分になったのです。
若い教員の皆さんは、子供の前に立つときこそきちんとした服装で、という考え方どう思うのでしょうか。古臭いですか。それとも考えてみたこともないのでしょうか。教員としての在り方を考える上で、結構大切な視点だと思うのですが。
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