ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

うまくなる必要はない

2017-01-26 08:24:34 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「一つだけ違う」1月19日
 日本女子プロゴルフ協会会長小林浩美氏が、『学校教育にプロ活用を』という表題でコラムを書かれていました。その中で小林氏は、学校における部活の問題を取り上げ、プロスポーツ選手を指導者として生かすべきと述べています。その理由として、小林氏は、3点を上げています。
 『競技の専門性の高い人から教わった方が基本を正しく身につけやすい』『引退したプロ選手のセカンドライフ、あるいは就職先の確保につながります』『教師はより授業や生徒指導に集中』の3点です。2点目は、学校教育ではなくプロ選手の立場からのものですからここでは触れません。3点目は、まさに正論で、異議はありません。問題は最初の理由です。
 サッカーの競技経験がない教員が指導するよりも、元Jリーガーが指導した方が競技力が高くなるという指摘のどこが問題なのかと考える人がいるかもしれません。そうした考え方こそが問題なのですが、なかなか理解してもらえません。
 部活とは、そこに所属する生徒の、その種目における競技力を向上させ、優秀な選手を育成することをねらいとするものではありません。結果として、将来我が国を代表する選手が生まれたとしても、それはあくまでも結果であり、目的ではないのです。
 分かりやすくいえば、健康のために少し体を動かそうと思って陸上部に入ったり、ユニフォームを着てみたくてテニス部に所属したり、自宅に兄が使っていたラケットがあったので卓球部に入部したり、仲の良い友達がいるのでバドミントン部を希望したり、あこがれの先輩の姿を見ていたいからバレーボール部に籍を置いていたり、顧問の教員が好きだからという理由で部活を選択する生徒もいてよい、というのが部活なのです。
 厳しい練習に耐え、技能を向上させるのではなく、気の合う友達や教員と学校生活の中のある時間を楽しく過ごす、という目的で活動する生徒を、やる気がない、真剣味が足りないなどと非難することはあってはならないというのが、本来の部活なのです。
 もし、身体能力に優れた一部の生徒しか耐えることが出来ないようなハードな練習を課し、全国大会で表彰台に上がることを目指すようなサッカー部があり、そこまでハードな練習はしたくないけれどサッカーが好きでゲームを楽しみたいと考える生徒を結果として排除するようなことがあれば、それは部活の趣旨に添わない在り方ということになるのです。
 現在、我が国のスポーツ界は、10代の若い選手が活躍しています。水泳、卓球、フィギアスケート、体操など、輝いている選手たちがいます。彼らは例外なく、部活ではなく、エリートが集まるクラブで指導を受けています。そうしたクラブと学校の部活を同一視してはいけないのです。学校の部活をスポーツエリート養成の下請け機関と位置付けてはいけないのです。
 そうした部活の原点を再確認した上で「プロ選手を指導者に」という小林氏の主張を考えれば、失礼な言い方ですが小林氏は部活の役割を誤解しているということになります。競技力の向上を最重点とするような部活は、少なくとも公立校に於いては間違った部活なのです。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 希少例 | トップ | ヒットラーもナポレオンも »

コメントを投稿

我が国の教育行政と学校の抱える問題」カテゴリの最新記事