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イエスは肉体となった神の言(「序詞」(ヨハネ伝1章1~18)

2015-09-07 14:11:54 | 日記
<「序詞」(ヨハネ伝1章1~18)の部分についてのまとめ>
・この部分は「序詞」であり、基本的なことが書かれており、「甘露の法雨・神の項」に深く関係がある箇所である。

・「序詞」(ヨハネ伝1章1~18)の中心題目は、「言」であり、「言」が肉をとって歴史の中に現われたことである。「言」は永遠なるもの、神とともにあり神であった。その「言」が歴史の中にはいってくることにより、人間との関係が打ち立てられた。それは一回かぎり、しかし永遠に打ち立てられた。それは、言の受肉によってである。このようにして、命と光とがこの世に現われ、信ずる者はすべて「神の子」となる力が与えられた。このことについて「あかし」を立てたのが、ヨハネであった。しかし人間の歴史は「やみ」が支配している。「やみ」は光に逆らい、信じようとしない。選民ユダヤ人は、イエスを十字架にかけた。しかし終局の勝利は、信仰にある。イエス・キリストは「めぐみ」と「まこと」である。神の栄光はイエスにおいて輝いている。その満ち満ちているものの中から、命をくみとり、救いにあずかるのが、彼を信ずる者の受ける特権である。(参考 新約聖書略解(ヨハネ伝) 日本基督教団出版局)
・ここに書かれていることに関する限り、谷口雅春先生の解釈と全く変りがない。



言の受肉

2015-09-07 14:11:07 | 日記
(参考 新約聖書略解(ヨハネ伝) 日本基督教団出版局)
・言(ロゴス)の受肉をうたった。
・肉体をとって、人間となってつかわされたロゴス(言)は以後「イエス」と呼ばれる。
・16は14に続いている。
・イエスが旧約の代表者モーセと比較されている。
・信仰の目をもって、イエスを仰ぎ見る者は、イエスにおいて神を見ることができる。

(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第一章14~18>
14そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。15ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った。『わたしのあとに来るかたは、わたしたちよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。16わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。17律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。18神を見たものはまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。