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ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

中国化を目指す

2020-10-08 07:36:38 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「中国化を目指す?」10月1日
 専門編集委員坂東賢治氏が、『モザイクか「るつぼ」か』という表題でコラムを書かれていました。その中で坂東氏は、『米国は「人種のるつぼ」と形容されてきた』ということを指摘したうえで、『今では「るつぼ」より「サラダボウル」の形容が好まれる。素材がそれぞれの味を保ちながら交じり合って新たな良さを出すという意味だろう(略)多文化主義のカナダでは「モザイク」や「パッチワーク」という表現が使われる』と人権を重んじる欧米社会の現状を述べられています。
 一方で坂東氏は、『逆に「るつぼ」を目指す動きを強めているのが中国だ』とし、習近平氏の『中華民族の共同体意識を植え付けるべきだ』『各民族の融合や一体化を促進しなければならない』という言葉を紹介しています。
 民族固有の伝統文化や歴史、言語や習俗を融かして消し去り、同じ一つの合金にしてしまう、それも圧倒的多数の漢民族色に統一してしまうという政策です。恐ろしい発想です。坂東氏は、『少数民族のそれぞれの文化や習慣を尊重する「サラダボウル」的な発想がなければ、国際社会との摩擦もなくなるまい』と中国の変容を促していますが、それに共感する日本人は多いと思われます。
 しかし、足元を見るとどうでしょうか。私は、我が国には過度な同調圧力があり、しかもそれを良しとする風潮があると考えています。そしてそうした風潮に大きな影響を与えているのが、学校ではないかとも考えています。学校、特に人格形成に大きな影響を与える小学校では、みんな仲良く、同じクラスの仲間、一つにまとまって、みんなで決めたことを守ろう、というような価値観が疑いもなく「善」とされているからです。
 仲良くすることも、仲間だという意識も、集団のまとまりも、悪いことではありません。私自身、多少変わり者と言われてはいますが、学校生活では常に多数派として過ごしてきましたから、こうした感覚に違和感を覚えたことはありませんでした。日本人でしたし、障害はありませんし、両親のそろった「標準家庭」でしたし、地区出身者でもありませんでしたし、家が少数派の宗教信徒でもありませんでした。菜食主義者でもなければ、豊かではありませんでしたが極貧というレベルではありませんでした。
 ですから自分と同じような「みんな」と同じように行動することは何ら苦痛ではありませんでした。しかし、幼稚な私が知らなかっただけで、在日韓国・朝鮮人の級友も、単親家庭の子供も、火傷で右手の指が3本しかない部活の仲間も、弁当を食べるとき決して蓋を取らずにこそこそ食べていた友人もいたのです。彼らは、「なんでお前だけ違うことするんだよ」と言われることを恐れ、無理して笑顔を作っていたときがあったはずです。
 休み時間にみんなと遊ぶのが望ましく、一人図書室で本を読む子のはよくないこと。アイドルやゲームの話で盛り上がれるのが友達の多いよい子で、魚好きで魚図鑑の話しかしない子は人間関係を築けない問題のある子。そんな見方をしている教員が少なくないような気がします。学校も学級も個性を溶かす坩堝よりもサラダボウルが望ましいと考えるべきです。独裁国家中国を見習うなんて、ね。

 

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