ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

余人をもって代えがたし

2021-02-11 08:31:46 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「立派な人がそろっているのに」2月7日
 『森氏「説得受け辞意翻す」』という見出しの記事が掲載されました。東京五輪の大会組織委員会会長である森氏の女性蔑視発言後謝罪会見に至る舞台裏を暴く記事です。そこには、『武藤事務総長が言った「会長(辞任は)いけません」(略)遠藤利明会長代行からは、加藤官房長官や小池百合子都知事が心配しているとの報告も受けた』『一番こたえたのは武藤さんの言葉だったかな。「ここで会長が辞めれば、5000人の組織はどうなりますか」と詰められました』など、当時の情景が生々しく描かれていました。
 森氏の発言については、触れるのもばからしいほどのダメ発言ですので、ここでは触れません。私がこの記事から感じたのは、組織というものの在り方でした。5000人の大所帯、IOCをはじめとする諸機関との連絡調整・交渉、都や政府といった国内における調整など、組織委員会の運営は大仕事であることは分かります。だからこそ当初は、元首相であり、政権与党自民党の最大派閥清話会の元会長である森氏の「力」が必要であったというのも理解できます。
 しかし、森氏が会長となってからもう6年以上が経ちます。しかも組織委員会の実務を取り仕切る武藤氏は官僚のトップを務めた有能かつ豊富な人脈を持つ仕事人です。そして、遠藤氏は現役国会議員にして元五輪担当相を務めた人物です。お二人とも、ご自身が会長であっても少しもおかしくない人物です。
 それにもかかわらず、森氏がいないと組織が回らないというのは情けない限りです。森氏に辞意の撤回を迫ったのは、多少は森氏へのおべっかいという側面もあるでしょうが、実際に組織運営上の危機という認識があったからでしょう。どうしてこんなことになってしまったのかと考えるとき、権力も権威も一手に握った人物が牛耳る組織の危険性ということに思いが至ります。
 学校も、教委も、個人の持ち物ではありません。トップが変わっても、変わらずにその役割を果たしていくことができるようにしておくのが本当の責任ということです。私が教委に勤務しているときにも、トップの不在という緊急事態はいくつか経験しました。校長が新卒の女性教員へのセクハラで、年度末を控えた時期に諭旨免職してしまった事例。もっとひどいのは、校長が長年複数の10代少女に対する買春行為を繰り返していたことが発覚したケース。実はどちらの校長も個人的に知っている人でした。
 校長が逮捕されたからと言って、その日の授業をしないわけにはいきません。予定されている行事を中止にするわけにはいきません。その年度の教員の業績評価はなしにするということにすれば大きな不満が生まれます。
 教委においても、年度末の1月に要である指導室長が職員団体との話し合いのストレスで病気で倒れ不在になるということがありました。だからといって議会の開催が延期されるわけでもありません。急遽任命された新室長は、赴任後すぐに議会答弁に立ち、数百人に及ぶ教員の異動調整をやり遂げました。
 それらが可能になったのは、副校長や主幹、教委では指導室長や人事係長などのスタッフが、日頃から自分の職分を忠実にこなすとともに、もし自分が~だったらという意識で、仕事をシミュレーションしていたからでした。
 もちろん、学校や地方の教委と五輪組織委員会とでは規模もその仕事内容も大きく異なり、同列には論じられないことは分かっています。ただ、組織は個人に頼ることなく、常に新陳代謝できる体質をもつことが重要だと言いたいのです。あなたの学校はどうでしょうか。今○○さんがいなくなると困るから、といって不都合な出来事を隠蔽しなければならないような組織になってはいませんか。

 

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