ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

拡大解釈可能

2019-12-09 08:11:26 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題
「拡大解釈可能」12月4日
 『「子に苦痛」体罰と定義 厚労省指針案 軽くても該当』という見出しの記事が掲載されました。『「しつけ」を名目とした児童虐待を防ぐため、厚生労働省は3日、体罰の範囲や予防策の指針をまとめた』ことを報じる記事です。『暴言や無視といった心理的虐待も体罰と同様の行為とみなした』など、納得できる事柄もあるのですが、疑問に感じる点もありました。
 それは、指針案で挙げられた体罰等の例です。『口で3回注意したが言うことを聞かないので頬をたたいた』『大切なものにいたずらをしたので長時間、正座をさせた』『友達を殴ってけがをさせたので、同じように子どもを殴った』『宿題をしなかったので、夕食を与えなかった』と書かれていました。
  いずれも「~したので」という前提条件が付けられています。この部分をどう読むか、が問題になります。こんなひどいことをした場合でも体罰はダメ、と読むか、この程度ではだめだがもっとひどい状況であれば体罰もやむを得ない、と読むか、ということです。
 おそらく、厚労省の真意は前者なのでしょう。しかし、多くの体罰肯定派の人は自分に都合よく後者の読み方をするはずです。例えば、「口で4回も5回も注意したが言うことを聞かなかったばかりか口答えをしたので頬を殴った」は、しかたがないのように。あるいは、「宿題をしなかっただけでなく、祖父が大切にしていた掛け軸にいたずら書きをしたので夕食を食べさせなかった」のは当然だというように。
 その結果、体罰抑止効果は減ぜられ、体罰をしたと非難されても、それは基準に示された以上のひどい状況だったから許されると考えていたという言い訳が横行することになります。そして、そうした考え方に賛成する人たちが「そうだ、そうだ!」と後押しをし、やがて指針は有名無実化していくのです。
 体罰抑止効果を期待するのであれば、「……は体罰に当たり禁止」と端的に表現すべきだったと思います。もちろん、学校の教員対象ではなく家庭の保護者を対象にこうした規定を設けることの是非とは別に、です。以前もこのブログに書きましたが、私は、親子関係をこうした外部からの法的な禁止事項で縛ることには慎重な立場ですので。
 
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