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はしがき―(谷口清超著~キリスト)から

2015-09-25 23:04:16 | 日記
イエス・キリストについて知りたくなり、
こんなブログも初めました。
URLは後日お知らせします。


(参考 キリスト~イエスの神秘的生涯とその解説 谷口清超著 日本教文社)

キリスト~イエスの神秘的生涯とその解説 谷口清超
<はしがき>
 本書は『精神科学』誌に約2年間にわたって連載したキリストの生涯に関する研究を一冊にまとめたものである。
私がブラジル、ペルー、アメリカ等に講演旅行を続けていたとき、本書の出版計画が私に知らされたのであった。私はその頃、痛切にキリストの偉大な御教えとその業績に打たれていた。ブラジルの街々を訪問すると、先ず第一に目につくのが、高くそそりたつキリスト教会であり、キリストの像であった。凡ての国民によって日曜日は教会へ行く日と定められ、カナダ等では酒類の一般販売も禁じられ、日曜日のスポーツ、娯楽等も制限せられて聖なる信仰の集いが護られている州も沢山あった。私はこれら新大陸に於て今もなおキリストが生き続けているのを感じた。ことにアメリカには無数のニュー・ソートの教会が、新しいキリストの教えをときつづけているのは注目にあたいする。これらの古く新しいキリスト教の中には、種々なる面でキリストの精神が生きているのであった。

ヨハネ黙示録 第五章 七つの封印の巻き物と小羊に対する礼拝 

2015-09-25 22:59:53 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
5・6~10 二十四人の長老の新しい歌
6.わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。
7.小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。
8.巻物を受け取った時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈である。
9.彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほうられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、
10.わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。

(参考 増訂新版 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・キリストは小羊の姿をとって顕現されている。小羊たるキリストは十字架の死を経たかたであることを示している。
・《七つの角と七つの目》角は完全なる権能をさし、目は完全なる知力をさしている。神としてのキリストの全能、全知をさす。
・聖霊が人々につかわされることは、新約聖書のほかの部分にも見いだされる。
・8.《立琴》は聖歌合唱のための伴奏器であり、《香》も礼拝に必要なものであった。
・9《新しい歌》とは、キリストのあがないによって造り変えられる新しい世界の到来を祝う讃美歌である。
・《あがなう》キリストが人類を罪と悪魔の奴隷たる境遇より買い取られたという意味。

本来の面目のみが真実存在であると知れ

2015-09-25 17:40:25 | 日記
過去の想念感情が蓄積して
現在の私がある。
そして
私は毎日実相を観じ続けている。
本音で思った通りになっているのが、
現在の私の環境世界である。
であるから、
実相の円満完全への確信が
本音になってくれば
神の国が
私の環境世界に
しっかりと
現れてくるはずだ。
そのために必要なことは
この現象の世界は
実際はアルのではなく、
その奥に存在する実相世界・神の国のみが
存在しているのだと
悟ることが大切だ。
折も折、
今日読んだ「真理第九巻(旧版313ページ)には、
「わが全存在を神にゆだねる」これがあなたの全存在の革命です、
と書かれてあった。

イエスと弟子たちとの問答、世界伝道の課題

2015-09-25 17:36:23 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<ヨハネによる福音書第三章(4・1―42 イエスとサマリヤの女)
4・31―38 イエスと弟子たちとの問答、世界伝道の課題
31.その間に弟子たちはイエスに、「先生、召しあがってください」とすすめた。
32.ところが、イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。
33.そこで、弟子たちが互いに言った、「だれかが、何か食べる物を持ってきてさしあげたのであろうか」。
34.イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。
35.あなたがたは、刈り入れ時が来るまでには、まだ4か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈り入れを待っている。
36.刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。
37.そこで『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、本当のこととなる。
38.わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦しなかったものを刈り取らせた。他の人々が労苦し、あなたがたは、彼らの労苦の実にあずかっているのである」。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・33.弟子たちの誤解と愚問。
・34.イエスは神から派遣されているという強い意識をいつもいだいておられる。この意識に生かされて、使命の遂行に励むことが《わたしの食物》である。
・35.《色づいて刈り入れを待っている》は、その時の田畑の実情をさしているのではなく、サマリヤ人の求道生活について言ったのである。《まだ四カ月ある》は、サマリヤ伝道の時機は熟していない、まだ早すぎることを言い表わした言葉である。
・36.《まく者》には、旧約の預言者たちもはいっている。イエスの弟子たちは彼らの労苦の果実を、ただ収穫するにすぎない。そこに神における共同の働きがある。《永遠の命にいたる実》は、信者となったサマリヤ人をさす。
・37.の《ことわざ》は、本来は、まく者が刈り入れるまで生き残りえず、その実を収穫できない事を言った悲観的調子のものであったが、ここでは伝道者間の協力の喜びを述べたものである。
・38.自ら苦労しないで、他人の苦労の実をとりいれている者も、神の目にはひとしく尊いのである。