ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

180度ひっくり返る

2019-07-25 07:55:10 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「いつから」7月22日
 『昨年音コン覇者「君が代」独唱』という見出しの記事が掲載されました。『プロ野球オールスターゲーム第2戦で、昨年の日本音楽コンクール声楽部門の覇者、森野美咲が国歌独唱を務めた』という記事です。その中に、『「君が代」は世界最短の国歌であると共に、音の跳躍が多く「他のどの国の歌よりもおそらく難しい」と森野。だが「末永い平和を祈る歌詞と曲の力に後押しされて」輝かしいしソプラノを響かせ、「お祭りの場を清める」大役を果たした』という記述がありました。
 私には、歌としての難度は分かりません。ただ、「君が代」の歌詞が、「末永い平和を祈る歌詞」だという記述には驚かされました。私は、アンチ「君が代」派ではありません。20代の教員時代には、卒業式の国歌斉唱についてもめた職員会議においてただ一人賛成意見を言って、その後しばらくは誰も口をきいてくれなかったという経験をしていますし、後年6年生の学年主任になったときには、組合立学校と呼ばれていた勤務校で、初めて国歌斉唱と国旗掲揚を実現させた強者です。もちろん、指導主事になってからは、各校に国歌斉唱を強く指導してきました。
 当時、「君が代」については、君=天皇が治める時代が永遠に続くように願う歌であり、戦前の天皇主権の考えを継承するもので、民主主義の時代には相応しくない、という考えが、教員の大半を占めていたものでした。私は、我が国は憲法に定める通り象徴天皇制の国であり、かつて君=天皇であったのは事実かもしれないが、今では天皇=国民の象徴なのであるから、君=天皇→国民と考え、国民にとって良き時代が長く続くように願う歌であると考えるべきだ、という理屈で対峙したものでした。我ながら屁理屈気味であると自覚しつつ、でした。
 それなのに、今やリベラル系と目されるM紙に、「末永い平和を祈る歌詞」という記述が掲載されるようになったのです。音コンで優勝するような人は、歌の解釈についても、ある程度は深く掘り下げるのだと推察します。森野氏は、歌の専門家として、「末永い平和を祈る歌詞」という解釈を導き出されたはずです。そしてM紙の記者もその解釈に納得したのでしょう。
 私もその解釈に賛成です。ただ、世の中の変化には戸惑ってしまうばかりです。保守派の私にとっても、昨今の余りものを深く考えない「マイルドヤンキー保守」的傾向には違和感を覚えます。若い教員の皆さんは、かつて職員室で深夜まで及んだ「君が代」論争のあの時代を知っているのでしょうか。議論の内容はともかく、熱く激論を交わす情熱のようなものには、なんだか郷愁を感じてしまうのですが。
 

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