ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

記憶が創る

2020-10-07 08:08:53 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「黒澤明監督の言葉」9月30日
 映像プロデューサー吉川圭三氏が、『記憶を養い創作の糧に』という表題でコラムを書かれていました。その中で吉川氏は、日本を代表する映画監督黒澤明氏の『今の人たちは基本的に本を読んでいない。(中略)それはやっぱり、ある程度は読んでおかないとね。なにもないところからは出て来ないよ。だから僕はよく「創造というのは、記憶である」というふうに言うんだけど、ほんとうにそう思いますよ』という言葉を紹介なさっています。
 そうなんですよね。黒澤氏は、「記憶」という言葉を使われていますが、「知識」でも同じ意味だと思います。創造というとき、多くの人が、ひらめきや感性、独自性というような言葉で説明しようとします。もちろん間違いではないのですが、無から有は生じない、のです。
 学校教育においても、もう30年以上、自分で考え自分なりに表現し~という教育の在り方が提唱されています。私も教育行政の末端でそうした考え方を説いてきました。しかし、この理念を表面的にしか理解せず、授業に臨む教員も少なくなかったのです。そんな彼らが授業で発する言葉が、「よく考えてごらん」「好きにやっていいんだよ」「他の人のことは気にしなくていい。自分らしさを大切にね」などでした。
 しかし、よく考えなさいと言われれば、「よく考え」ることができるというものではないのは、多くの大人が毎日の生活の中で痛感していることであるはずです。その分野についての基礎的な知識なしでは、いくら時間を与えられても何も考えられませんし、思考の枠組みを身に着けていなければ、何から手を付けていいか、どんな情報を手に入れればいいかさえ分かりません。
 私事ですが、指導主事になって初めて迎えた区議会の本会議、教育長の答弁書を書くように言われて、戸惑い、不安になり、何も手につかず、時間ばかり過ぎていき、泣きたくなった経験があります。議員の質問に対して、どの程度答えればよいのか、理想論を述べても予算等の関係で実現不可能かもしれないし、その場合教育長が苦境に立たされるかもしれません。先輩指導主事を見ていると、「この人、○○党だよね、野党ならこの程度だな」などと係長と確認しています。「えっ、与党と野党で答弁書の内容を変えるのか」と新たな疑問にぶつかり、立ち往生が続きます。実際、何も書けず先輩に書いてもらって、地獄のような時間が過ぎました。
 答弁書作成など、創造的な行為ではないと言われればそれまでですが、とにかく人は何らかの前提となる知識や経験、技能がなければ、意味のある行為は何もできないのです。
 しっかりと教えること、豊かな経験をさせること、これらを軽視した教育は成り立たないということを忘れてはなりません。
 

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