◎ ◎ ◎ スタッフコラム ◎ ◎ ◎
今日は、ゆいツールの活動の中で、メインではないけれど、気にしていること・大事に思っていることとして、多様性を認めるということについて書きたいと思います。
人と人の違い、という話です。
ゆいツールが活動しているインドネシア・ロンボク島には、国籍がインドネシアの人たちが暮らしています。
でも、民族は、ササック人(ロンボク土着の民族)、バリ人(ヒンドゥー教徒)、ジャワ人または別の島出身の人、中国人(中華系インドネシア人)と分かれます。
(ササックの伝統楽団。村の結婚式などで登場する。プロは大人たちだが、子供たちの楽団もある)
ササックの人たちには、独自の言語があります。
バリやジャワ、他の島の人たちも、基本的には民族の言葉を持っています。
宗教としては、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教(プロテスタントとカトリック)があります。
私は、2002年からインドネシアに通っていますが、いつもインドネシアの人たちがすごいなぁと思うのは、その「コミュニケーション能力の高さ」です。さっき出会ったばかりの人とも、ぽんぽんと会話が弾み、違う民族の人と話すときは言葉をたくみに使い分けます。あるいは、夜訪れた村で複数の人たちと、お酒もないのに楽しくいつまでも話すことができます。
一方日本には、お酒を飲む文化があります。今でこそ、一気飲みのあおりの禁止、飲めない人への強要の禁止などが一般化していますが、伝統的に、酒を酌み交わして仲良くなる、という文化があり、お酒を飲めないと言って断ると場をしらけさせることになり、お酒を飲む交流の場に参加できなければ仲間と認めてもらえない、という風習があります。
イスラムの人たちはアルコール飲料を飲みません。でも、甘いコーヒーや紅茶を飲みながら、楽しくいつまでも話すことができます。
さて、ゆいツールが現地で育てている若者たち(一部若くない人を含む)には、ササック人とバリ人がいます。
ササック人(イスラム教徒)の中には、わりと厳格なイスラム教徒もいて(中には偏見に満ちた人もいて)、バリ人(中国人)の家に呼ばれても決して中には入らないとか、出された料理や飲み物にも口をつけない、ということがあります。
バリ人(や中国人)の家には犬が飼われていることが多く、イスラム教徒は犬が嫌いで(宗教的に犬は汚いもの、という認識)犬の唾液に触ったり犬の糞を踏んだりしないため、犬には近づきません。また、イスラム教徒以外は(日本人もそうですが)、豚肉を好んで食べます。豚肉を調理した台所で料理した食べ物や、飲み物を口にするのが嫌なのです。
イソップ童話に、「狐と鶴のご馳走」という話がありますが、自分にとってはご馳走でも、相手にとってはそうではない、ということを、インドネシアにいると日常的に感じます。
ロンボクの若者をバリに連れて行くときには、休憩場所・食事場所・宿泊場所(ホテルであれば問題なし)に気を遣います。
中にはあまり気にしない人もいますが、それでも一般的なイスラム教徒にとって「食べ物に豚が入っていないこと」「お祈りの場所に犬が侵入してこないこと」などはとても大切なポイントです。
ゆいツールが一緒に活動しているドゥルカディ・チームのキャプテンはバリ人で、キャプテンが今年の1月に「俺のうちに飯を食べに来い」と仲間を誘ったときに、私は一瞬、大丈夫かな?と心配しました。
キャプテンに確認すると、食べ物は買ってくる(ご飯は家で炊く)、ということだったので安心しました。
(夕食会の様子。エコツアーに参加していた日本人学生も一緒に)
以前、エコツアーで日本人参加者の中に別の島のインドネシア人(イスラム教徒)が混じっていたとき、バリ人の経営する宿に宿泊してもらったら、(やっぱりお祈りのこともあって)犬がいるのが気になった、とアンケートに記入がありました。
バリ人にとって(日本人にとってもですが)、犬は友達・家族。でも、宗教上そうではない人たちがいるということを、私たちは知る必要があります。
私たち日本人は、実は人は多様である、ということを忘れがちです。
日本人は、同質性をとても重んじます。目に見えないけど、辺りに漂う空気、というものにも敏感です。
でも、世界を見てみれば、宗教が違う、人種が違う、文化が違う、言語が違うことは当たり前です。
違う人たちとは別々に暮らそう、という考え方もあるかもしれませんが、別々に暮らしたところで、このグローバル社会の中で、協力・協働しなければ、経済を発展させることも平和を維持することもできません。
自分と違う人たちと交流することは、ある人にとってはストレスになるかもしれませんが、人生を豊かにすることにも繋がると思います。
ただ、口で「多様性を認めよう」と言うのと、実際にその努力をするのは、別物です。
バリ人とイスラム教徒と日本人が一緒にいるときに、またはイスラム教徒とビーガン(完全菜食主義者)の人と日本人が一緒にいて、食事をしようとお店を探すときなど、まさに「誰も不快な思いをしない着地点はどこ?」と頭をひねることが、多様性を認め合うことなのだろうと思います。
ロンボクにいると、マジョリティはイスラム教なので、「豚を食べるバリ人(中国人)は汚い」というのが常識です。
だからもちろん日本人だって汚い、ということになります。
それからイスラム教徒は、LGBTなどは決して認めません。男は男、女は女。心が男で、体は女とか、その逆とか、全く理解しようとしません。
同性愛もしかり。その点で言うと、偏見に満ちている、と考えられなくもありません。
でも、イスラム教とは豚を食べない(犬が嫌い)・LGBTを認めない宗教で、そのイスラム教徒が大半を占める国では、その常識を覆すのはほぼ不可能。個人レベルで議論したり、他の国のことを紹介したりして、他のものの見方を伝える中で、違う視点を持ってもらうことができれば十分なのです。
逆に私たち日本人も、イスラム教徒はそういう面もあるのか、と知ることで、相手を理解できるようになります。
最後に言語について。
日本でも、自分と同じ地方の言葉を話す人と別の地域で出会ったりすると、(全く知らない人でも)妙な親近感を覚えるものですが、インドネシア人の場合も、自分と同じ民族の言葉を話す人はより近しい関係に感じます。
同じインドネシア人でも、ロンボク島出身(ササック人)、スマトラ島中部出身(マレー人・ミナンカバウ人など)、ジャワ島出身(さまざまな民族有り)、他にもバリ島、スラウェシ島、ボルネオ島などなど、同じ民族の人同士の方が、同じインドネシア人という以上に繋がりが強くなります。
インドネシアの場合、日本の方言などと違い、民族毎に言葉は全く違うので、その地域の人と今まで接したことがなければ、話が全く理解できません。それでも、共通語はインドネシア語で、民族の言葉も部分的に、または家庭内や身近な人(同じ地方の人)との会話などに限定して使われることが多く、公共の場で、あるいは他の地域の出身者などにはインドネシア語で話してもらえるので、問題はありません。
逆に、同じ場所にいても、聞かれたくない相手の知らない言語で密やかに会話をする、という手法を使えます。
この会話の切り替えを、インドネシア人はとても巧みに行うので、私はいつも感心してしまいます。
日本にいると、知らない言語で話している人には近づきがたく感じてしまうものですが、外国の人と接することに慣れてくると、理解できない言葉を話されても、お互いに知っている言語で相手と意思疎通をはかろう、という人類共通の思いを共有できれば、肌の色の違い、言葉の違い、文化の違い、宗教の違い等を超えていけると思います。
ということで、「多様性を認める」というお話でした。(山)
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