(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第5章(5・1―47)ベテスダの池の奇跡とそれに続く論争―イエスは命の君
5・1~9a 38年間もわずらっていた中風病者をいやす
1 こののち、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。
2 エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。
3 その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。[彼らは水の動くのを待っていたのである。
4 それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕
5 さて、そこに38年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。
6 イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。
7 この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。
8 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
9a すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。
(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
1 《ユダヤ人の祭》は、過越の祭。イエスの第二回目の上京である。
2 《ベテスダ》は「恵の家」の意。城内の東北部、今日ではステパノ門に近い、聖アンヌ教会の下に位する。
3 気の毒な人々の群れ。いやされたいとの強い一念から、他人をおしのけて、まっ先を争う生存競争である。
6 この病人は、イエスの《なおりたいのか》という言葉により、全注意をイエスに向け、そして自分の痛ましい状態を知らせる。彼はまったくひとりであった。
<ヨハネによる福音書第5章(5・1―47)ベテスダの池の奇跡とそれに続く論争―イエスは命の君
5・1~9a 38年間もわずらっていた中風病者をいやす
1 こののち、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。
2 エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。
3 その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。[彼らは水の動くのを待っていたのである。
4 それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕
5 さて、そこに38年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。
6 イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。
7 この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。
8 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
9a すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。
(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
1 《ユダヤ人の祭》は、過越の祭。イエスの第二回目の上京である。
2 《ベテスダ》は「恵の家」の意。城内の東北部、今日ではステパノ門に近い、聖アンヌ教会の下に位する。
3 気の毒な人々の群れ。いやされたいとの強い一念から、他人をおしのけて、まっ先を争う生存競争である。
6 この病人は、イエスの《なおりたいのか》という言葉により、全注意をイエスに向け、そして自分の痛ましい状態を知らせる。彼はまったくひとりであった。