私は大学4年の時
神経症になり、
仏文学の大学院修士課程に入学したものの、
仏文学への進路を阻まれ、
小学校教員の職業へと
進路変更をせまられました。
教員としての生活には
かなりの苦労がありました。
でもその困難があったればこそ、
生命の実相に出会い
正法眼蔵の勉強が
できたのでした。
そして今
「実相独在」の真理を
本気で説こうとする人が
本当に少なくなってきたので、
私はこのことは
きっちりやらなければならないと
思うのです。
日本の国の在り方を
古事記から勉強して
説いている人は
多分たくさんいると思いますが、
私は
「実相」の真理そのもの、
現象への実相の現われ、というよりも、
「実相独在」の宗教的真理自体、
法華経の説くような
仏教面やキリスト教その他の哲学から生命の実相真理へ迫ること、
つまり実相独在の真理自体の勉強を
やりたいと思うのです。
こういう方向へ私が動かされてきたことこそ、
神の導きだと感じています。
神経症になり、
仏文学の大学院修士課程に入学したものの、
仏文学への進路を阻まれ、
小学校教員の職業へと
進路変更をせまられました。
教員としての生活には
かなりの苦労がありました。
でもその困難があったればこそ、
生命の実相に出会い
正法眼蔵の勉強が
できたのでした。
そして今
「実相独在」の真理を
本気で説こうとする人が
本当に少なくなってきたので、
私はこのことは
きっちりやらなければならないと
思うのです。
日本の国の在り方を
古事記から勉強して
説いている人は
多分たくさんいると思いますが、
私は
「実相」の真理そのもの、
現象への実相の現われ、というよりも、
「実相独在」の宗教的真理自体、
法華経の説くような
仏教面やキリスト教その他の哲学から生命の実相真理へ迫ること、
つまり実相独在の真理自体の勉強を
やりたいと思うのです。
こういう方向へ私が動かされてきたことこそ、
神の導きだと感じています。