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ヨハネ黙示録 第四章 天上の御座とその周囲 

2015-09-22 21:22:16 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
4・1~7 天上の御座とその周囲
1.その後、わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起るべきことを、見せてあげよう」と言った。
2.すると、たちまち、わたしは御霊に感じた。見よ、御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。
3.その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。
4.また、御座のまわりには、二十四の座があって、二十四人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた。
5.御座からは、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが、発していた。また、七つのともし火が、御座の前で燃えていた。これらは、神の七つの霊である。
6.御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座のそば近くそのまわりには、四つの生き物がいたが、その前にも後ろにも、一面に目がついていた。

(参考 増訂新版 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・4章からいよいよ本論ともいうべき黙示または幻の記述に入るのである。預言は「主はこう言われる」で始まるが、黙示は「わたしが見ていると」で始まるのが通例である。5章から7章までは7つの封印を解くことが主題であり、8章から11章までは、七つのラッパ、15,16の2章は七つの鉢を傾けることによる七種の災厄のことを主題としている。これらは終末の時に人間が受ける災害であって、言わば3つの階層として組み立てられているのである。4,5章は七つの封印のまぼろしの序曲とみることができる。まず4章においてヨハネは神の御座およびその周辺の状態についてのまぼろしを見、次に5章において子羊なるキリストのまぼろしを見るのである。神は万物の創造者であり、その支配者または歴史の主である。
・《開いた門》いまや神は「ご自分を隠しておられる神」ではなく、自らを顕示される神であることを示している。
・ヨハネはラッパのような声の天使に導かれて天上の様子とこれからおこるべき終末の状況とを示される。
・《御座にいますかた》神の語をさけてこのような間接の言い回しをとっている。
・《碧玉や赤めのう》神は光であり、光を衣のように着ておられるのである。
・《二十四人の長老》彼らは神とともに天上の「長老会」を構成する者であった。彼らは賛美の声に和し、またヨハネに天上のまぼろしの真意を解く者であった。
・《金の冠》キリストも金の冠をつけておられた。
・《いなずまと、もろもろの声と、雷鳴》神の顕現に伴う現象
・《神の七つの霊》聖霊の働きの完全性を示している。
・《ガラスの海》神と人間との間に存在する区別を象徴している。
・《四つの生き物》生き物というのは天使のケルビムであったようである。
・目は知恵を象徴し、多くの目は神の全知を象徴する。
・四つの生き物は、それぞれ、しし、雄牛、人間の顔、わしのような形をしていたと言われている。

富も健康も、すべて善きものは、神よりくる

2015-09-22 17:39:37 | 日記
谷口雅春先生は
すべて善きものは神より来る、
とお書きになっています。
あれこれ現象的な手を尽して、
富や健康を追い求めなくても、
神のみ
求めつづければいいのです。

(参考 真理第9巻 谷口雅春著)
富は神より来るのである―と云うのは一切のよき物の根元は健康であろうと、能力であろうと、美であろうと善であろうとすべての善き物は悉く神より来るのであるからです。ですから、神と分離してしまったら、富の源と分離してしまうことになるのである。

生ける水についての問答

2015-09-22 17:37:54 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第三章(4・1―42 イエスとサマリヤの女)
4・7―15 生ける水についての問答
1.ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。
2.弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。
3.すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。
4.イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物(たまもの)のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
5.女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手にいれるのですか。
6.あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。
7.イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでもかわくであろう。
8.しかしわたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
9.女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもいいように、その水をわたしに下さい」。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・7.この女が、水をくみにくる人のない12時ごろ水くみにきて、、《疲れて井戸のそばにすわっておられた》イエスに出会い、生ける水についての話を聞くことができたのは、神の特別な導きであった。それによって、サマリヤ伝道の機会が作られたのである。イエスがかわきを訴えられたのは、女に魂のかわきを自覚させるためであった。
・9.両民族の不和は、イスラエル王国滅亡以来のものであった。この不和は捕囚以後、神殿の建設をめぐり、いっそう激化した。サマリヤ人はエルサレムからしめ出されたので、グリジム山に自らの神殿を建てて対抗した。
10.《生ける水》は、たまり水に対して、わき上がっている泉の水、または流れている水をいう。それは神の与える水、人間のかわきをいやす力のある水である。
・12.女はイエスがヤコブ以上の者であることを知らなかった。
・13.14.この部分の中心思想。イエスの与える水を飲む者が《いつまでも、かわくことがない》のは《その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがる》からである。すなわち、命の水はイエスからくる水、そして常に流れてくる水、いくらくんでもつきることのない、無限の恵みの水である。
・15.女はイエスの言葉により、目ざめ、《生ける水》について知り、それを得たいと願うようになる。彼女は求道者となったのである。


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罪と病と死との三暗黒の滅尽

2015-09-22 07:30:58 | 日記
キリスト教も仏教も
一人ひとりの人間の生き方が
それで良いのか、
正しいのか、
真実であるのを
第一の課題としている。
つまり
魂の救済である。
このことが抜け落ちでしまうと
これはもう宗教とはいえない。
生活のなかでの人間の物質的欲望が
不幸をもたらすから、
それをいましめる、ということよりも
人間の「心のありかた」が
個人の行動の観点からみて、
神の道にかなっているかどうかを
扱うのであるし、
「心の救済」を扱うのである。
もともとが
罪と病と死との三暗黒の滅尽から出発した人類光明化運動が、
それらの救済を離れて
環境問題が中心の宗教に変質した時には、
それは、
もはや宗教ではなくなってしまっていると
言えるのではなかろうか。