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結局はキリストの勉強をするように導かれた

2015-09-26 22:15:11 | 日記
私にとって
イエス・キリストなんて
ほとんどどうでもよい存在であった。
私が15歳の時に亡くなった母は
クリシチャンだったし、
私も子供の頃、
プロテスタントの日曜学校に
通ったこともあったにもかかわらず、
私にはイエス・キリストも神様も
異邦人みたいな感覚を感じていて
現実的な存在ではなかった。
というよりも、
あまり、
好きではなかった。
でも最近私は、
イエス・キリストとキリスト教の勉強をしないでは、
人生にやり残しがあるように
思うようになった。
それは
聖書の言葉が
霊感にあふれているからだ。
哲学や宗教に関心をもつ私であるから、
これはやらなきゃならない勉強だと思うと、
結局いやでも
それを勉強する方向に行くのである。
そんなふうにして
今の私がいる。
私の中の神が
導いているのだと思う。

ヨハネ黙示録 第五章 七つの封印の巻き物と小羊に対する礼拝 

2015-09-26 18:16:29 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
5・11~14 御使たち、被造物の賛美の声
(11)さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は、万の幾万倍、千の幾千倍もあって、
(12)大声で叫んでいた。
「ほうられた小羊こそは、
力と、富と、勢いと、ほまれと、栄光と、
さんびとを受けるにふさわしい」。
(13)またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた。
「御座にいますかたと小羊とに、
さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、
世々限りなくあるように」。
(14)四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。

(参考 増訂新版 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・11.まぼろしは見るものであるが、まぼろしの中においては、声を聞き、におい、味わい、触れることもある。《万の幾万倍、千の幾千倍》これは無数の意で、無眼数を表わしている。
・《それらの中にあるすべてのもの》これは前句をくり返したような表現である。被造物全体が神とキリストに対して賛美をささげるという荘厳な場面である。ヨハネは完成した天地の情景をここに示して、救いの確かさを読者の心中に徹底させるのである。
・頌栄や祈りの後に、アァメンと唱和することはユダヤ教で始まったのであろうが、この習慣はそのままキリスト教にもとり入れられた。

サマリヤ人たちイエスを信じる

2015-09-26 17:12:41 | 日記
サマリヤ人たちイエスを信じる
2015/9/25
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第三章(4・1―42 イエスとサマリヤの女)
4・39―42 サマリヤ人たちイエスを信じる
39.さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。
40.そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。
41.そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。
42.彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・彼らがイエスを信じたのは、《イエスの言葉を聞いた》からである。信仰の生ずるためにはイエスと直接出会ってイエスが《世の救主》であることを、自ら知り、信じて体験しなければならない。
・《世の救主》は、全世界のすべての人々の救い主の意。神のみこころはひとりも残らず、すべての人が救われることである。

サマリヤ人たちイエスを信じる

2015-09-26 17:12:41 | 日記
サマリヤ人たちイエスを信じる
2015/9/25
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第三章(4・1―42 イエスとサマリヤの女)
4・39―42 サマリヤ人たちイエスを信じる
39.さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。
40.そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。
41.そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。
42.彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・彼らがイエスを信じたのは、《イエスの言葉を聞いた》からである。信仰の生ずるためにはイエスと直接出会ってイエスが《世の救主》であることを、自ら知り、信じて体験しなければならない。
・《世の救主》は、全世界のすべての人々の救い主の意。神のみこころはひとりも残らず、すべての人が救われることである。

はしがきー(谷口清超著~キリスト)から

2015-09-26 16:33:51 | 日記
(参考 キリスト~イエスの神秘的生涯とその解説 谷口清超著 日本教文社)

キリスト~イエスの神秘的生涯とその解説 谷口清超
<はしがき>
 キリストは全世界の多くの人々の心の中に住み給う光である。そしてこの光は、キリストの伝記と教えとがとかれているる四つの福音書に源を発している。同時にキリストに関するすべての神学もやはりここに源を発する。しかもこれらの四つの福音書の間には、種々のくいちがいや差異がみられないこともない。しかしその中を流れているキリストの精神に立脚するとき、大小の差異は解消して、「偉大なるキリストの歩み」が吾々の心を占領してしまうのである。私はこの吾々の心中に住み給う「偉大なるキリスト」を本書に於て記述しようとした。それは些々たる矛盾をのりこえた「真理の歩み」であり、永遠に新しい「真実」そのものに他ならない。