ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

何を期待して?

2019-12-11 08:50:00 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題
「どんな人たちと?」12月5日
 神戸支局春増翔太記者が『神戸教諭いじめ 残念な事後対応』という見出しの署名記事を書かれていました。以前このブログでも指摘したように、『世間の過剰な処分感情に乗っかった』対応への批判には同意見です。ただ一カ所だけ、気になる記述がありました。
 春増氏は、『(教職は)心身の負担が大きい仕事だ。環境改善のために、例えば教職員が他校や異業種の人たちなど外部と接するネットワークを築いてはどうか。人間関係を含めた仕事の課題や仕組みがあってもいい』と書かれているのです。正直、どのようなことをイメージして書かれたのか、全く分かりませんでした。
 他校と接するネットワークならば既にあります。私は教員時代、区の社会科研究部会のメンバー、私的な研究サークルの会員、都の研究員や開発委員のときの仲間など、30校以上、50人以上の教員仲間がいました。自校の同僚と話すよりも、そうした他校の教員と話す時間の方が多かったくらいです。もちろん、男性も女性もいましたし、20代から50代まで幅広い年代の教員が揃っていました。公立だけでなく、私立や国立の教員もいましたし、管理職もいました。確かに私は他校の教員との人間関係が広い方でしたが、どんな教員でも、10人以上はそうした人脈をもっていると思われます。おそらく、事件のあった小学校の教員も同じであったはずです。
 こうした人間関係は貴重であり、私自身を成長させてくれる財産であると思います。そんな堅苦しい面だけでなく、飲み仲間でもあり、ストレス発散の場にもなっていたことも認めますが、仲の良い飲み仲間は校内にも何人もいました。何か環境改善の特効薬のように言われるのには違和感を覚えてしまうのです。
 そして、異業種の人とのネットワークとなると、さらに首を傾げてしまいます。いろいろと個人的に刺激を受けることはあるでしょう。でも、環境改善に好影響があるのでしょうか。私の勘繰りすぎかもしれませんが、教員社会=閉鎖的・前近代的、他の業種=開放的・近代的というような偏見を感じてしまいます。最近の新聞記事を見ただけでも、上司の暴力による労災事故(企業は従業員同士のけんかと主張)、女性差別につながる服装規定、違法残業による過剰労働など、劣悪な労働環境が次々に報じられています。まさか、「どこも大変だね」と愚痴り合い、傷を嘗め合えばよいということではないでしょう。
 教員の負担の大きさの要因を理解しての提言なのか、疑問に感じてしまいました。
 
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