(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第5章(5・1―47)ベテスダの池の奇跡とそれに続く論争―イエスは命の君
5・9b~18 安息日の律法を犯したことについて
9b その日は安息日であった。
10 そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った、「きょうは安息日だ。床を取りあげるのは、よろしくない」。
11 彼は答えた、「わたしをなおして下さったかたが、床を取りあげて歩けと、わたしに言われました」。
12 彼らは尋ねた、「取り上げて歩けと言った人は、だれか」。
13 しかし、このいやされた人は、それがだれであるか、知らなかった。群衆がその場にいたので、イエスはそっと出ていかれたからである。
14 そののち、イエスは宮でその人に出会ったので、彼に言われた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪を犯してはいけない。何かもっと悪いことが、あなたに身に起るかも知れないから」。
15 彼は出て行って、自分をいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人たちに告げた。
16 そのためユダヤ人たちは、安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。
17 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる」。
18 このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである。
(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・9b イエスのいやしの行為は安息日律法の違反であるから、ユダヤ人はそのままにしておくはずがない。
・10 安息日律法は、十誡の第四にあたるたいせつな規定で、破る者は、死刑に処せられる。床をとりあげることの禁令違反を、ユダヤ人はそのままに放置することはできない。
・17.18 《今に至るまで》は、「休むことなくいつも」の意味が含まれている。ユダヤ教によると、神は六日で天地を造り、七日目は休まれ、そしてその日が「安息日」として人間も休むことが命ぜられているのであるから、イエスのこの言葉は、安息日の否定になる。イエスは神を《わたしの父》と呼んで、神と自分との間に、ほかに存在しない特殊の関係を主張したのだから、ユダヤ人はイエスを憎み、《殺そうと計るようになった》のである。
<ヨハネによる福音書第5章(5・1―47)ベテスダの池の奇跡とそれに続く論争―イエスは命の君
5・9b~18 安息日の律法を犯したことについて
9b その日は安息日であった。
10 そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った、「きょうは安息日だ。床を取りあげるのは、よろしくない」。
11 彼は答えた、「わたしをなおして下さったかたが、床を取りあげて歩けと、わたしに言われました」。
12 彼らは尋ねた、「取り上げて歩けと言った人は、だれか」。
13 しかし、このいやされた人は、それがだれであるか、知らなかった。群衆がその場にいたので、イエスはそっと出ていかれたからである。
14 そののち、イエスは宮でその人に出会ったので、彼に言われた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪を犯してはいけない。何かもっと悪いことが、あなたに身に起るかも知れないから」。
15 彼は出て行って、自分をいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人たちに告げた。
16 そのためユダヤ人たちは、安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。
17 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる」。
18 このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである。
(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・9b イエスのいやしの行為は安息日律法の違反であるから、ユダヤ人はそのままにしておくはずがない。
・10 安息日律法は、十誡の第四にあたるたいせつな規定で、破る者は、死刑に処せられる。床をとりあげることの禁令違反を、ユダヤ人はそのままに放置することはできない。
・17.18 《今に至るまで》は、「休むことなくいつも」の意味が含まれている。ユダヤ教によると、神は六日で天地を造り、七日目は休まれ、そしてその日が「安息日」として人間も休むことが命ぜられているのであるから、イエスのこの言葉は、安息日の否定になる。イエスは神を《わたしの父》と呼んで、神と自分との間に、ほかに存在しない特殊の関係を主張したのだから、ユダヤ人はイエスを憎み、《殺そうと計るようになった》のである。