ゆいツールブログ:NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)

人と人、人と自然、人と環境などを「結う(ゆう)」ということに関して、団体の活動やスタッフの思いなどを紹介していきます!

スマトラでの活動を振り返って

2016年06月24日 | 8. スマトラでの活動

今年度、スマトラ島での活動が一段落したので、4年間の活動を振り返ってみようと思います。

スマトラ島にはゾウがいます。(ini..Taman Nasional Tesso Nilo)この写真は、ゆいツールとしての活動を始める前に、現地(リアウ州)に調査にでかけたときに、テッソ・ニロ国立公園に立ち寄って撮影したものです。(2011年撮影)

野生のゾウを追い払う役割を持つ、パトロールゾウには乗ることもできます。

私は、ゆいツールで活動を始める10年前からスマトラ島(リアウ州)をほぼ毎年訪れていました。

きっかけは、こんな風景を見たことでした。(2002年JATANスタッフが撮影)

見渡す限り、つんつるてん。ゾウもトラもサルもバクも、鳥さえも気配はありませんでした。

伐採地には、アブラヤシや紙パルプの原料になるアカシアやユーカリの仲間が植えられていきました。

リアウ州と言えば、プランテーション。と言うくらい、走っても走っても目に入るのはこんな景色だけ、という場所でした。↑ アブラヤシプランテーション(オイルパーム:パーム油を採ります)(2003年に撮影)

私は10年間この景色を眺めながら、リアウ州にわずかに残る熱帯林(ブキッ・ティガプル国立公園)とそこに暮らす人々の村を、訪れ続けました。

そして2012年度に初めて、「地球環境基金」という助成金の支給を受けて、この国立公園周辺で環境教育プログラムを実施することになりました。

最初の年は、スマトラ島の森林の生物多様性を、村の子供たちに伝えるためのツールを開発して、村の学校で教えるNGOの先生たちのトレーニングを行いました。(もうちょっと詳しくはこちら

次の年は、前の年に開発したプログラムツールも活用しながら、国立公園の中や周辺に暮らす村の大人たちをスタディツアーに連れ出して、森にダメージを与えないで豊かに暮らす方法を探ろうとしました。有機肥料の作り方を学んだりもしました。(もうちょっと詳しくはこちら

3年目は、村人へ農業研修を実施して、効率的なゴム園の管理方法について学びました。あわせて、西バリ国立公園の先進事例を学ぶスタディツアーを、リアウ州のNGOと国立公園のスタッフ向けに実施しました。(もうちょっと詳しくはこちら

そして、昨年度は、国立公園のすぐ近くの村の農業グループに、グァバの苗木を支給して、育て方のセミナーを実施しました。あわせて、村の女性たちに、プラスチック袋を再利用したクラフトづくりの講習会を行いました。

なぜ、環境教育から住民支援に発展したのか?それは、森を守ることで、村人が利益を得られる方法を見つけたかったからです。

活動の中でいくつか大事なことに気がつきました。

●インドネシアの国立公園管理事務所にとって、国立公園の森は守る対象であっても、園内に暮らしている先住民や地域住民の生活を守ることや、彼らの教育は管轄外だということ。(教育は教育局、農業支援は農業局等が管轄するようだったが、国立公園内という制約の中、各局の支援は十分に届いてはいない)

●公園内に暮らすタラン・ママッ人や彼らを祖先とする地域住民は、集約的農業や効率的な管理農業というものが苦手であるということ。(伝統的に、粗放農業でしか焼き畑やゴム園管理を行ってこなかったため)また、将来のために今努力する、今我慢する、今準備する、という思考回路がほぼない、ということ。(貧しすぎるために、そしてもともとその日暮らしをしていた民族なため、計画を立てることが得意ではない)

●現地NGOの役割は、教育を十分に受けていない村人をとことんサポートすることであるが、常に中途半端な支援にとまっていた。原因は、十分な資金がないことであったり、高い教育を受けたNGOスタッフが立場の弱い村人の側に立つことができなかったり、単に能力不足だったり、さまざまであった。

4年間の活動を経て、ブキッ・ティガプル国立公園の森を守るために必要なことはなにか、わかったことがあります。

それは、リアウ州の中で、国立公園管理事務所と林業局と農業局と教育局などが、ともに問題を共有するラウンドテーブルを設けること。そして、森を守ることと地域住民の生活を守ることを、両輪でやっていく方法を様々な関係者と話し合うこと。そして、それは現地NGOがファシリテートすることが望ましいということ。

あるいは、「小水力発電の設置」や「野鳥の繁殖センターの設置」など具体的な活動を行いながら、さまざまな局と連絡調整をする中で、課題を共有し、協力しあうこと。

ローカルNGOのスタッフの能力向上や国立公園スタッフの意識改革のための研修がなにより求められます。

・・・今、スマトラ島リアウ州の、国立公園や森林保護区以外の森は、大方プランテーションに代わってしまいました。

アフリカのサファリツアーと違って、スマトラ島の森を訪れても、トラや野生のゾウを直接見ることはできません。簡単に見ることができれば、熱帯林ツアーが流行って、もう少し森林保護に目が行くのかもしれませんが、実際は「森なんか茂っていてもお金にならない」から、お金になるプランテーションにどんどん切り替えられていきます。

住みかを追われた野生動物は、どこに行ったらいいのでしょうか。

その悲しい気持ちを表した看板を、1年前に横浜市の動物園ズーラシアに設置させてもらいました。(スマトラトラの展示横のパネル

ズーラシアを訪れた際には、ぜひ見てほしいと思います。

下は、2014年度に作成した冊子です。スマトラの森を守る活動を紹介しています。(ご希望の方はこちらにご連絡ください)

スマトラ島の森林問題については、WWFのホームページにわかりやすくまとめられています。

ゆいツールは、いったんスマトラの活動をお休みしますが、またなんらかの形で再開できたらよいな、と考えています。

(山)

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ロンボク島で村ツーリズム!? in Lombok

2016年06月13日 | ★2016年度(ロンボク)

ゆいツールは今年度、ロンボク島で「村ツーリズム」プログラムを開発しようと考えています。

Tahun ini Yui-T00l mau buat program desa wisata di Lombok.

村ツーリズムとは、「滞在型ツーリズム」と言い換えてもいいのですが、村にホームステイしながらあるテーマを持って、村の若者たちなどと交流するプログラムです。たとえば、子どもたちに英語を教えたり、ごみ問題について一緒に学んで村の人たちと意見交換したり。
 
昨年度、ゆいツールはロンボク島での活動の中で、いろんな村に行って、だいぶ村の様子がわかってきました。
一回講習会をやっても、ごみ銀行は立ち上がらないし、女性たちは継続してクラフトを作らないし、村はともかく汚いということ。
そして、「村をきれいにしたい」という人がいても、まだまだその思いは空回っていることが多いようであること。
 
そこで、外国人が村に滞在して、村や地域のごみ処理のことなどを現地の若者と一緒に学んで、どうやったら村をきれいにできるかを考えてみてはどうだろう?と考え、今回はパイロットプログラムとして、ゆいツールのボランティアの吉本が村に滞在することにしました。
 
場所は、ロンボク島の空港のあるプラヤから、車で20分ほどのところにあるボンデール村クンタワン集落。(Kentawang, Desa Bonder, Lombok tengah)
人口は350人くらいと言っていましたが、こうした小さい集落がいくつかあり、みんな家族のように親しいのだと教えてくれました。
 
案内と通訳をしてくれるラフマンくん。(Mas Rahman)
今まで何度かゆいツールの活動に参加し、クラフトの作り方を覚えて、村や大学のサークルで教えている頼もしい若者です。
 
泊めてもらうのは、ラフマンくんのお姉さんの家です。
お姉さん夫婦と5歳の娘インタンちゃん。
そして、近くに住んでいるラフマンくんのご両親や、他のお兄さん、親戚も、毎日のように訪れて、おしゃべりしたり、ごはんを食べたりします。
この家族の結びつきの強さは、今の日本ではだいぶ失われてしまっているものだなあと思いました。
 
村には、コミュニティセンターがあり、ラフマンくんと仲間の若者たちが中心となって、英語のクラスとごみをリサイクルしたクラフト作りのクラスを行っています。
クラスは無料で、誰でも参加できるとのこと。(冒頭の写真)
 
外国人が村に滞在するなんて、初めてのことなので、みんな興味津々。
英語のクラスに、お母さんたちも赤ちゃんを連れて覗きにきました。
小学生の子どもたちが多かったので、英語を使った、身体を動かすゲームをたくさんやりました。
子どもたちは、単語もよく知っていて、思った以上に英語ができます。
ただ、とてもシャイで、なかなか話せない。
 
普段は、アズハルくんという学生が、週に4クラスもここで教えています。
とてもきれいな英語を話します。
「これから観光でたくさん外国人が来るから、子どもたちがみんな英語を話せるようになって、外国人とコミュニケーションできるようになってほしい」といいます。
 
アズハルくん(Mas Azhar)
 
小学校や大学も訪問しました。
どこに行っても、みんな外国人に興味津々。
そして、日本についてもいろいろ質問してきます。
 
川にもみんなで行きました。
川で泳いだり、水浴びしたり、魚を捕ったりするそうですが、今は水が少なくて、あまりきれいじゃない。写真には写ってないけど、ごみも落ちています。
 
村で過ごした3日間で感じたのは、この村はとても豊かだということ。
田んぼが広がり、ココナッツがなっていて、鶏が走り回っています。
ごはんには、新鮮な野菜やハーブが出てきます。
 
何より、みんながお互いを知っていて、村中が家族のように、物も時間も共有している。
毎日いろんな人がラフマンくんの家に来たり、歩いている私を呼び止めて、「おしゃべりしよう」と誘ってくれました。
 
外国人として短期間、村にいても、見えることはほんのわずかかもしれません。
でも、そのわずかでも、学ぶことはすごくたくさんあります。
 
そして、そのわずかを積み重ねていくことは、村の人たちにとってもすてきなことなんじゃないかな、と思います。
 
普段、あまり村以外の生活を知らない人たちが、外国の文化に触れて興味を持ったり、子どもたちが外の世界って面白そうだと思ってくれたり。
そして、彼らが当たり前だと思っている村の暮らしがどんなに豊かか、外から来た人の口から聞くことで何かに気づいたり。
 
その先に、自分たちの暮らしを守っていこうとか、村をきれいにしようとか、そんな思いが育っていくのだろうなと感じました。
(吉)

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エコツアー体験記~5月のお客さまより~

2016年06月07日 | 6. エコツアー参加者の声

「鈴木くん、インドへ行くんだって?」

出発を数日後に控えた5月某日、職場にて。一週間の長い休みをもらったので、職場内でどうやら僕が海外旅行へ行くらしいことが口づてに広まっていたようでした。ただ…

「インド『ネシア』です、先輩」

広まるうちに、どこかで「ネシア」が抜けたみたいです。たぶん、「ネシアがついていようがいまいが、どっちにしろよく判らん!」ということなんでしょう。僕もそうでした。

(あー、こういう日本人にあまり馴染みのない国へ行くんだな、まして僕が行くロンボク島はなおさらだろうな)

と、出発を前にして不安が胸に広がったのを覚えています。

とはいえ、意気込みもありました。もともと「海外へ行きたい!」「見聞を広めたい!」という漠然とした思いがあり、ゆいツールの山本さんとの出会いもあって、(よし、度胸試しだ!インドでもインドネシアでも行ってみよう!)おおよそこんなノリで今回の旅を決意した次第です。

見聞を広めるという意味では、乗り継ぎのジャカルタからもう「なんだこれは!」の嵐でした。もわっと熱気を帯びた空気、飛び交っている聞き慣れない言葉、初めて使うルピア(インドネシアの通貨)の0の多さ、車道を走るバイク、バイク、バイク…。ジャカルタからロンボク滞在中にかけてずっと五感が新しい刺激を受けつづけました。普段省エネモードの僕の脳みそは、さぞびっくりしたことでしょう。頭の血のめぐりが良くなったような、頭の中だけ若返ったような、そんな感覚です。ジャカルタのごちゃごちゃした道でもそうでしたが、ロンボクの田舎道でもそれは同じでした。車の窓越しに目に入る景色が新鮮で、ぼんやり眺めているだけでほんとうに楽しいんです。

さて、ロンボクに着いてからは実にたくさんの人との出会いがありました。もともとロンボクで暮らしている人、日本からロンボクへ嫁いだ人、日本で生活したことのあるロンボクの人、仕事でロンボクに来ているバリ人、ロンボクに滞在中の日本人、これからロンボクに住もうとしている日本人…ここで具体的に挙げるとちょっと長くなるくらいで、とにかく様々な出会いがありました。そしてそのどれをとっても、どこかゆったりとした時間が流れていて、日本みたく「お、お邪魔いたします!」と変に肩の力を入れることなく、くつろがせていただきました。

これは自分にとっては意外だったんですが、インドネシアでも礼節を重んじるところがあって、どんなにちょっとした用事であっても客人はお茶やコーヒーなどでもてなされるようです。どうりで訪ねる先々で飲み物が出てきたわけだと、後から納得しました。日本でいうと「立ち話もナンだからお茶でも飲んでけよ」という感じだそうです。さらにインドネシアでは、もてなされる側が用事が済んだからといっていそいそと立ち去ろうとすると失礼にあたるそうです。(時にはこの礼節が災いして、嫌いな奴が長く居座るということも起きるそうです笑)こういうのって、今の日本に持ち込もうとしても鬱陶しがる人が多いんじゃないでしょうか。インドネシアには地に根を張った人の繋がりがあるんだな と、ずっと残って欲しいすばらしい文化だなと思いました。

今回のロンボクエコツアーは、「エコ」と付くだけあって環境教育活動の現場を見学させていただく機会が多くありました。環境教育というのは、これから開発が進む国や地域の人たちに向けて、持続可能な発展ができるよう環境への意識を高める活動のことを言います。インドネシアでは(ごみ問題への意識が低いので)、その活動の一つにごみ銀行というものが広まっています。ゆいツールも現地でごみ銀行を運営していますが、ここでは今回のツアーで僕が見学させてもらったハミドさんのごみ銀行(シウン・グミランごみ銀行)について紹介したいと思います。

ハミドさんは、ぎょろっとした目が特徴の物静かで朴訥な感じの男性です。そんなハミドさんに家まで案内されると、家の外で近所の女性が子供たちと何やら作業をしています。これは、コーヒーやお菓子のプラごみを種類ごとに分別している様子です。子供達が面白がって遊んでいてワイワイガヤガヤとしていて楽しげでした。

分別が終わったものがこちら。こうして分別・洗浄されたものはごみ銀行が引き取り、持ってきた人はその量に応じてごみ銀行の通帳に記帳してもらいます。通帳に一定数たまるとお金が受け取れるという仕組みになっているそうです。

家の中に入ると、今度は別の女性が細く切られたプラごみを編んで何か作っています。自分もマネして編んでみましたが、「意外と簡単じゃん!」かと思いきや、女性が作った完成品と並べると全然ヘタクソなのがすぐにわかりました。

完成品(日本に戻ってから撮影しました)

正直、当初はごみ銀行の職人さんや会員さん(プラごみを集めてくる人たち)の励みになればと思って購入しようと思っていたんですが、それとは関係なく自然と財布を開けていました。作りがちゃんとしていたし、デザインも可愛いなと思ったからです。そして何より、大量生産されたごちゃごちゃしたパッケージのゴミを利用して、ハンドメイドでこんな可愛らしいものを作るというスタンスが「カッコいいな!」と思いました。このゴミのこの部分をこう使ってこういう柄にする、といったアイデアも職人さんたちが考案するそうです。もちろん向こうの物価で考えると値段は高めですが、こういった事を含めていい買い物をしたなと思います。

ハミドさんの家を後にして、シウン・グミランごみ銀行で引き取ったごみの保管場所へと移動しました。そこではハミドさんのごみ銀行がじつはお金の面でうまくいっていないという事を聞きました。保管場所は、これから何らかの資源として生まれ変わるはずのごみで溢れてかえっていました。

このごみたちは、これから洗ったり分別されたりするためにここに集められたんですが、次の工程へ回すお金が足りていないために、ここにずっと保管されているそうです。現実問題、ごみ銀行をやっていく上でもお金は必要です。こういった活動を離れたところから眺めていると、「ごみを再利用して新しいものを作る」っていう単に慈善事業としての側面しか見えてこなくて、お金とは無縁の世界と思われがちな気がします(自分もそうでした)。でも、実際に現場を訪れると違います。活動に携わる人がちゃんと見えてきて、非営利とはいえお金が必要なんだという当たり前のことに気づかされます。

ハミドさんの活動は、今のところ行政からの補助がないそうで、自分たちでお金を回していくしかないようです。そもそも、「補助金申請の書類の書き方がわからない!」という状態から、ハミドさんは活動を始めています。きっと、自分の村に落ちているごみを見て「なんとかしたい」と思ったんだと思います。その気持ちが先行して経費が予算をオーバーしてしまったんだと思いますが、だからこそ「なんとか解決できないかなぁ」という思いがこちらにも湧き上がってきます。

ちなみに、ハミドさんとは翌日も会う機会があって、今度はハミドさんの本業の焼き物を見せてもらうことになりました。焼き物には、バナナの木の葉っぱを縄状にしたものや卵の殻で上手く装飾されたものがありました。他にも絵の具できめ細かい文様が描かれたものがあって、色合いがサイケデリックでデザインがポップな感じで自分の好物でした。無事日本に持って帰れるか不安でしたがいっぱい買ってしまいました。焼き物でのノウハウがごみ銀行の製品作りに活かされているんだなと感心しました。(写真はお土産センターの様子)

ロンボクではまだまだたくさんのことを経験しました。中には普通の旅行ではちょっと味わえないようなこともありましたが、ひとまず日本に帰ってきてからのことを書きます。

日本に帰ってからは、休んだぶんを取り返すかのように仕事が待っていて、そんな忙しいなか「インドネシアどうだった?」と聞かれると少し戸惑いました。サッと簡潔に答えられる言葉が見つからなかったのです。「楽しかった」じゃ言葉が足らないし、「海がキレイだった」ではウソになる…。確かにロンボクでは海で泳いだりもしたし、他にも楽しい出来事がたくさんありました。でも、浜辺や街にはごみが散らかっていて、お世辞にもキレイとは言えません(観光客向けのビーチはキレイですが)。だから、初めのうちは話がそちらを通らないように、食べ物の話とかお土産に買ってきたタバコの話とか、伝わりやすいところをつまんで話していました。それで終われば相手も「楽しい旅だったんだ ね」と納得するし、収まりがいいでしょう。けど、それだけじゃちゃんと伝えきれた気がしない…。日本へ帰る飛行機を待っている間に外国人旅行者向けのアンケートを頼まれた時も、「インドネシアはキレイでしたか?」と質問され、多少答えづらかったけど「ごみが散らかっていた」と正直に答えました。時間やお金をかけてせっかく来たインドネシア、どうしても「いい思い出にしたい」という心理が働きます。でも、ロンボクでの経験はそう単純じゃなかったです。だから、楽しい思い出だけを切り取って人に話すことに違和感を感じるんだと思います。(確かに、きれいな景色もありましたが・・・)

「どうしてこんなごちゃごちゃしたものを僕は持って帰ってきたんだろう?」と旅を振り返りながら自分なりに考えました。それはたぶん、多少なりとも「ロンボクに関わってしまった」という感覚が芽生えたからだ、という結論に至りました。関わったからには無視できないな、という感じです。こんな感覚が芽生えたのは、一つに、今回の旅を通して現地の人とより深く関わったことが大きいなと思います。とくに、上で紹介したハミドさんと現地の青年ラフマンくんとの出会いが大きく占めています。ラフマンくんとは、都合2泊一つのベッドを分け合いました(深い意味はないです)。英語と身振り手振りでお互いの国のことや冗談を言ったりもしました。彼は、自分の村で英語教室を開講したり、 村をキレイにする活動をしたり、ゆいツールの現地ボランティアとしても活動しています。どれも無償でやっているので、お金はもらえません。ハミドさんやその他のごみ銀行を運営している人たちも、基本的に非営利で活動しています。それどころか、今の段階では障害の方が大きい状況です。だからこそ、「自分たちの環境を良くしたい」という思いがよく伝わってくるし、自分も彼らが立ち向かっているような問題に関わりたいと思うようになったのだと思います。

僕がロンボクを訪れた時点で、観光客向けかビジネスマン向けかわかりませんが、建設中のホテルが何軒かありました。それだけこれからロンボクを訪れる人が増えるということでしょう。それ自体はとても良いことだと思います。でも、そうやって訪れた人が、お土産のいっぱい詰まったスーツケースに自分たちの出したごみを入れて帰るなんてことはないでしょう。訪れる人が増えるということは、それだけごみが増えるということです。ロンボクで今一番注目されている観光スポットのギリ・トラワンガンという離島では、そこで出たごみのほとんどが、人目から遠ざけられて山のようになっています(動画で見させてもらいましたが、衝撃的でした)。離島には焼却施設もないし(←注:離島どころかインドネシア中どこにもないです)、かといってロンボク本島に運搬することも(コストの都合で)ほとんど無いそうです。

日本でだってごみ処理の問題が根本的に解決できているわけじゃありませんが、ロンボクはそのさらに後方にあります。住民の意識も行政も。そう思うと、果たして、ますます観光地化が進むのに耐えられる下地がロンボクに出来るのか心配です。

まだまだ書ききれていない出来事や思いもたくさんありますが、長くなるのでこのあたりにしておきたいと思います。最後に、このツアーを楽しいものにしてくださった方々に感謝します。特に運転手のヘルランさん、ゆいツールの山本さん、ラフマンくんにはお世話になりました。ラフマンくんが教えてくれた「さようなら、さようなら、またいつか会える~」という歌(なぜか日本語)がとても印象的で、今でも耳に残っています。ヘルランさんのジョーダンもまた聞きたいです。みなさん次に会う時まで元気でいてほしいです。短い間でしたが、本当に濃密な時間を過ごせました。ありがとうございました!運転手のヘルランさん(Pak Herlan)と、空港にて。

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5月のエコツアーの様子はこちら(5月28日付けブログ)です。

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エコツアー体験記3~4月のお客さまより~

2016年06月02日 | 6. エコツアー参加者の声

前々回に引き続き、4月にロンボクでエコツアーに参加されたお客さま(Cさん)の感想文をご紹介します。

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インドネシアのロンボク島に行ってきました。

4月18日から23日の6日間の短い旅でしたが、とても有意義なでした。

英語もインドネシア語も話せないけれども「三人いれば何とかロンボク島までは行けるだろう」と、ゆいツールからの案内と、虎の巻を持ってのエコツアーの参加でした。

宿泊はマタラム市のfavehotel。とても綺麗で、朝食はバイキング形式、美味しい珍しい食べ物に毎朝が楽しみで、ついつい食べ過ぎてしまう日々でした。

そして、ゆいツールの細かなアドバイスで、吸盤の有る洗濯物干しが大変役立ち、今後の為になるなと思いました。

また、このホテルを拠点に宿の移動無し、というのは楽でした。


三か所のごみ銀行を見学しました。

・ウダヤナごみ銀行

・レレデ村のシウン・グミランごみ銀行

・NTBマンデリごみ銀行

ロンボクでは小さな村までは行政の手が行き届かないのが現状で、ごみの回収がなされていないようです。

会員さんがプラスチックの包装資材を持て来て100枚当たり1000ルピア、日本円で7~8円位かな?貯金していきます。

ここではそうした包装資材のプラスチックやペットボトル、紙類が人の手により、シートやバック、ポーチなどへと、色を変え柄を変え上手く組み合わせて見事に製品化させていきます。この発想が面白くてポーチを幾つか購入しました。

パトゥ・ジャンキ村でココナッツオイルと伝統のお菓子作りの体験。

ココナッツオイル作りは、水で擦り卸したココナッツを絞り出し、その液を、時間を掛けて煮詰めていきます。

焦げないように常にかき混ぜて、ゆっくりゆっくりはインドネシア語でプランプラン、相手は「ゆっくりゆっくり」、こちらは「プランプラン」と言葉を交わしながらの作業で、煮詰まる間、二種類のお菓子作りに挑戦しました。
グラアレンを入れたヨモギ餅の様な物と、蒸したもち米の様な物を三角の型に取り、干して揚げた物。

今回は、蒸しあがった物を型に取る所迄でしたが、塩で頂くともち米とはまた違う食感でとても美味しく、どちらのお菓子もエナッ(美味しい)。

素朴なお菓子ですが健康に良さそうでした。

お菓子が出来上がった頃、ココナッツ液も煮詰まり、このココナッツを使ってニンニク、玉葱、唐辛子、エビのだしの様な物をすり潰して自家製調味料を作り、早速、昼食で頂きました。家庭料理がとても美味しく、手で食べるのもこの頃は慣れて、ためらいはありませんでした。村の人達と一緒に作る、家庭料理を頂くなんて、こんな貴重な体験はなかなか出来るものではないでしょうね。私たちの為に企画してくれた皆さん有難うございました。

グントゥール・マチャン村の里山を滝までトレッキング。

全体的にはなだらかな山で、一見樹木が生い茂っているかの様に見えますが、所々に果物の栽培がされており、ヤシの木(アレン)の花房の液を採取しているのを見る事が出来ました。

近くの小屋では釜土でアレンの液を煮詰めている作業をしている人達を見かけお邪魔しました。煙が昔懐かしく、近くに鶏の姿も見られ、のどかな時間に包まれました。

自然に育ったドリアン、ドラゴンフルーツ、ジャックフルーツ、コーヒーなど見つけては楽しく探しながら登ると、遠くに見える山を指してもう半分と言う。少し疲れも出て来た頃、石の多い足場の悪い沢に差し掛かり、何とか渡りきって先を見ると、半分どころか数分後、すぐ目の前に滝が現れました。騙された。清々しい思いで、ここで一服。水は思うほど冷たくはありませんでした。

疲れもとれ、帰り、民家に寄りグラアレンを購入。そしてドリアンと、グラアレンの入ったコーヒーをご馳走になり感激しました。

行きとは別の道を辿りお土産に満足し幸せな気分で里山を下りました。下り切った所で茶屋の様なお店で休憩。豆腐の揚げ物を唐辛子と一緒に頂きましたが、これもおいしくて、何?何?と幾つも頂きました。

また、こちらで言うおはぎの様な物で、餡の代わりにピーナッツ味噌の様な物がかかった物、これもまたとてもおいしくて、お腹が満たされ夕食にまでは至りませんでした。
 
プラ・リンサール寺院

ヒンズー教徒とイスラム教徒が一緒にお祈りする事が出来る場所でした。
また、キリスト教徒もお祈りする事が出来ると聞き、ロンボクの豊かな自然とおおらかさを感じながら、願い事が叶うと言う池?に賽銭を投げ入れ、これまで果たされなかった夢を託してきました。

織物の里スカララで村 

迷いに迷って気に入ったスカーフを三人でまとめて5枚購入。値段交渉の結果、最初の値段より高かった事に後で気が付く。

焼き物の里バニュ・ムレック村

色とりどりの可愛らしい綺麗な焼き物達。欲しいものばかりで手に取るが重くてちょっと無理。そこで小さな亀と小さな水差しの置物を購入。

ロンボクでは行った先々で鶏が自由気ままに歩き回っている姿をよくみかけ、野良鶏かと思い後で聞くとちゃんと管理されており、鶏も自分の場所に戻るそうです。

料理に若鳥がよく使われ、身が締まって甘く、とても美味しかったのは何故かわかる様な気がしました。鶏の丸揚げは骨まで食べる事ができ、味付けがすごく美味しく食が進みました。

行った先々で食べた甘いもの、辛い物、麺、全てが美味しく、果物はマンゴスチン、ランブータンが幸せでした。

ただ残念なのは、海でも山でもそうでしたが、気になるのが木の葉のように捨てられているゴミ。すごかった。一層の事ゴミ箱でも置いたら良いのにと思い、ゴミ銀行の事が気なりました。

この時期、南十字星が見られるのか気になっていたのですが、見ようと思えば観られたのでしょうか。ロンボクでは周りが暗くて星が綺麗に見えるのではと思っていたのですが、意外と明るくてはっきりと見る事ができませんでした。場所にもよるのでしょうか。

長閑に広がる田園風景、脇の小屋で寛ぐ人々、庭でも畑でも山でも鶏と鶏の親子連れの歩き回る姿、おとぎの国を思わせる寺院、緑に囲まれた赤い屋根、マンゴスチンにランブータン、クタ海岸の不思議な丸い砂、パトゥ・ジャンキ村の学校の裏に子供先導の岩登り。(写真は案内してくれた子供たち)
素敵なロンボク島

企画してくれた人達
案内してくれた人達
もう一度行きたくなる、素敵なロンボク島ありがとう。terima kasih

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以上、4月のエコツアー参加者の体験記でした。

Aさんの体験記はこちら。Bさんの体験記はこちら

(山)

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